我が鉄道ジオラマCRW・井中駅周辺整備完成記念列車第1弾
『C62おわかれ三重連・104列車ニセコ1号…1971年(昭和46年)9月15日運行』
がCRWで再び走りました。編成は『急行ニセコ1号C62おわかれ三重連+9両』です。

前からC622+C623+C6215+オユ10-2035+スユ13-2013+スハフ44-16+スロ62-501+スハ45-47+スハ45-52+スハ45-53+スハ45-33+スハフ44-25です。
これと同じHMをつけた最終日の写真が鉄道ジャーナル通巻56号71年12月号65ページに掲載されています。
ただし、この写真は、103レ「ニセコ3号」でC622+C623+C6216です。

ドラフトも高らかにC62三重連は最後の花道を行く。 カメラ:小田宏樹氏
花見山お立ち台の脇を三重連が通過しました。

スワローエンゼンルも輝いています。
104レ・ニセコ1号のイメージは、この写真がピッタリです。「ヘッドマークなしの104レ上りニセコ1号」

鉄道ファン通巻128号71年12月号・13ページ
「ニセコ・C62のおわかれ」小樽にて、71年9月15日 写真:佐々木桔梗氏
前からC622+C623+C6215で、104レはヘッドマーク無しでした。
鉄道ジャーナル通巻56号に、104レの興味深いレポートが載っていますので、ご紹介いたします。

