(※注意:このテキストには、映画のストーリーが含まれています)
監督のフィリダロイドは、女流作家である。女流という言葉は、現代社会で用いるには、適切な言葉ではないかもせれないが、映画の世界は未だ男性が圧倒的優位にある。
監督のフィリダロイドは、女流作家である。女流という言葉は、現代社会で用いるには、適切な言葉ではないかもせれないが、映画の世界は未だ男性が圧倒的優位にある。
ロイドは、イギリス人であり、舞台の演出家出身である。映画制作では、本作と同じくメリルストリープが主演したミュージカル映画『マンマミーア』で知られる。
劇映画とミュージカル映画両方に優れた作品を残している監督といえば、最近では、『英国王のスピーチ』『レミゼラブル』を撮った、トムフーパーが思い出される。
まず一言。邦題がよくない。原題は『IRON LADY』。サッチャーのニックネームだ。確かに、劇中サッチャーが涙する場面かあるが、そこに集点を当ててしまっては、かなりまぬけなことになる。映画は、サッチャーの苦悩は描いていても、弱さをテーマにはしていない。こんなことで、せっかくの映画にミソを付けるのはもったいない。原題にないフレーズをわざわざ付け加えて、意味を不明瞭にするなど愚の骨頂だろう。配給会社には、センスの向上を求めたい。
肝心の映画だが、引退したサッチャーと亭主とのやり取りから始まる。英国紳士らしく、ウィットとユーモアに富んだ、ミスターデニスサチャー。そこへ、彼らの娘が訪ねてくる。デニスは、どこに行ったか訪ねるマーガレット。娘は、「ダディーは死んだのよ」と答える。マーガレットは、デニスの幻覚を見ていたのだ。既にサッチャーには、認知症の影が忍び寄っていることをうかがわせる。
マーガレットとデニスのやり取りは、物語の最後まで続き、ドラマの核を成している。そのやり取りを中心に、少女期から結婚するまで。保守党党首選に立候補し、首相になり退陣するまで。そして現在が描かれる。
食料品店を営み、市長も務めたマーガレットの父。若きマーガレットは、人権や平和を声高々に演説する父を羨望の眼差しで見つめる。実際にサッチャーは、父を尊敬し、指導者としての資質の多くを父から学んでいる。
マーガレットは、下院議員選挙に立候補するが落選する。選挙事務所で一人嘆くマーガレット。そこに友人のデニスサッチャーが現れ声を掛ける。
「実業化の妻になれば、当選できる。そして、僕は世界一幸せな男になれる。結婚しよう、マーガレット」
「イエス」
速答するマーガレット。
「でも、私は夫に寄り添うしおらしい妻にはなれいわよ」
「そんな君を選んだんだ」
二人は、男の子と女の子の双子をもうける。子育てを最短に出来るよう、神が配慮したかのように。
初当選したマーガレット。ただ一人の女性議員として議会に望むが、女性用のトイレがないことなど戸惑うことの連続だ。
幼い二人の子が、願い事をせがむのを背に、公用車に乗り去っていくサッチャー。夫かも家庭を顧みない妻を責める。
マーガレットは、党の活性化を目論み党首選立候補を決意する。女であるマーガレットは、当選するとは微塵も思っていない。だか、サッチャー派ともいうべき同僚議員のバックアップを受け、しゃべり方やファッションなどのイメージ戦略から、徹底して練り直し当選を果たす。しかし、アイランド支援者のブレーンの一人の車が眼前で爆破される。燃え盛る炎の中に飛び込もうとするのを制止される。サッチャー夫妻も爆破テロの被害に会い、からくも命は取りとめる。
1982年、フォークランド紛争が勃発。アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵略に対し、サッチャーは間髪入れず艦隊、爆撃機を派遣し、アルゼンチン軍を放逐した。イギリス経済の低迷から支持率の低下に悩まされていたサッチャーだが、支持率を大きく上げる。サッチャー政権は、保守的かつ急進的な経済改革の断行に向かう。
人頭税導入を強硬しようとして、結果退任することになるが、これは実際は国民の反発が大きな原因だったが、映画では傲慢な態度から保守党内部で孤立し、造反されたことが原因であるかのように描がかれている。
自身の認知症の進行に悩むマーガレットは、時にデニスの幻覚を疎ましく思い、追い払おうとする。デニスの遺品を全て整理することにして、一晩で片付ける。マーガレットは、回想する。
「私は、民衆に幸せになってほしかっただけ。そして、二人の子供と夫にも。デニス、あなたは幸せだった?」
服装を整え、部屋を出ていくデニス。まだ行かないで、一人にしないでと引き留めようとする。マーガレット。
「大丈夫。君は、一人で生きて行けるよ」
デニスは、扉を開け家を出る。
表現の方法としては、幻覚のデニスとのやり取りを軸に、少女時代から首相時代の回想を行き来する。年老いたサッチャーが、過去に囚われ、時にそれが映像でも交錯する。目新しくはないが、手段として一応成功しているように思えるが、実際のサッチャーは自分の過去に、どの様に向き合っていたのだろうか。
フォークランド紛争に関しては、戦死した兵士のせて母に、同じ母として哀悼のメッセージを送る様が描かれる。
実際にあった事件で、息子が誘拐された時に、あまりのサッチャーのうろたえぶりに、戦地にはあれだけ無情に兵士を送ったのにと非難される。
鉄の女は、2013年4月8日に亡くなった。生前に撮られたこの作品は、果たして彼女の人生と晩年の真実をどこまで描き切れているのか。本人のコメントは残っていず、評価は各人に委ねられる。
劇映画とミュージカル映画両方に優れた作品を残している監督といえば、最近では、『英国王のスピーチ』『レミゼラブル』を撮った、トムフーパーが思い出される。
