
試合後の会見で、ネルシーニョ監督は前半と後半で戦い方が変わってしまったことを敗因として挙げた。
前半はヴィッセルが前に出ることでFC東京の出足を潰していたが、後半は一転して引いてしまったことで、FC東京に主導権を奪われてしまったというのがネルシーニョ監督の見立てだった。
報道陣からは「なぜ後半引いてしまったのか?選手交代、疲労以外に理由はあると思うか?」という質問がとんだ。
これに対してネルシーニョ監督は「相手がハーフタイムに対応してきたのだろう」と短く答えたのみだった。
そこには悔しさが滲み出ていたように思う。
これまでJリーグで数々のタイトルを手にしてきたネルシーニョ監督にとって、今季は新たな勲章を手に入れるはずだった。
昨季、シーズン後半に見せた快進撃、そのチームをベースに新たな選手を加えたチームでの戦いに、大きな自信を持っていたことは間違いないだろう。
大言壮語するタイプではないネルシーニョ監督が、シーズン前、何度もタイトルという言葉を口にしていたのはその表れだ。
しかし現実は厳しい。
YBCルヴァンカップこそノックアウトステージへ駒を進めているが、肝心のリーグ戦ではここまで3連敗を3度喫するなど、苦しい戦いが続いている。
「勝敗は兵家の常」というように、結果だけでそのサッカーを云々することにはあまり意味はないが、筆者はここ数試合『ネルシーニョ監督らしさ』が見られないことが気にかかっている。
筆者は『修正力』こそが、ネルシーニョ監督の最大の長所だと見ている。
これまでにもゲームの途中で戦況に応じて配置を変更したり、狙いどころを変える巧みさこそが、ネルシーニョ監督を名将たらしめてきた。
しかしここ数試合は、その特長が影を潜めている。
戦況が芳しくない中、効果的な策が見られない。
過去に何度か書いたように、結果論だけで評価される監督の立場には同情を禁じえない。
指揮官がどのように策を講じようとも、実際にプレーするのは選手なのだ。
この試合で最大のポイントとなったのは、小川慶治朗からハーフナー マイクへの交代だった。
ハーフナー マイクの出来が悪かったというわけではない。
むしろ存在感を示したというべきだろう。
少々理解し難い判定で70分のゴールは認められず、86分の完璧なヘディングシュートは相手GKのスーパーセーブに阻まれてしまったが、FC東京に押し込まれる展開の中で、ゴールの可能性を唯一感じさせた。
しかし小川からハーフナー マイクに変わったことで変化したバランスに対する対応策は、最後まで見られなかった。
これについては試合後の会見の中で、記者から質問が出た。
これに対してネルシーニョ監督は「攻撃に奥行きを与えたかった」ということを説明した上で、前半と同じようにボールを動かしていれば違った展開になっていたと話した。
筆者はここに疑問が残った。
ハードワークを続けられる小川は決定力こそハーフナー マイクに劣るかもしれないが、相手DFが手を焼く存在だ。
前半、ヴィッセルが試合を支配できたのは、この小川の存在があればこそであり、それがなくなった時点で、前半と同じようにボールを動かすことは不可能だったと思うからだ。

全く異なる特徴を持った選手を投入しながら、サッカーそのものには変化を求めないというのは、ネルシーニョ監督らしくない。
ハーフナー マイク投入後、FC東京が試合を支配する中、ヴィッセルのサッカーに大きな変化が見られなかった。
筆者の思うネルシーニョ監督であれば、それを修正するための交代や指示があったはずだ。
もしそれがなかったとすれば、ネルシーニョ監督自身がこの状況を打開するための策を、未だ見つけられていないということなのだろうか。
もちろん、会見での言葉が全てではない。
実際には我々ファンが計り知れない部分はあることも承知しているが、少々心配だ。
ゲームの途中で修正するというのは、実に難しい。
今週行われた全米プロで最終日には一時首位に立つなど、今や世界の頂点を目指せる位置に登ってきたプロゴルファーの松山英樹は、この『修正力』が優れているといわれている。
