あることとというのは、貧乏ということだ。。


お金がないばかりでは無く、ビザも無く働けない。


とりあえず、だんなの稼ぎで生活費はどうにかなったが借金が。。


欝で寝込んでる場合ではないどうにかしなきゃ、とそこでひらめいた。


と私が考えたことは家財道具一切を売り裁きお金を作り、200ドルで

ピックアップトラックを購入。


そして新聞のクラシファイドの中の”家具あげます”に片っ端から電話をかけ

家具をゲット。


それを転売し、配達もする。


ちょっとくたびている物には手を加え(だんなは器用な人で力持ち)

ただの家具も100ドルになる。


それで、飢えをしのいだいった。


そんなある日私のビジタービザも切れそうだ。

仕方ない移民申請用紙をとりあえずだめもとで移民局に提出。

(書類を出さないとビジタービザもワークビザも申請できない)


そして、とあるジャパニーズレストランの求人募集ビザのサポートしますを発見。

これがラッキーで私の人生を大きく変えた。


面接に出向き、難なく採用、雇用の証明なるレターを書いてもらい移民局に直行。


英語もろくすっぽしゃべれない私を移民官は取りっあってもくれず、

とにかくあんたのだんなを連れて来いと、

それじゃっってだんなの職場にまたまた出向き早引きをさせ、また一緒に移民局に。

そこででてきた優しいおばさん移民官なんでまた来たのかという質問さっきの移民官が

私の英語がわからないから時間の無駄だから帰ってだんなを連れて来いと言われたと

そして、どうでもいいから労働ビザをくださいとても貧乏で働かないと生きていけない。

ここに採用通知のレターもあるからよろしくといったっら。

OKって2年間の労働ビザをはいどうぞいとも簡単にその場でくれた。

あまりに簡単だったんで拍子ぬけしながらやっと働けるぞーと

これで健康保険ももらえるとなんなんだこの幸運は。


そしてわたしのジャパレス生活が始まったのよね。

















仕事が忙しく、しばらくぶりの書き込みになっちゃった。


さて、あのころの私は今思えばどう考えても鬱病だったのよね。

その、欝の状態の私に神様はこれでもかと罰を与えてくれたよな。


どうやら旦那のビジネスは失敗、完全なる破産。

ある日旦那は私に夜逃げをしようと言い出した。

厳寒の土地からやっと暖かい所へ戻れるならなんでもいいやと

夜中の3時ころ私たちは夜逃げを決行した。

戻ってきた私たちはボロ車を売り傾いたベースメントを借りることができた。

そして運良く旦那もすぐ仕事を見つけることができた。



と喜んでたのもつかの間、妊娠5ヶ月ちょっとお腹も目立ってきた春も近づいて来たある日、

朝目覚めた時なんか生臭いにおい?あれっとベッドをみたら直径50センチくらいの

血のシミ。

びっくり仰天、旦那はとっくに仕事に行った。

とりあえ、タクシーを呼んで病院に行かなきゃ、でも保険が無い。

タクシーで途中旦那の職場に寄りだんなを呼び出し一緒に病院へ

検査の結果、赤ちゃんの心音が無い、流産ですと言われた。

何が何だか分からず、掃把手術を受け家に帰った。

またしても鬱、生きる気力も何もなくなってしまった。

しかも、病院での費用は3000ドル払えません。

移民の申請もどうでもよくなった、考える事ができなくなった。


ただただ灰色な感じの毎日だったような気がする。


でもその後あることがきっかけで物凄く強い人間になった。




長い事誰かが自分の為に何かをしてくれることなんてなかった。


例えば誰かが自分を迎えに来てくれるとか、自分の為にご飯を作ってくれるとか。


何かプレゼントをもらうより、何気にこういう事の方が有難い。

誰かが自分の事を思ってくれてるってなんて幸せな事だろう。