まず一言。邦題がよくない。原題は『IRON LADY』。サッチャーのニックネームだ。確かに、劇中サッチャーが涙する場面かあるが、そこに集点を当ててしまっては、かなりまぬけなことになる。映画は、サッチャーの苦悩は描いていても、弱さをテーマにはしていない。こんなことで、せっかくの映画にミソを付けるのはもったいない。原題にないフレーズをわざわざ付け加えて、意味を不明瞭にするなど愚の骨頂だろう。配給会社には、センスの向上を求めたい。
肝心の映画だが、引退したサッチャーと亭主とのやり取りから始まる。英国紳士らしく、ウィットとユーモアに富んだ、ミスターデニスサチャー。そこへ、彼らの娘が訪ねてくる。デニスは、どこに行ったか訪ねるマーガレット。娘は、「ダディーは死んだのよ」と答える。マーガレットは、デニスの幻覚を見ていたのだ。既にサッチャーには、認知症の影が忍び寄っていることをうかがわせる。
マーガレットとデニスのやり取りは、物語の最後まで続き、ドラマの核を成している。そのやり取りを中心に、少女期から結婚するまで。保守党党首選に立候補し、首相になり退陣するまで。そして現在が描かれる。
食料品店を営み、市長も務めたマーガレットの父。若きマーガレットは、人権や平和を声高々に演説する父を羨望の眼差しで見つめる。実際にサッチャーは、父を尊敬し、指導者としての資質の多くを父から学んでいる。
マーガレットは、下院議員選挙に立候補するが落選する。選挙事務所で一人嘆くマーガレット。そこに友人のデニスサッチャーが現れ声を掛ける。
「実業化の妻になれば、当選できる。そして、僕は世界一幸せな男になれる。結婚しよう、マーガレット」
「イエス」
速答するマーガレット。
「でも、私は夫に寄り添うしおらしい妻にはなれいわよ」
「そんな君を選んだんだ」
二人は、男の子と女の子の双子をもうける。子育てを最短に出来るよう、神が配慮したかのように。
初当選したマーガレット。ただ一人の女性議員として議会に望むが、女性用のトイレがないことなど戸惑うことの連続だ。
幼い二人の子が、願い事をせがむのを背に、公用車に乗り去っていくサッチャー。夫かも家庭を顧みない妻を責める。
マーガレットは、党の活性化を目論み党首選立候補を決意する。女であるマーガレットは、当選するとは微塵も思っていない。だか、サッチャー派ともいうべき同僚議員のバックアップを受け、しゃべり方やファッションなどのイメージ戦略から、徹底して練り直し当選を果たす。しかし、アイランド支援者のブレーンの一人の車が眼前で爆破される。燃え盛る炎の中に飛び込もうとするのを制止される。サッチャー夫妻も爆破テロの被害に会い、からくも命は取りとめる。
1982年、フォークランド紛争が勃発。アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵略に対し、サッチャーは間髪入れず艦隊、爆撃機を派遣し、アルゼンチン軍を放逐した。イギリス経済の低迷から支持率の低下に悩まされていたサッチャーだが、支持率を大きく上げる。サッチャー政権は、保守的かつ急進的な経済改革の断行に向かう。
人頭税導入を強硬しようとして、結果退任することになるが、これは実際は国民の反発が大きな原因だったが、映画では傲慢な態度から保守党内部で孤立し、造反されたことが原因であるかのように描がかれている。
自身の認知症の進行に悩むマーガレットは、時にデニスの幻覚を疎ましく思い、追い払おうとする。デニスの遺品を全て整理することにして、一晩で片付ける。マーガレットは、回想する。
「私は、民衆に幸せになってほしかっただけ。そして、二人の子供と夫にも。デニス、あなたは幸せだった?」
服装を整え、部屋を出ていくデニス。まだ行かないで、一人にしないでと引き留めようとする。マーガレット。
「大丈夫。君は、一人で生きて行けるよ」
デニスは、扉を開け家を出る。
表現の方法としては、幻覚のデニスとのやり取りを軸に、少女時代から首相時代の回想を行き来する。年老いたサッチャーが、過去に囚われ、時にそれが映像でも交錯する。目新しくはないが、手段として一応成功しているように思えるが、実際のサッチャーは自分の過去に、どの様に向き合っていたのだろうか。
フォークランド紛争に関しては、戦死した兵士のせて母に、同じ母として哀悼のメッセージを送る様が描かれる。
実際にあった事件で、息子が誘拐された時に、あまりのサッチャーのうろたえぶりに、戦地にはあれだけ無情に兵士を送ったのにと非難される。
映画では、夫との交流が中心に描かれ、登場するのは、すでに成人した娘のキャロルもみで、マークは登場しない。願わくば家族との確執、絆、交流をもっと掘り下げて描いて欲しかった。
また、アカデミー賞を受賞するなど、メリルストリープの演技に対する評価は、概ね高かったが、描かれたサッチャーの人物像には、不明瞭な点が多い。リーダーとしての冷徹さや豪胆さを描きたかったのか、あるいは一人の女性の苦悩を描きたかったのか。筆者は、後者であると思う。
また、アカデミー賞を受賞するなど、メリルストリープの演技に対する評価は、概ね高かったが、描かれたサッチャーの人物像には、不明瞭な点が多い。リーダーとしての冷徹さや豪胆さを描きたかったのか、あるいは一人の女性の苦悩を描きたかったのか。筆者は、後者であると思う。
鉄の女は、2013年4月8日に亡くなった。生前に撮られたこの作品は、果たして彼女の人生と晩年の真実をどこまで描き切れているのか。本人のコメントは残っていず、評価は各人に委ねられる。
