あまりの惨状に掛ける言葉も出てこない。
大阪に住んでる私としてはどうしても阪神大震災の時の状況とダブってしまう。
ただあの震災は局地的で神戸や西宮など直撃したところ以外は意外と普通にできた。
大阪でもそうで、北部では数百人単位の死者が出たが市内では営業してる店も多かった。
震災のあった次の日に救援物資を持って西宮まで行ったが、あの惨状は一生忘れられないだろう。
それから数日は毎日救援物資を持って行ってた。阪急神戸線が西宮北口まで動いてたから、そこまで電車で行ってそこから歩いた。空爆でも受けたかのような瓦礫の山で、残ってる建物の方が珍しい。
あちこちで人が死んでいる。あまりにたくさん。
戦争映画でみたような破壊的で非日常的な光景が目の前に広がっていた。
その惨状とTVでやってる『日常』の世界との乖離に違和感を覚えたし、苛立ちを感じたのも事実だった。
でも今回の災害で幸いなことに被害の無かった我々の地方の人間はどう感じているだろう。
もちろん、阪神大震災の被災者として共感を持ってるのは他地域よりも多いと思う。
しかしながら、TVでのニュース映像が『消費』されてしまっているのも否定できない。否定しきれるそんな自信はない。やはり他人事に感じてるのか?忸怩たるものがある。阪神大震災の時は、他人事のような東京のメディアの報道に怒りを感じていたのに。自分も一緒じゃないか。
どうすりゃええねん?
結局、これはリーダーが、国のことなので総理大臣が言うことなのだろうと思うが、『厳しい現状だが、敢えて前へ進もう。無理してでも“日常”の生活をしようじゃないか。日本は大丈夫なんだということを世界に対しても、我々日本人に対しても見せつけようじゃないか』と語りかけるべきではないか。
リーダーが言うんだからそれで一つにまとまってやっていこうぜ…となるべきじゃないか。
被災者が大変なのはわかる。もちろんできる限りのことはした上で、
敢えてやろう。普通に。
そう思ってます。