ゴルフをプレーしたことのある人ならば解ると思うが、ゴルフには安全という言葉は存在しない。
例え狙い通りにショットを打つことができたとしても、ボールの落下地点の芝が荒れているなどということはざらにあることだ。
そのため、常に状況に応じた修正を余儀なくされる。
逆にそれがなければ、プロの世界で勝利することは不可能だ。
そういう意味ではサッカーはゴルフにも似たところがあるのかもしれない。
常に変化する状況に対応し続ける能力がなければ、勝利を重ねていくことは難しい。
ではこの試合ではどのような対応をすべきだったのだろうか。
先述した小川とハーフナー マイクの交代について考えてみる。
ネルシーニョ監督がこの試合で採用した布陣は3-4-1-2だった。
最終ラインの中央には高橋秀人を配し、その前に藤田直之と田中英雄の両ボランチ、そして前線は渡邉千真をトップ下として、その前にルーカス ポドルスキと小川を置く形になった。
10番の仕事ができるルーカス ポドルスキではなく渡邉をトップ下に置いたのは、FC東京のボランチである高萩洋次郎にプレッシャーをかける役割を与えたためだろう。
これが前半は見事に機能した。
橋本和、藤谷壮の両ウイングバックがサイドを制圧し、高萩を渡邉が押さえ込んだことで、FC東京の前線までボールを運ばせなかった。
さらに小川が最終ラインにプレッシャーをかけ続けたことで、FC東京の最終ラインはゴール前に釘付けとなり、それに連れてFC東京の布陣全体が下がり気味になった。
この結果、FC東京の2トップである大久保嘉人と前田遼一は孤立する形となり、ボールに絡む場面を作らせなかった。
FC東京の3-1-4-2を無効化する、ネルシーニョ監督らしいミラーゲームに持ち込み、ヴィッセルが試合を支配した。
その中で小川を交代させるのであれば、ハーフナー マイクを前に残した状態で、全体をリトリートさせてでも、FC東京のサイドを押さえ込むという部分は継続すべきだったように思う。
確かにネルシーニョ監督の言う通り、ルーカス ポドルスキと渡邉の横位置が揃ってしまったことでトップ不在のような形になっていた面はある。
そのための交代だったのならば、もっとハーフナー マイクを前に残す形を徹底すべきだったように思うが、ハーフナー マイクもボールを触るために、FC東京に引かれる形でポジションが落ちてきたため、結局はヴィッセルの攻撃位置が低くなってしまっただけだった。
そのため、前でハーフナー マイクにボールを運ぶ役割として小林成豪を投入したのだろうが、これも完全に裏目に出てしまった。
久し振りの実戦ということも影響したのか、小林は全くボールを握ることができず、前線でリズムを作り出すことは全くできなかった。
藤谷が最後までサイドから攻撃を仕掛けていたが、小林との絡みの中でボールを失う場面も散見され、攻撃を寸断する格好になってしまったことは残念だった。
ベンチにはボールを握る技術の高い大森晃太郎がいた中で起用されたということは、小林には明確にミッションが与えられていたと思うが、それはプレーの中では見えてこなかった。
今のネルシーニョ監督にとって最大の課題は、ルーカス ポドルスキをチームにフィットさせることであることはいうまでもない。
逆にいえばここがヴィッセル再浮上のためのポイントであるともいえる。

Jリーグデビューとなった大宮戦で、衝撃を与えたルーカス ポドルスキだが、その後3試合はノーゴールとなった。
ノーゴールというより、まともにシュートを打つ場面が作れていない。
大宮戦で、ルーカス ポドルスキのシュートレンジの広さは誰もが理解した。
日本人選手であれば蹴るだけでも精一杯の体勢から、狙い済まして強いボールを蹴ることができるのだから、相手DFはとにかく身体を寄せてシュートを打たせないことを優先している。