表紙写真:廣田尚敬氏
長文の引用になり、著作権の問題もない訳ではありませんが、古いレポートである事。私のジオラマの記念列車のレポートという事で、ご了承いただければ、と思います。
鉄道ジャーナル通巻56号1971年12月号62~65ページ
『さようなら!北の王者 消えた函館本線の急行‘‘ニセコ’’C62重連
文・青崎真理子〈鉄道ジャーナル特別取材〉』
『 9月15日、小樽築港機関区の朝は、さわやかな秋晴れだった。機関区の中央に引き出されたC622は、朝の陽をいっぱいにあびて、輝いていた…。
「さようならC62」三重連の運用につくC62は、C622・C623、そしてC6215ー、この3台が、上り104列車を牽引、小樽ー長万部間を走るのだ。
小樽築港区の構内には、今日の晴れ姿を一目みようと、遠くから多ぜいのファンがつめかけている。
「ここ2・3カ月訪れる人が本当に多くなりました。やはり、もうC62が、なくなってしまうからでしょうか、今日も、ファンの方の要望で、いっさいかざりつけをやめました」
井村助役は、そう話してくれた。たしかにC62が銀モールだのリボンだののゴテゴテ飾って走った日にはそれこそ、あの東海道本線を特急列車をひいて走った機関車らしくないだろう。何もかもが、まだ、素朴であった時代の代表である蒸気機関車、ただの鉄の塊、それ自体が、すべてを語る、働きつづけた年月も、何もかもー。
小樽築港機関区から小樽駅までの道のりは、昨日までC62重連+D51の三重連で行ったのだが、今日はC62だけでも三重連なので、D51をつけると四重連になってしまう。小樽築港機関区では、ぜひC62のみの三重連をーというファンの声に、D51は別回送することにした。
小樽駅では、早々と「ホタルの光」が流れ、ホームにも、跨線橋の上にも、多くのファンが、機関区からの三重連を待ちわびていた。
札幌からED76500にひかれて、104列車が入ってきた。ED76にかわってC62三重連が、頭につくと、運転室の窓下にドッと人が集まった。「C622とニセコ号お別れ記念急行券」と題して発行された急行券に、サインしてもらおうと、機関士や機関助士のもとへ手がのびる。つぎつぎサインし、握手を交わす機関士さんたち。先日(8月)の三重連運転の時は、先頭機に小樽築港区の乗務員が乗ったが、今日はいよいよ最後とあって、先頭機C622は、長万部機関区の乗務員が運転。
乗務の機関士さんの胸のうちは、私達とは、また異なったものだろう。小樽築港機関区で、ある機関士さんは、
「複雑な気持ちですね。C62重連がなくなってしまうのは、たしかに淋しいです。しかし、真冬の運転の事を考えると、なくなってホッとするという気持ちです。あの厳しさ、つらさは、乗ったことのない人には、決してわかりませんよ。雪がキャブの中に吹きこんできて…」
語りきれない苦労が、このC62たちのからだにこめられているのだろう。私達が、あこがれのまなざしで見つめる、C62たちも、多くの機関士や機関助士を泣かせてきたのだろう。
フラッシュをあびて、花束を受ける機関士さん。花束贈呈も終わるか、終わらないうちに、発車のベルがホームいっぱいに鳴り響いた。三重連のまわりにできていた人垣も、あっという間にくずれ、みな客車に向かって走った。
さあいよいよC62の運転する最後の上り急行「ニセコ」の出発だ。すさまじいばかりの汽笛の音、客車の中の人々も、これから長万部までの三重連の旅に、一瞬、緊張する。
もう二度と見ることも、ましてや走ることのできないC62三重連、104列車に乗りこんだファンは、ただひたすら、その感覚をからだに覚えこませようとしていた。窓をあけ、マイクを外に出して、この最後の列車音を録音しようとする人…。みんな夢中だった。
トンネルの中まで窓を開けていたから、たまらない。たちまち車内に、煙がたちこめた。一般客はだまっている。
と、そのとき、後方で大きな声があがった。
「車掌さん、きてくれヨオ、なんてことだ、窓を開けてるから、煙がみんなはいっちまう」
アルコールの入ったオジサン、大演説。車掌さん、もうしわけなさそうに、
「今日、最後なんですヨ。この蒸気機関車。みなさん遠くからはるばるいらしてるんです。ご迷惑でしょうが、大目に見てやって…」
オジサン立ちあがって、
「冗談じゃネエや。そんなことオラには関係ねえ。コラ!窓しめろ」
そのあとで車内アナウンスが入った。
「トンネル内に入ったら窓はおしめ下さい」
オジサンは寝てしまったのか、まわりのファンと和解が成立したのか、とにかく長万部まで(トンネルに入った時を除いて)開きっぱなしの窓があった。デッキでテープレコーダーを回す人たちは、みんな顔を真っ黒にしてそれでもトンネルに入ってもデッキに立ったまま、C62のシンダも今日が最後。シンダをかぶることなど、なんのその、もっと力強く走れ!驀進する列車のデッキでシンダをかぶりながら、じっとマイクを握りしめる人々ー。
小沢あたりにさしかかると、にわかに空模様が、変わった。灰色の雲が空いっぱいに広がり、C62三重連の行く手をさえぎろうとするかのようだ。大粒の雨が車窓をたたいた。しかし、その雨も、少したつと、止んでしまった。
「先ほどは、このC62と別れを惜しむような雨でしたが、まもなくエゾ富士と呼ばれる羊蹄山が見えてまいります」
車内アナウンスは、はるばる津軽の海を越えてやってきた、本州方面のファンの為に、観光案内までしてくれた。
どこでも、国道をアンダークロスする場所は、大変な人だかりだった。車で追いかけるファンが多く、国道には、20~30台の車が数珠つなぎに停められていた。三重連を追いかけることに夢中になった何台かの車は、田んぼの中に飛び込んだり、接触事故を起こしたとか…。
C62は、どうしてこんなに人を狂わしてしまうのだろうか。
C62三重連の104列車。乗ってしまうと、走っている姿を見る事は出来ない。しかし見ようとすると乗る事ができない。乗ってしまった今、どうしても三重連の驀進する姿を見てみたかった。危ないけれど、デッキから少々体を乗り出してみようかー。大きなカーブに差し掛かった時、見えた!C622号とC623号とC6215号の三重連は、煙を上げて、それこそ一心不乱に走っていた。それだけ、私の見た走るC62はそれだけでも、しっかりと見た。その眼の中を永遠に3台は走り続ける。シンダが入ったのか、目が痛かった。涙が出た。
沿線の人たちも、お別れ列車と知ってのことか、屋根に登ったり、物干し台に上がったり、窓から手を振る人たちも、踏切から手を振る子供。明日からは、もう重連は走りません。これからは、洗濯物につくすすの量も少しは減るでしょう。
13時53分、長万部到着。104列車の三重連運転は、ここまでだ。C6215のひく104列車は函館めざして出発した。C622とC623は、長万部機関区の給炭線で次の出番ー103列車につくまでの、時間を過ごした。約3時間。
C622のまわりには、早くもカメラを持ったファンがつめかけた。
「あ!そこの人、もっと下がってくださあ~い」
ニセコアンヌプリと白樺の絵が描かれたヘッドマークをつけたC622は右斜め後方からの午後のまぶしい光に、ツバメのマークを輝かせていた。
15時12分長万部到着の122列車の窓はどこも、長万部機関区で休むC622・C623を見ようと、体をのり出すファンでいっぱいだった。そして、津波が押し寄せて来るかのように、次から次へと長万部機関区の線路を越えて来る。いくらかの余裕のあった長万部機関区も、あっという間にファンに占領されてしまった。いったい何人の人がいるのだろうか。親に手を引かれた幼児から白髪の老人まで、あらゆる年齢の人たちが、遠く九州から、あるいは、東京から100名近い団体で来た人々まで、ひたすら、その巨大な鉄の塊に、熱いまなざしを向けていた。C622よ、なぜおまえは、そんなに、私達を夢中にさせるのか、その巨大さ、たくましさゆえか、その運命のあまりにドラマティックなるためか。
「カッコイーンダヨナア」
「そうだよカッコイーンダ」
「東海道本線時代が、なつかしいですナ」
「ほら、あの四ツ倉の…」
「‘あき’も終わり、‘ニセコ’も終わりかぁ」
私達一人一人の胸の中で、その人なりのイメージで生き続けているC62たち。
鉄道の町ー長万部は、町をあげて103列車を見送った。函館からやってきたC6216に、待機中のC622・C623がつくと、三重連の出来上がりー。長万部小学校の鼓笛隊が演奏を始めると、紙吹雪が舞い、103列車の出発。もう二度と見ることのできないC62三重連は、こうして小樽へと消えていった。協力国鉄北海道総局』
(すべて原文のまま)