17)後日②(経験及び能力の不足 | 岩感の正体

岩感の正体

全成俯瞰全

この日のスポーツニュースは「ヴィッセル一色」だった。
その理由は、もちろんこの選手だ。
アンドレス イニエスタ。



スペインサッカーの至宝が、ついにクリムゾンレッドのユニフォームを身にまとい、ノエビアスタジアム神戸に登場した。
今回の項は、この「魔法使い」登場から筆を起こすのが妥当であるように思う。
アンドレス イニエスタのデビューについては、日本中のメディアがマークしていた。
メディアの興味は、「デビュー戦はいつになるのか」という一点に集中し、これに対し吉田孝行監督も試合前、「22日の試合では絶対に使います」と明言するなど、異例ずくめでことが進んでいった。
26年目を迎えたJリーグ史上、最大の大物のJデビューを見届けるべく、26,000人を超える大観衆がスタジアムに詰め掛けた。
そして59分、その時はやってきた。
 渡邉千真との交代で、アンドレス イニエスタがJリーグの公式戦に登場したのだ。



アンドレス イニエスタがピッチに入った瞬間、スタジアムは異様なほどの大歓声に包まれた。
この雰囲気がプレーにどう影響するか、少々心配になったが、それは杞憂だったようだ。
様々な大舞台に立ち続け、普段からカンプ・ノウで時には9万人を超える観客の前でプレーしてきたアンドレス イニエスタにとって、こうした歓声がプレーに悪い影響を与えることなどないのだろう。
顔色一つ変えることなく、ピッチに登場し、自らに課された役割を最大限の力でこなし続ける姿は、これまでテレビ画面を通して見てきたアンドレス イニエスタそのものだった。
3分後に訪れたファーストタッチの場面でもそうだったが、相手からのプレッシャーをこともなげにかわし、味方にボールを預けていくという基本に忠実なプレーを、恐らく世界最高のレベルでプレーできる選手がアンドレス イニエスタなのだろう。
自身も認めるように、コンディションは万全には程遠いのだろうが、それでも随所で違いは見せた。
味方からのボールを足もとに収める技術や、相手の届かない位置にパスを供給していく技術は、フィジカル面のコンディションに左右されない。
 その理由を考えたとき、最もしっくりきたのは敵将の言葉だった。
湘南を率いる曺貴裁監督はアンドレス イニエスタについて「小さい頃から積み上げた、技術と呼ぶにはおこがましいくらいの状況判断、その力は類い稀なものがある」と評した。
傑出したフィジカルの強さやスピードがあるわけではないが、ヨーロッパの最高峰で輝き続けたのは、この「頭の良さ」があればこそなのだろう。
アンドレス イニエスタに限った話ではなく、一流と呼ばれる選手は頭の中でピッチを俯瞰して見た映像を再生することができる。
だからこそボールを受けたとき、複数の選択肢を持つことができる。
後はその中から最適なものを選び、イメージ通りにプレーするだけなのだろう。
子どもの頃からこの能力を磨き続けてきたことが、今に活きている。

 試合後、ヴィッセルの選手からは「イニエスタの意図を理解できるようになれば、必ず得点が取れる」という言葉が多く聞かれた。
それはその通りなのだが、そのための方法論を間違えてはいけない。
それを実現するためには、アンドレス イニエスタのプレーの癖を把握するのではなく、彼と同様の画像を脳内で再生できるような能力=「空間認識能力」を持たなければならない。
言葉でいうほど簡単なことではないが、「空間認識能力」を高める意識を持って日々のトレーニングに臨んで欲しい。
 この「空間認識能力」を高めるための方法論は、やはりアンドレス イニエスタのプレーに隠されている。
それは「姿勢」だ。
正しい姿勢を身につけることが、空間認識能力を高めることに直結していることは、既に立証されている。
常に顔を上げプレーすることを意識するだけで、これは高まるのだ。
この試合の中でアンドレス イニエスタは、常に相手を見据えながらプレーしていた。
寄せてくる相手の動きを、背後も含め、見ているため、湘南の激しいマークに対しても怯むことなく、落ち着いてボールを処理できる。
これこそが、曺監督が「飛び込めない間」と表現した空気を作り出している。
そして、オフザボールの状態からこの姿勢をキープすることで、判断速度を引き上げている。
先日閉幕したワールドカップを見ていても感じたと思うが、一流と呼ばれる選手は総じて判断が早い。
ボールを受けてからプレーを考えることなど、まずない。
これはルーカス ポドルスキにも、同じことがいえる。
これまた普段のトレーニングから意識を高めておくことができれば、プレー速度が格段に上がることは間違いない。
そういった意味ではヴィッセルの選手は日常から、世界最高のお手本を前にプレーすることができるのだ。
「自分とは種類が違う」などと尻込みすることなく、積極的にその技術を盗み取って欲しい。
それができたとき、全てのヴィッセルの選手が、これまでよりも一段高いレベルでプレーできるようになっているだろう。



