一部にスコセッシは、マフィア映画の名匠という評価があるが、それは正しくない。確かに、マフィア映画の秀作をいくつか残しているが、その作風は多岐に渡る。 
『タクシードライバー』で、その名を轟かせた後に制作したのが『レイジングブル(80)』である。実在のボクサー、ジェイクラモッタの半生を上り詰めた成功と、その後の末路を描いた、この作品は、スコセッシの傑作の一つであり、70年代を代表するアメリカ映画と言われている。壮絶なファイトシーンや、体重の増減を含め、デニーロの鬼神迫る演技が、主人公の病理を際立たせている。 
『キングオブコメディー(83)』は、『タクシードライバー』の喜劇版とも言うべき作品である。コメディアンを目指す、誇大妄想でオタクのルパートパンプキンは、人気コメディアンのジェリーラングフォードに取り入ろとする。しかし、自作のテープは無視され、入れ込んでいた女に友人としてジェリーを紹介しようとするが、相手にされない。張りぼてのライザミネリ等に囲まれ、酒を酌み交わしながら語り合う様は、正しく鏡の自分に銃口を向け、「俺に言ってのか」と繰り返すトラビスそのものである。ついに、ルパートは、おかっけの女とジェリーを拉致監禁し、テレビ局を脅迫し、電波ジャックを果たす。 
興行成績は振るわなかったが、業界関係者からは、評価の高い作品だ。 
『キリスト最後の誘惑(88)』は、ユダの裏切りを使命として描き、キリストが結婚して子供をもうけ、最後は普通の人間として死ぬという誘惑があったという解釈の元、作られた作品だ。多くのキリスト教団体から抗議があり、上映反対運動が起こった。
『エイジオブイノセンス/汚れなき情事(93)』は、貴族階級の主人公が、自分に助けを求める幼なじみに惹かれる精神的不倫と無垢な妻との板挟みの苦悩を描いた作品だ。
粗野な男逹の直線的暴力を描く事を得意としていたスコセッシの新境地をとなった作品だ。 
『クンドゥン(97)』では、アメリカに亡命したダライラマ14世の半生を描いた。低予算かつ、出演者全員、素人のチベット人で制作した。スコセッシ自身、自分の制作した映画の中で唯一、本当に愛せる映画と語った。 
また、制作中に亡くなった母に捧げる映画とし、その理由は、見返りのない愛を描いた作品であり、自分に最も見返りのない愛を捧げてくれたのが母であったからだと語っている。やはり、以前の作品群とは、異なる趣の作風といえる。
この後、スコセッシはレオナルドディカプリオと組み、大作を連続して発表する。 
まずは、『ギャングオブニューヨーク(02)』。構想に三十年を費やし、ニューヨークのギャング、移民、犯罪者のルーツを大きなスケールで描いている。 
以降の作品は、ディカプリオのプロダクションをスコセッシがメガホンを取る形となる。続く『アビエイター』では、大富豪ハワードヒューズの生涯を描く。
『ディパーディッド』では、マフィアに潜入した警官と、マフィアに情報提供の為、エリート警官になった男の対比を描き、ついにアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を受賞。無冠の帝王の名を返上する。
『シャッターアイランド(10)』では、精神改造を行う施設のある島に潜入した捜査官の精神が、はなから病んでいたのか、施設により、精神改造をされたのか、答えの出ない、カフカ的迷宮を描いた。
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一転して、最新作『ヒューゴの不思議な発明(11)』では、ディカプリオと離れ、ファンタジー映画に挑戦している。サスペンスやアクションでは、行き着いた感のあるスコセッシたが、新境地とも言うべき世界を描き出している。