2005年公開の、スティーブン・スピルバーグ制作・監督によるサスペンス映画である。
実際にあった、1972年のパレスチナ過激派組織「黒い九月」が巻き起こしたミュンヘン・オリンピック事件と、その報復であるイスラエル諜報特務庁によるテロ作戦をベースに描かれている。
原作は、ジョージ・ジョナスによるノンフィクション小説『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』であり、脚本はトニー・クシュナーとエリック・ロスが担当している。
私は、実話を元に映画を制作するなら、実話をベースにするより、モデルにする方がベターと思う。まず、実話を元に出来うる限り再現するなら、ドキュメントを作るべきで、映画の意味がない。また創作は、アーティストの主観により創造されるものであり、実話から独立した表現であるからだ。
ベースよりモデルとすべきだと強く感じた映画は、例えば『アマデウス』だ。ミロス・フォアマンは、好きだし優れた監督と思う。映画自体も、なかなか面白い作品だった。しかし、いかせんモーツァルトをデフォルメし過ぎている。予備知識がない人があの映画を見たら、モーツァルトは変態だと思うのではないか。あの映画の場合は、登場人物の名前を変え、時代を明かさなければ、そのままモーツァルトをモデルにした映画になると思う。音楽も、そのまま使ってよいのではないか。
そして、『ミュンヘン』である。この映画は、『シンドラーのリスト』や『リンカーン』の様な、歴史上の人物を題材としたものでなく、大きな余波を生んだ事件を題材に描いたものである。
あらすじを述べる。パレスチナ過激派組織である黒い九月が、ミュンヘン・オリンピックのイスラエルの選手達を人質に取り、収監されているパレスチナ人の釈放を要求する。西ドイツ警察との銃撃戦の結果、人質11人全員が射殺されるという結果に終わる。
イスラエル政府は、テロの首謀者11人の殺害を決定し、首相立会いのもと、アヴナーはモサッド上官エフライムから、作戦のリーダーの任命を受ける。実行メンバーは、アヴナー以外、それぞれのスペシャリスト5人。暗殺の標的は、PLOの幹部や関係者であり、部隊はイスラエルとの関係を悟られないことが強く要求される。
実行部隊は、標的を一人ずつ確実に殺害していくが、幼い娘を誤爆しそうになったり、無関係な者を巻き添えにしたりと悪戦苦闘が続く。
実行部隊は、テロの特殊部隊ではなく、暗殺の標的となる人物は、紳士然としたアラブ人として描かれているのがミソである。
また、情報屋ルイから手配されたアテネの宿では、PLOのグループと鉢合わせになり、彼等の実情を聞くハメになる。アテネでの作戦は成功するが、KGBのエージェントも射殺してしまい、アヴナー達の命を狙う者も多くなる。
さらなる標的は、最大の黒幕とされるサロメであったが、偶然から妨害にあい、失敗してしまう。ルイの情報では、サロメがCIAと裏取引し、計画を妨害している可能性があるという。実行部隊のメンバーにも、暗殺者の手が伸び、次第に追い詰められ行く。
実話をベースにするか、モデルにするかという問題だが、全体のトーンは、デジタル全盛時代にフィルム撮影に拘った暗く生々しく映像は、実話をベースにした映画のリアリティーを伝えてくれている。ただし、本作はその手法のため、大きな反響を呼ぶこととなる。
まず、ミュンヘン事件のテロの犠牲者遺族は、テロの悲惨さと悲劇を伝えていることを概ね評価した。どの様な経緯から実現したかは分からないが、冒頭テロリストに抵抗して殺害されるレスリングコーチのモシェ・ワインバーグを実子のグリ・ワインバーグが演じている。
この映画の公開以前、スピルバーグは、ユダヤ人であり、『シンドラーのリスト』の影響もあり、イスラエル寄りと評価されていた。しかし、本作でモサッドのテロを報復の為と描き、モサッド関係者から強い批判を受けた。
また、パレスチナにしてみれば、民間人を巻き込んだテロを一方的に描かれたことが反感を買った。結果、スピルバーグの作品では、最も物議を醸し出したものとなった。
スピルバーグは、一国家を肯定する訳でも否定する訳でもなく、テロに染まり込み、精神を病んで行く男の様を描きたかったと語っている。
それならば、実話をモデルにするという手法を取って、物語のベースを実話に置きながらも、主人公のドラマを主軸にすべきだったはずだ。映画を観た限り、このスピルバーグの発言は、まったく的を得ていない。
ただし、史実と照らし合わせ、思想的政治的検証を行わず、単なるサスペンス映画として観れば、秀作であることは間違いない。