本来は前でプレーして、シュートを狙って欲しい選手ではあるが、ここ3試合は自らポジションを落としてボールを受けにいくプレーが目立っている。
恐らくボールタッチをしながらリズムを作っていくタイプの選手なのだろう。
そして大事なことは、下がったとしてもそこで十分に仕事ができる選手であるということだ。
であるならば、ルーカス ポドルスキが下がった場合、その空いたスペースを誰が埋めるのかということが次の問題となる。
そこは未だはっきりとはしていない。
ポジションを落としたルーカス ポドルスキからのボールを受けた選手は、そこから攻めるというよりはルーカス ポドルスキの上がりを待っているように見えることが多かった。
それならば囲まれながらもキープする選手が必要になるのだが、そうしたタイプの選手がいないため結局はボールを奪われてしまい、攻撃のリズムが整う前にカウンターを受けてしまう場面が散見された。
そしてもう一点、ルーカス ポドルスキを活かすのであれば、ルーカス ポドルスキと逆サイドの選手の動きが鍵を握る。
この試合で何度か見せたように、ルーカス ポドルスキは一発でサイドを変えるボールを正確に蹴ることができる。
相手との距離が近い場面でもそうした長いボールを蹴ることができる技術は、さすがというべきだろう。
この試合でも左サイドでボールを持ち、逆サイドの藤谷に上がるよう要求するシーンが何度か見られた。
日本人同士であればありえない位置からもそれを要求してくるのは、自分のキックに自信を持っているからだろう。
ピッチ上の選手、特に右サイドに入った選手はルーカス ポドルスキがボールをもった場合、一気に縦に動くことでルーカス ポドルスキからのボールを引き出すことができるだろう。
逆にルーカス ポドルスキが左サイドでフリーをアピールしながらも、そこを誰も見ていないというシーンも頻出した。
これは前に述べた状態の逆で、日本人選手には難しい距離なのだが、ルーカス ポドルスキの基準では十分に蹴ることのできる距離でもあるのだろう。
こうした違いを抱えながら、今はルーカス ポドルスキ、その他の選手とも少なからずストレスを抱えながらのプレーとなっているように見える。
これを解消することは、ヴィッセルのサッカーがいい意味で変質することと同義となる。
高い位置でプレーするならば、そこまでどうやってボールを運ぶのか、ルーカス ポドルスキはどのようにボールを引き出すのか。
逆にポジションを落としてプレーするならば、どのようにルーカス ポドルスキからのボールを引き出すのかといった具合に、全ての選手が共通認識を持つまでにしておかなければならない。
今は前線には流動性を残しているように見えるが、互いのプレーを理解しきっていない中でそれをやるのは危険なようにも思える。
まずは一つ形を構築して、そこから選手独自の判断でプレーを広げていく方が、結果的にフィットするのも早いのではないだろうか。
そしてもう一人ハーフナー マイクだが、こちらはもう少しシンプルなように思う。
ハーフナー マイクには、マークされてもそれを引き剥がす力強さと高さがある。
逆に下がって捌くようなプレーヤーではないため、ポジションは自ずと決まってくる。
ということはリードされているときなどは多少ルーズであっても、ハーフナー マイクを目標に放り込んでいくというのは現実的な戦い方だ。

むしろ問題は、ハーフナー マイクからの落としが期待できる位置に周りの選手がいるかどうかだ。
クロスを入れる際にはそこの確認が必要になる。
サイドからのクロスを入れるのであれば、サイドを厚めにして相手を引き付けた上で、逆サイドの選手やボランチが前に上がり、セカンドボールに備えることができれば、ハーフナー マイクの頭は大いに有効な手段となるだろう。
こちらはシンプルな決め事になるのだが、それがこの試合では見えなかっただけに、もう一度確認して欲しい。

ネルシーニョ監督のサッカーは選手に自由を与え、そのひらめきを大事にしようとしている。