 次にアンドレス イニエスタの使い方について考えてみる。
この試合ではアンドレス イニエスタの投入で、布陣をそれまでの4-4-2から4-3-3へ変更、藤田直之をアンカーとして、アンドレス イニエスタをトップ下のような位置に置き、前線は田中とウェリントン、そして大槻周平の3トップのような形になった。
アンドレス イニエスタは、その位置からウェリントンや田中順也にスルーパスを通すなど、違いを作り出していた。
しかしこの位置で固定するということはないだろう。
先日、スペイン代表でも見せていた4-4-2の、左インサイドハーフということも十分に考えられる。
三田啓貴やルーカス ポドルスキといった選手が入ってくると、またその兼ね合いで布陣は変わるかもしれないが、アンドレス イニエスタを攻撃陣に近いところでプレーさせるという点は変わらないように思う。
ここで大事なことは、アンドレス イニエスタ以外の選手が何をするかということだ。
これからの戦いの中で、対戦相手はアンドレス イニエスタへのマークを厳しくしてくることは間違いない。
ということは、他の選手にとってはプレッシャーが弱くなるということでもある。
アンドレス イニエスタが作り出した自由を巧く使う意識も必要になるのだ。
そうすることで、相手に混乱をもたらすことができるようになれば、ヴィッセルがゲームをコントロールしやすくなる。
逆説的な言い方に聞こえるかもしれないが、アンドレス イニエスタを活かすことができるかどうかは、偏に他の選手がその状況を活かせるかどうかにかかっているのだ。

 いずれにしてもアンドレス イニエスタという超大物が、ヴィッセルのサッカーを変質させる可能性は十分に感じ取ることができた。
と、ここまでは未来のヴィッセルに対する明るい話題だ。
ここからは、現実に完敗を喫した試合を振り返っていく。

 昨日、Viber公開トークで配信した速報版において、筆者は「『意思』という言葉が鍵になる」と書いた。
前述したように、この試合は日本中から注目されていた。
だからこそ、選手たちには「目立ってやる、という『意思』」を見せて欲しかった。
特に安井拓也や宮大樹といった、抜擢された選手には「自分がやれるということを示す『意思』」を強く見せて欲しかった。
そのためにも「意思」の感じられるプレーを見せて欲しかったのだが、湘南にペースを握られ、それへの対処に追われ続けてしまったことは残念でならない。
「気持ち」だけで勝てるほど、プロの試合は甘いものではないが、世間の耳目を引き付けたこの試合で強い「意思」をプレーで表現していたのは、寧ろ湘南の側だったことは認めなければならないだろう。

 この試合を難しくしたのが、三田の欠場であることは間違いない。
藤田とのボランチコンビでチームを支えてきた三田だが、その役割の一つが「ボールを前に運ぶ」ことだ。
自分でボールを前に運ぶことのできる三田が中盤にいるため、ヴィッセルの布陣は低い位置からでも攻撃に移行することができていた。
三田がボールを前に運ぶ役割を担うことで、藤田は最終ラインの近くでプレーし、ビルドアップの起点となっていた。
累積警告による出場停止となった三田に代わって起用された安井だが、その持ち味を発揮することはできなかった。
三田とは異なり、リンクマンとしての能力の高い安井を起用する以上、全体をいつも以上にコンパクトにしておきたかったが、湘南にその狙いを潰された。
試合序盤から湘南は前に圧力をかけてきたことで、ヴィッセルは低い位置での戦いになってしまった。
曺監督が「本当に素晴らしかった」と、手放しで自チームを称える程、この日の湘南の出気が良かったことは事実だが、ヴィッセルの選手たちが湘南の圧力を正面から受け止めてしまったのは失敗だったかもしれない。
湘南の勢いに押される形で低い位置での戦いに移行してしまったことで、安井から前線へのボールは距離が必要となり、それを相手にカットされカウンターを受けるということの繰り返しになってしまった。
 こうした湘南の戦い方はある程度予想されたものだっただけに、ヴィッセルの選手はそれをいなす形で前に出ていくことが必要だったのだが、そこでの形が最後まで整わなかった。
試合序盤、湘南を受ける形で試合を進めてしまったことが、最後まで響いた格好だ。
選手個々の技術レベルで言えば、ヴィッセルの方に分があると思っていたのだが、やはりチームが作り出す試合の勢いは、選手個々の技量でどうこうできるものではない。
 安井にとっては厳しい試合となってしまったが、能力のある選手であることは誰もが認めるところだ。
これから先、安井がレギュラーポジションを獲得するためには、自分に不向きな流れの試合をマネジメントする力が必要になる。
周りを巧く使い自分の得意な形に持ち込むのか、はたまた自分のプレーの幅を広げるのか。
どちらが正解ということはない。
いずれにしても、それだけのポテンシャルを秘めた選手であるだけに、首脳陣も期待を寄せている。
この試合で露見した弱点を如何にして克服していくのか、安井の成長を楽しみにしている。

