オーダーメイドギターの価値 | ギターの話である。当然のことながら。

ギターの話である。当然のことながら。

とっても解りやすい、エレクトリックギターに関することを書き綴ったブログです。
趣味であるヨーロッパやフェラーリのことにも触れたり触れなかったり。

こんばんは、nobuです。

突然ですが、皆さん、
自分のギターを弾いた後って、
何か感想が思い浮かぶことってありませんか?

私は、毎日弾くたびに、
あ~いい音だなあ、素晴らしいな・・・と感動する、
なかなかおめでたい性癖を持っているのですが、
ついでにその感動をむりやり妻に伝え、
死んだ魚のような目を向けられるという日常を過ごしています。

でもね、ほんと、いい音がするんですよ。





最近は、やっぱり新しいこのギターを弾くことが多いように思います。





ネックの接写
実は自然なグラデーションになっているのですが、
写真で伝わるでしょうか・・・




ボデーの接写。
この色味は、手間のかかる塗装をしてくれたお蔭ですね。





ピックアップの接写。

とくに意味はありません(笑)



実際には完成して少ししか経っていないにも関わらず、
既に時を経た古さからくる深い響きのようなものを、
何故か感じさせてくれます。

いわゆるストラトの音はせず、
ゆったりとした音の立ち上がりを見せるのですが、
ぼやけたところはなく、柔らかさを持った光線のような音が、
まっすぐに降り注いでくるようなイメージです。
音を伸ばすと、甘さと透明感をあわせ持つ、
蜂蜜を思わせる官能的な響きを感じ、
余韻は最後まで自然なものです。
素直に反応するレスポンスを持っているので、
人前で弾くときにはあまり使いたくないものの(笑)、
制約から解き放たれたような自由さは、
ギターを弾く楽しさを改めて感じさせてくれます。

元々このギターの音のコンセプトは、
古いヨーロッパの教会から発見された中世の聖遺物、という、
まあ殆ど共感を得られそうにないものを考えていました。
(実際には埼玉の山奥の音ですが)
歴史の光と影を湛えた、時の重みを感じさせながら、
微かなカビと、フランキンセンスの香りが立ち上ってくるような・・・
それを音で表現されている。
そんなコンセプトです。


私は、ギターを作ってもらうとき、
この『音のコンセプト』をとても大切に感じています。
太い音が欲しいから、とか、
アーティストと同じ音が欲しいから、とか、
そういう目的でギターを誕生させてしまうと、
そのギターはあくまで手段の一つとして産まれたギター、
言い換えれば、道具として実証できる価値しかもたないギターになってしまうと思うのです。
ギターは道具ですから、
それの何が悪いのか?と言われるかもしれません。
勿論、実証できる価値のないギター(オールドギターにありがちですよね)は問題だと思います。
しかし、突き詰めた道具は使用者や環境が変われば、その存在意義が無くなって(または薄まって)しまうと思うのです。

そうではなくて、
あるコンセプトを表現するために産み出されたギターであれば、
それはもう完結した作品であって、
道具という側面以外の価値をも持つことができます。
つまり、情緒的な価値です。
情緒的な価値ですから、実証することはできません。
更に、その価値が評価されるかどうかもまた別の問題です。
ですが、道具としての価値の虚ろいやすさを考えれば、
それよりもはるかに持続性の高い価値をギターに与えることも可能だと思います。
この情緒的な価値がいかに人を永く惹き付けるかということは、
例えばフェンダーというブランドを見れば、
よくわかると思います。
(フェンダーは世界で最も優れた道具としてのギターを提供するから世界一のギターブランドになったわけではありませんよね?)
せっかくギターをオーダーメイドで作ってもらうのであれば、
道具としての価値だけに注目するのではなく、
そういった情緒的な価値を併せもったギターにしたい・・・
なんて思っています。


ただし。
こういった価値を踏まえて
ギターをオーダーで作ってもらうとき、
個人的には、やってはいけないことが一つあると考えています。
(ようやく今回の主題です)

それは、パーツの交換!
消耗部分とか、故障とかは別として、
音色を積極的に変える為のパーツ交換は、
極力避けるべき行為じゃないか?と思います。
勿論、既製のギターを自分好みにカスタマイズするためのパーツ交換はアリだと思いますが、
自分の自由にオーダーして産まれたギターにおいても同じように扱ってしまっては、
そもそもどういったコンセプトだったのか、曖昧になってしまいます。
そんな、後で修正すればいいや的な考えでオーダーしてしまったギターで、
一体どんなストーリーを描けるでしょうか?

特に私が個人的に行うべきではないと感じるのは、
ピックアップの交換です。
何故なら、音色への影響度が非常に大きく、
ギターの心臓とも呼べる部分だから。

ネックを交換したらもはや別のギターだと思いますが、
音色への影響度はピックアップのほうが大きいのですから、
気軽に換えていいようなものではないと思うのです。
(ちゃんとしたネック同士の交換ですよ)
エンジンをメルセデスに換えられたフェラーリに、
アナタは魅力を感じますか?
そこに語られるべきストーリーはありますか?
ストーリーがなければ、
コンセプトなど産まれません。
気に入ったところも気に入らないところも、
自分が描いた作品です。
産みの親が受け入れてあげないで、
誰が受け入れることができるのか?
そのときどきの都合で、
非常に大切な部分まで換えてしまうのは・・・








エゴだよ、それは!


(しまった、オーダーはランバ・ラルだった)

ピックアップのような重要なパーツまで交換されてしまえば、
結果的に道具としての価値のみを求められたギターが産まれてしまい、
そこに待っているのは、
更なるパーツや仕様の変更です。
ようは、ピックアップの交換は、
ダメ、ゼッタイ!なわけです。



つまり、今回この長文で私が何を言いたいかというと・・・













ちょっと前から試したいピックアップがあるんだけど、載せるギターをどうしよう?

ということです。






おわり