うちの猫に
「腹を食い破られて
ハラワタを引きずり出された」魚。
ワタはワタでも、白くてふわふわのワタが
廊下に散らばっております。
ニホンゴ、ムズカシイ。
二十世紀の定義では
音楽に限らず
芸術=普遍性
と定義されていました。
性別年齢体調、
それから障害を持つ持たないに影響なく
座るための機能を満たした椅子
空疎による内容であっても
現実を的確に描写していたり
ここで生きる他人の心理を
理解できる形で描いたとと判断される
小説や漫画、アニメ、
老若男女年齢を問わず
またどんな体調であっても
客としてもてなすことができる
的確で洗練された動き、
など、
それまで認められたよりも
幅広く多くのものが
「芸術」と称される機会ができました。
そしてヨーロッパでは
それらの「芸術」は
もれなく
敬意の対象とみなされたわけですが
それについて
わたしが学生として
歴史や文化を勉強していた
西暦2000年前後には
どうしてこのように考えるかを
文章のかたちで
何度も触れる機会がありました。
つまり、
「医学」は体しか治せない、
心理学は他人を受け入れるための
考え方であって
心を癒す方法ではない、
他人に他人の心を癒す方法はない。
これが学問についての
そもそもの前提になるんですが、
二十世紀のはじめに
それまでになかった大規模の戦争が
2回も繰り返され、
大戦が終わり
焦土となった土地で暮らしていく中には
退役した元兵士がたくさんいたわけです。
人を殺した自分を受け入れられず、
自分が生きていることを呪い、
仲間の死の後に生きている人を呪い、
繰り返し悪夢に苦しみ、
他人が健やかに生きている光景を
現実として受け入れられない、
そのようなPTSDの症状のあとに
アルコールに溺れる人や
まるで死に急ぐかのように怪我を繰り返す
人は多く、
犯罪に手を染める人も
少なくなかったわけです。
それほどの深い傷を
心に負っていたわけで、
それは
本来の性格や
考え方
感受性を失ったと認識されましたし、
心が傷つくというのは
本来の自分を失い
本来の生活を失うことだとされていました。
それでも
共に生きていく以上は
共存できるところまで
社会をもってこなければならず
彼らを癒す術はないなどと
考える余裕の方が、ないわけです。
そしてここにおいて
「芸術」は
人が用意できる唯一の心の薬
と言われました。
それはなぜかというと
普遍性をもつ表現というのは
感覚的に普遍的なものを届ける
ということになりますから、
傷を負いすぎて
今を生きる命というものを
まったく そのどれも
受け入れられなくなっている人であっても
普遍的な感覚として
命は大切だと
自然に感じられる時間を
提供するということになります。
それは
傷を負う前の
本来の「彼/彼女」の感性を
回復させる時間であり、
人の生物としての回復力を
よみがえらせる時間となり
十分に時間をかければ
自力で自分の生活を探すことが
できるようになるとされました。
最低限として
芸術は
「彼/彼女」が本来の自分として
過ごすことができる、
そういう時間を用意することだと
されました。
このような考え方により
人生を失ったともいえる人が
人生を回復させるために
人が用意できる唯一で最後の手段として
芸術は存在する、
だから
芸術家は敬意を払われべきだ。
と、考えられました。
そして
同じ考え方のもと
芸術のレベルをはかるものさしは
技術技能ではない
とされ、
芸術に技術は関係ない
という考え方も
当時の常識としてありました。
残念ながら
この考え方は日本に
文化として浸透はしなかったのですが
考え方そのものに触れる機会は
多々あったはずですし、
現実的な話として
技術は関係ないとしても
芸術にはレベルがあります。
文化として浸透しなかったのだとしても
ヨーロッパが本家である以上は
芸術家の評価基準は
必ず影響を受けるわけです。
そのために
十分な技術技能があるとしても
芸術のレベルがどこで測られるかを
そもそも知らなければ
真っ当な努力をしていないかのような
技能のさらし方になりますし、
芸術を貶める考え方に変化していきますし
それらに対しての真っ当な評価として
「評価する理由はない」
とされてしまう。
この「当たり前のこと」は
音楽家として歩む人たちが
絶対に知らなければならない知識
ではないかと思うのですが、
文化を楽しむ側に浸透しなかったために
そのものさしに触れる機会が
今現在には
滅多にないのかもしれません。
