1949年シーズンオフ、リーグ拡張方針に伴うプロ球団乱立の煽りを受け各地の国鉄鉄道管理局の野球部から選手が引き抜かれる事態が発生。国鉄は同年の大幅な合理化で労使関係が悪化しており、国鉄職員の団結と意志発揚を目的にプロ球団設立を発案。当時の加賀山之雄総裁が大の野球好きであったことも、参入実現の一要因となった。日本国有鉄道法に抵触するため国鉄が直接親会社になることは出来ず、国鉄の外郭団体である財団法人鉄道協力会が主体となり、財団法人鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社(現JTB)などの企業により「国鉄野球株式会社」を設立。球団名を国鉄スワローズとした。国鉄参入直前のセ・パはともに7球団であり、切りの良い8球団にしたいという思い、それも大企業である国鉄のプロ参入にセ・リーグ関係者は色めき立っていたが、パ・リーグとの勧誘合戦により参入が立ち消えになってしまうことを恐れ、セ・国鉄内部ともに極秘扱いで計画は進められた。参入の下準備も佳境に差し掛かる頃には巷間でも国鉄参入の噂が立っていたが、国鉄がプロ球団など作るはずがないとパ・リーグは高を括っており、参入は至って順調に成功した。