未来予想図 -9ページ目

未来予想図

近い未来を言い当てることができると、人間、幸せに生きられるのじゃないか?というコンセプトのもと、いろいろ明るい未来について書きまくっています。

ホンの10分前からいきなり豪雨。で、あっという間に雨は止んで、今度はムシムシ、ムレムレ陽気。まるで、あの忌まわしき石破の今国会までの態度のようであります。

 

前回は公認会計士のセンセが作ったMMT理論の動画を掲載しましたが、一応国が破綻することはない、というところまでカバーしており、ひとまず財務省の言っていることがインチキであるということで一安心。

 

次の問題は、高市早苗あたりの積極財政派が主張する、財政支出は単年度あたりいくらまで伸ばすべきか?ということであります。

 

これを述べる前に、また長い前置きが必要になります。

 

前述動画の7番目に、国債発行はインフレ目標と実体経済のインフレ率を見ながら発行額をコントロールすると言っておりますが、これは経済がインフレになってからの話で、現在は2,3年前からの急激な円安が進行したことによる食料品とエネルギーのコストアップインフレ状態(約10%)であって、その他の品目は1.5%程度であります。結局、食料品もエネルギーも国として輸入依存品目であることの証明にもなっており、国民の立場から言えば、生活必需品が過度に輸入依存になってしまうと、国内だけで品薄状態を解消できない、という経済安全保障という別の問題が顕在化してきます。(これは先の大戦の遠因として議論されているのですが、ここでは端折ります。)

 

さて、「失われた30年」という言葉ですが、簡単に言えば1995年当たりから日本経済はマイナス成長になった、ということであります。この年近辺で何が起こったか?と言えば、北海道拓殖銀行、山一證券の経営破綻という、これまでの金融機関護送船団方式と呼ばれた日本式官民一体、鉄壁の信用力を誇っていた2つの業界での経営破綻であったため、世の中が騒然となったわけであります。

 

その前段階としてバブル崩壊という経済現象が起こったのですが、これら二つの金融機関の破綻はバブル崩壊と直接的な因果関係は無かったのですが、バブル期の好調経済のもと、産業全体の競争激化において、企業内ガバナンスが崩壊したと言われております。(これに突っ込みを入れると、話が反れるのでここまでにしときます。)

 

ここで戦後から今日までの経済成長率を見れば明らかですが、

 

 

 

戦後から1995年まで、マイナス成長は1974年の一度だけで、軒並みインフレ経済でありました。アテクシのオヤジが家を建てて現在地に引っ越してきたのが、1971年1月でしたから、74年のオイルショックはさすがに「やべー」と思ったハズです。オヤジは一応給料が安いと悪名高い大手勤めでありましたが、さすがに社全体で大リストラが敢行され、関連会社への転籍になり、しばらく先行き不安感があったらしいのですが、以降はオヤジ曰く「給料がぼんぼん上がった」と。

 

ですから、政府としてもオイルショック対応後は、慣例的な財政運営、つまり家計管理的な「税収の範囲内での財政支出」を行っていたはずです。先に紹介した元大蔵省事務次官の斎藤次郎氏が3年ほど前に文芸春秋に寄稿した内容とも合致するわけ。

 

とどのつまりは、戦前はいざ知らず、戦後の大蔵、現在の財務官僚は経済成長下のインフレ経済における財政対応しか経験しておらず、デフレ経済なんて理論上のことだとまで思っていたのでしょう。

 

なので、経済理論にインフレ経済しか存在しなければ、「財源」、と問われれば、それは「血税」とイコールであり、実際のオペレーションが「スペンディング・ファースト」であったとしても、見かけ上は「血税が財源である」となります。

 

 

さて、時は進んで、1980年当たりから、「年金」が徐々に問題化し始めます。高度成長期の主力年代の老齢化による年金支出が急激に増加する、というシミュレーションです。

 

年金も、これまた詳しく書きだすとキリがないほどメンドくさいテーマですが、大雑把に言うと 「(1) 保険料収入」、「(2) 国庫負担」、「(3) 積立金(元本の取崩し及び運用収入)」で賄われており、一般で信じられている年金保険料の運用益で賄われているというのは「ウソ」です。そりゃ、そーでしょう。3年前の実績で50兆円超を運用益だけで賄うには、260兆ほどの残高しかありませんから、年20%の運用をしていかなくてはなりません。