 もう一人この試合で厳しい結果となってしまったのが、セッターバックで起用された宮だった。
宮の課題は、以前から指摘している通りだ。
状況に応じて蹴り足を使い分ける器用さが求められている。
湘南は、宮がボールを左に持ち返ることをスカウティングしていたのだろう。
宮が右足でボールを受けた時を狙って、プレッシャーをかけてきた。
センターバックというポジションの特性上、セーフティーにプレーする意識は絶対に必要なのだが、同時にプレッシャーをかけてくる相手をはずす動きも必要となる。
この試合の宮は、追い込まれてのバックパスや横パスも散見され、そうした時には味方にボールを渡したとしても、決して好ましい状況ではなく、湘南の勢いを加速させてしまった。
ここは勇気のいる部分ではあるが、相手を極力ひきつけて、前に展開することで相手の勢いを殺して欲しかった。
安井同様、宮もそのポテンシャルは高く評価されている。
高さ、スピードとも標準以上のものを持っている。
そして落ち着いて蹴った時には、左足から精度の高いボールが生まれる。
こうした能力があるだけに、一皮剥ければ面白い存在になれるはずだ。

 これは宮だけの問題ではないが、試合中のパスには「意思」が込められていなければならない。
大歓声の中では、声による指示は聞こえない可能性が高い。
であるからこそ、パスに「意思」を込め、どういうプレーをして欲しいのかを伝える必要がある。
追い込まれてからのパスが、責任逃れといわれる所以でもある。
そうしたパスを送るためにも、自分がボールに関与していない状況でも戦況を把握し、自分にボールが来たら何をするかを、常に決めていなければならない。
プロに入ってくるような選手の技術力の差は、それ程大きなものではない。
しかしその中で、ヒエラルキーが生まれるのは、結局のところ「頭の差」によるものだ。
戦況を理解し、その中で最適な選択肢を見つけることが出来る頭脳のある選手が「一流」と呼ばれるようになっていく。

 この試合の中で改めて感じたのは、最早サッカーは「止める・蹴る」というスポーツではないということだ。
もちろんその技術は必要だが、実際の試合の中ではそれほど悠長にプレーする機会など、殆ど存在しない。
アンドレス イニエスタを見ていても感じたが、やはり相手の予測を上回るスピードでプレーしていかなければ、相手を崩すことは出来ない。
「止める・蹴るが全て」という指導もかつては存在していたが、大事なのはワンタッチでボールをつないでいくスピード感だろう。
周りに相手がいないときであれば、確実に止めて確度の高いボールを蹴ることも必要になるが、殆どの場面では相手と「瞬間を奪い合う」のが、今のサッカーだ。
であるからこそ、普段のトレーニングの中からそれを意識し、瞬間的に判断することを繰り返していかなければならない。

 早い時間に先制を許してしまったことで、試合運びは難しくなったが、それをさらに難しいものにしてしまったのは2失点目だった。
渡部博文のクリアミスから相手にチャンスを与えてしまい、高い位置からのショートカウンターで追加点を許してしまった。
ここまで守備の要として戦い続けてきた渡部の疲労度は、想像するに余りある。
しかし今のヴィッセルにおいて渡部が守備陣のリーダーであり、軸となっていることもまた事実なのだ。
その渡部のミスからの失点というのは、通常の失点以上のダメージがある。
この夏の暑さの中でプレーし続けるだけでも大変なことは理解しており、厳し過ぎる要求であることは解っているが、渡部にはああいったミスを犯してほしくはない。

 0-3という完敗ではあったが、当然のことながらそれほどの実力差があっての敗戦ではない。
ちょっとしたリズムの狂いがこうした結果につながってしまうのが、今のサッカーなのだ。
ヴィッセルの攻守が噛み合えば、このスコアは逆になっていても何の不思議もない。




 この試合でJ1リーグ戦は折り返し地点を迎えた。
シーズン前半戦を終えて、ヴィッセルは6位につけている。
取り逃がした試合の数を思えば、もったいないという感覚にも陥ってしまうが、ここはポジティブに捉えるべきだろう。
首位を快走する広島との差は大きいが、力が拮抗している今のJ1リーグでは、決して逆転不可能な差ではない。
まずは広島を追走するためにも、上位争いの中心に入らなければならない。
幸いなことに、ヴィッセルには上積みの余地が十分に残されている。
今は戦列を離れているルーカス ポドルスキに代表されるように、特別な力を持った選手がヴィッセルには多く存在している。
そうした選手の力を巧く結集することが出来れば、ヴィッセルは十分に頂点を狙えるだけの力は蓄えている。
その力を正しく発揮するためにも、必要以上に相手を恐れることなく戦って欲しい。
繰り返しになるが、ヴィッセルの選手個々の力は、Jリーグでも間違いなく上位に位置している。
それを自信として戦うことが出来れば、ヴィッセルには明るい未来が待っていることだけは確実だ。
次節から始まるシーズン後半戦、この混戦を抜け出し、中原に覇を称えてくれるものと期待している。