年単位ぶり?の勢いのひさしぶりのブログ
むっちゃんこひさしぶりです。
1年間、地域医療にご奉仕して、僻地の中核病院に出向してたんですけども、初日に呼び出し携帯渡されて、24時間365日、自分の担当患者に何かあると呼び出される生活してました。
(生活してました、とタイプしていたら生活しねました、になっていて、ほんといつ死んでもおかしくないくらい働いてました😂)
子育て中(なんなら赴任直後は授乳中でした)ということを考慮いただき、当直回数は他の先生の半分くらいにしてもらっておりましたが、日勤→当直→そのまま日勤、が普通に組み込まれてるし、子供たちとさあお風呂!とすっぽんぽんなった瞬間に病院から呼び出されたり、もう、本当になんじゃこりゃの連続でしたが、自分でも驚くくらい体力と強運の持ち主なので、倒れることもなく一年が過ぎました。
いや、今日こそ倒れる、倒れてやるわ、と思ったことも何回かあったんですけどね、ある意味体は言うこと聞かなかったw
地方出向から戻ってきて、今は某ジュエリーデザイナーの友人と、新たなプロジェクトを目論んでいて、そろそろ大学病院へのご奉仕も潮時、医師として新たなキャリアに進もうと思っているところでございます。
育児に関しては…習い事行かせてもさせっぱなしで家で復習付き合うとかしてないし、子守はYouTubeにおまかせっぱなしだったけど、最近それではやばい、と、YouTubeから Podcastに切り替えました。←つまり私ほとんど関与してないw
周りの女医ママとも、お受験併走とか絶対できないよね、なんて話してるんですけども、思えばうちの母(専業主婦)も、私の勉強に一切関与しなかったと言うか、基本放置、自分でやりたいようにやりなさい、と言うタイプだったのですが、それでも高校まで公立、塾も高2から行き出して本気で勉強始めたの高校3年の夏、て私でも医者になれたので、更なる高みを目指すとなると無理かもしれないけど、まー本人を信じてあげればなんとかなるかな、と思ってたんですが、最近私気づいたのがそんな私でもやりたいように人生なったのはあれとあれのお陰かな、みたいな方法です。
って言うと、なんかの勧誘みたいだけど、怪しい宗教でもないし、特別な習い事でも高価なアイテムでもないのでご安心を🤣
このブログ一体何目指してんのかわからなくなってますが、追々そう言うことを書いていけたらいいなーと思います。なぜその話を終わらせようとしているかと言いますと…
もっと大切なことをお伝えしたいから❤️
実は、じ、つ、は、
もうすぐ家族がもう1人増えちゃうんですー😍
いやびっくり…私もびっくりしたw
なかなか2人目を授かれなくて(欲しいなと思ってから1年半かかった😢)もう私絶対子供できないだろう、と思っていたのにまさかのまさかでした、人生何が起こるかわかんないね。
久々のブログで勢いでここまで書き上げましたが、そろそろ力尽きました。
またいろいろ書けたらいいなぁ❤️
最後までお読みいただきありがとうございました。
人の死の瞬間
この仕事をしてるともちろん、人生の最期の瞬間に立ち会わせていただくことが多々ある。
身寄りがなくて1人でその瞬間を迎える方、友人が傍で見守ってくれる方、そして、多くの場合が、ご家族に見守られて旅立つ方…
コロナの影響で、最近は、最期の瞬間に立ち会うことさえできないケースが増えている。
私の今いる病院は、条件をクリアした場合に限り、ご家族に最期の時間に立ち会っていただけるよう院内に入ることを許可している。
先日、私が担当している患者さんが亡くなった時。そろそろだろうな、と思っていた日の夜中、病院から電話があって、心拍数がどんどん下がっています、と言われて病院に飛んで行った。超超高齢の方だったので、ご家族もその覚悟はされていたと思うが、夜中だったけれど、息子さんたちが飛んできてくれた。
もう1時間ももたないだろうな、と言う状況だったけれど、その方は、息子さんたちが到着されてから、息子さんたちの声が届いていたみたいに、心拍数も呼吸数も少し改善して、一生懸命最期の時に応えようとしていらっしゃるようだった。
どんな人にも愛くるしくて仕方ない赤ちゃんの時期があって、そして人生の最後の瞬間というものがやってくる。
私はいつも、人の死の瞬間に立つ時に、その方の生きてきた時間を思い、そしていつもそのあと、自分はどんな最期は迎えるんだろうな、というところに行き着く。
最近の主流として、ACP(Advanced Care Planning)と言う考え方があって、簡単に言ってしまうと、元気なうちに、どんな最期を迎えたいか考えておくこと、がある。
日本の文化の中では、自分が死ぬこととか、死んだ後のこととかを、元気なうちから積極的に話すことはあまりよく思われていないけれど、自分の人生を最後まで自分らしく生きていきたいな、て思う人なら特に、最期の瞬間どう迎えたいか、まで考えていくことが、ナチュラルになる時代になるといいなー、と思いながら、自分のこれからの人生について思いを巡らす私です。
自分の人生、人を自分の思い通りに動かすことはできないけど、自分の考え方や動き方を変えるだけで、方向性も風向きもどんな風にも変えられる、と信じてます。
人は自分の思い通りには動かせない、と分かっていても、自分の最期の時には息子たちが手を握ってくれて、話しかけてくれてたらいいなーって、そういう最期を迎えた方を見ると思っちゃう私です😊
それにしても、買い物とファッションと仕事の話とめちゃくちゃにごちゃ混ぜな私のブログ、どこに向かってんだろな😂