 

それにですよ、昭和30年前に就職したオヤジの年金が始まったころの給料なんて、1万円程度?でしたから、そこからの年金保険料なんて微々たる金額であります。

 

でありますから、年金は皆様のような現役世代が払う保険料が、そのまま今の老人に渡るという「 /pay-as-you-go 」方式であって、まあ、これは世界のほとんどが年金運営で採用している方式でありますが、そりゃ、少子化であれば、将来の世代が大変な負担になるわけですよ。

 

本来は、保険料収入の範囲で年金支払額を決定するんでしょうが、昔、自民党政権が年金実施に当たって約束した「老後の生活を担保する」ということが達成されなければ、暴動が起きかねない、ということで、ごまかしごまかしやりくりしてきたツケが今爆発しておるわけであります。

 

 

ですから、赤字国債の増加の主要な原因は、「年金」であります。

 

ここで、石破のウソ、というより歴代総理のウソでありますが、消費税は社会保障大切な財源である、というのは、今世紀に入ってからの法人税減税という相反する事象を鑑みれば、自ずからわかることです。

 

これにデフレ経済を初めて経験し、デフレ下の財政運営をしらない財務官僚のあたふたした、これまでの言論と合わせ、やはり「トーダイ・ホーガクブ」のプライドと斎藤次郎氏のようなOB達の圧力が見事に相乗効果を生み出し、バカな石破がそれを代弁する、という奇妙な政治状況が生まれているのだ、と解釈すると、納得できます。

 

 

 

ここで、最初の問題に戻るわけですが、それでは、どれだけの財政支出をして行けば良いのか?ということですが、これはいわゆる「需給ギャップ」という言葉をクリアにしとかんとなりません。

 

簡単に言えば、需要と供給の差のことであり、インフレ経済は供給、つまり生産供給量に対して需要が上回っている状態、逆にデフレ経済は、その逆、つまり供給が需要を上回っている状態のことであります。

 

マーケティングをやっている方ならわかると思いますが、新しい商品を売って儲けようと思うならば、その商品を欲しがる人を作り出さなくてはなりません。いわゆる企業の経済活動であって、これはミクロ経済における需要の創出手段として語られることですが、国家経済という「マクロ」の視点からの需要創出は、ミクロとは根本的にやり方が異なります。

 

5年前のコロナ発生時、阿部政権下で行った100兆円規模の経済対策が打たれましたが、この作戦参謀であった元財務官僚の高橋洋一氏が、これについて詳しく述べた動画があります。

 

 

こういう話になると早口になるのが彼の悪い癖ですが、まあ要はデフレ経済下では、需要を政府が作り出さなくてはいけない、ということです。

 

世界史で1930年代のアメリカの公共投資の話が出ていますが、要はこれです。

 

1990年代から民主党政権誕生まで、先に述べた金融機関の破綻や200兆円と見積もられている銀行の民間企業からの貸し剥がしなど、本来政府の財政出動が必要だった時に、「血税を使うのはけしからん」というメディアの論調に押され、後手に回り、民主党蓮舫の悪名高い「二番じゃだめですか?」で有名な、国の事業仕分けで、日本経済は決定的な落下をし、とどめは東日本大震災後の増税、その後の阿部政権下での消費増税と傷口に塩を塗り続けた政策が幅を利かせて今日があるのだ、と言っても過言ではないと思います。

 

 

まだまだ、学者の間でも意見が分かれていますが、コロナの100兆円規模の財政出動が一つの証左になると思います。実際は30兆位予算執行されなかったという決算でしたが、東日本大震災、コロナという総需要が国家予算規模をはるかに超える財政出動が必要な事態が今後起きた場合、今の財務省の立場を堅持されてしまうと、はて、一体日本はどうなるのか?

 

 

今受験を迎えている文系志望の学生さんが、経済って何?という疑問を持っていたら、この投稿が少しは役に立てば幸いであります。

 

 

それでは、引き続き石破の早期消滅を祈念して

 

 

 

あーめん