選手に明確に要求しているのは、「球際の強さ」と「攻守の切り替えの早さ」なように思える。
いわば選手に委ねる部分が大きい戦い方なのだが、サッカーを1対1の集積と考えれば、そういうことになるのだろう。
しかしその場合は、選手が90分間、脳から汗が出るほど考え続けなくてはならない。
全てのプレーに意図がなければ、単に野放図に蹴っているだけとなってしまう。
またネルシーニョ監督がこだわっている「ボールをつなぐ」という点だが、これはカウンターに出られないとき、ボールを持って相手を揺さぶりながら穴を探すための技術だった筈だ。
しかしこれがいつの間にか目的化してしまっているような印象を受ける。
ボールを持つことは、主導権を握ることに近付くが、必ずしも得点に直結する訳ではない。
やはりスピード感のあるカウンターを武器としてもたなければならない。
この試合でそれを感じたのは、19分に藤田のパスカットからシンプルに小川を走らせたシーンだけだった。
このときは小川のシュートが開いてGKにセーブされてしまったが、スピード感のあるいい攻撃だったように思う。
ここ数試合はカウンターになっても、周りの選手の上がりを待つため、途中でスローダウンしてしまい、結局は相手守備が整った中を攻めなければならなくなっている。
シンプルに前に放り込む攻撃や、スピードのある攻撃など、いくつかの形を組み合わせなければ、如何に主導権を握ろうともゴールネットを揺らすことは難しい。
この日のFC東京は、決して負けるような相手ではなかった。
サイドに蓋をした前半は、全く打開策を見つけることができないでいた。
しかしその時間帯に得点が取れなかったということが、結局は試合を難しくしてしまった。
得点が取れなかったというよりは、工夫が足りなかったといわざるを得ない。
そして守備に関してだが、ここ3試合、ボランチがかわされたところにセンターバックが突っ込んでいき、そこをサイドに展開されてからの失点が続いている。
この試合ではニウトンのミスから、失点につながった。
プロフェッショナルとしては3回同じミスを重ねるのはいただけない。
そうなってしまうのも、今のヴィッセルがオーガナイズされていないためではないか。
キム スンギュの素晴らしいセーブが毎試合出ているにも関らず、勝点3を手にしていないということは、根源的な部分に問題があるということを認め、もう一度基礎から作っていく必要がありそうだ。
デジタルで配信されているマッチデープログラム「FACE」の中で 高橋(秀)は、「神戸の選手は大人しい」という意の発言をしている。
これはヴィッセルに根ざした、『伝統的問題』かもしれない。
基本的な形が見えていない今、選手同士が主張し合い、お互いの良さを認めなければ組織は誕生しない。
仲の良いことと主張しあう関係は、「勝利」を接着剤として共存できる筈だ。
選手にとって勝つことはプライドの問題であると同時に、自身の生活をかけた問題でもある。
だからこそ主張し合ったとしても、それがチームワークを壊すようなことにはならないだろう。
むしろ本当の意味での「つながり」が生まれるのではないだろうか。
今、ヴィッセルは変革を迫られている。
ここまで選手を大人扱いしてきたネルシーニョ監督すらも、その例外ではない。
どのような組織をつくり戦うのか、そこをはっきりと決めなければ上位戦線への復帰は難しいだろう。
そしてリーグ戦は極めて厳しくなったが、まだタイトルを狙うチャンスは残されている。
そのためにもまずは練習場でチームとしての形を作り、そして試合会場で結果に結び付けていく他ない。
当たり前のことだが、それをしっかりと認識することから始めてほしい。
次戦の相手は、12試合負けなしの横浜FMだ。
前回の対戦では0-2と完敗を喫している相手だけに、今度は勝利しなければならない。
そのためにもヴィッセルの選手には、必要以上に恐れることなく思い切った戦いを見せて欲しい。
失敗を恐れるのではなく、チャンレンジしないことを恐れて戦って欲しい。