すみません、間があきました。


わたしは

嫌がらせでムリヤリ辞めさせられた

経験があるのですが、


録音したり録画したりの道具を並べることが

そのときのトラウマを逆撫でするみたいで


ごめんなさい。

ダメージでかくてまだ無理でした。


楽器の音が聞こえるたびに

吐き気をこらえて

動けなくなっていた頃を考えると

随分と元気になったのですが、


最近では

フラッシュバックが止まらなくなりまして。


自由になるには

まだしばらくかかります。


「"手"がわからないと弾けません」

という意見は理解しています。

もうしばらくお待ちくださいm(_ _)m






で、ちょっと聞きたいことがありまして。



わたしにとって

骨身に染み付いてる感覚は


「楽譜は弾いてもらって

それで初めて完成するもの。

書くだけでは完成しない。

だから、

"参考演奏"というものは

表現を控えめに

見た人が自分の表現を加えるための余白を

残しながら弾く」


というものです。


で、もうひとつ、


「弾く前に耳にした音源は

必ず自分の弾き方に影響を与える」


というものも結構染みついてます。


どう頑張っても

知ってる音源の誰かと同じ表現か

それに似てるというのは

アレコレ不足の表現しかできなくなることが

多く、


場合によっては


「なんだかコレ、つまらない」

と思う音源を聞いた後には

自分がつまらない表現でしか弾けない

という悩みから抜け出せなくなったり、


楽器を持たなければ

「こう弾きたい!」と強く思う

弾き方があるのに

楽器を構えると

なぜかわからなくなってしまう


という状態も引き起こしてしまう。




それでね、


わたしが作る楽譜は

ポップスとか

クラシックの簡単にしたものとかで


そういうのは


「ここが好き!」という熱意が

どこかで ほとばしって

それがあるから表現と成る、


そういう法則があるんじゃないかと

思います。


つまり、、、


いわゆる優等生的な「模範演奏」は

往々にして、つまらないものになる。

その演奏が

楽譜を買った人の楽しみを邪魔する

可能性がしっかりとある。


一方で


わたしが情熱のほとばしるに任せて弾くと

楽譜を買った人の曲や演奏へのこだわりを

否定しかねない。




参考にする音源が

たくさんあれば


それぞれの演奏から

好きな部分を選り分けてつなぎ合わせて

バラバラな表現をブラッシュアップして

ひとつの曲としてまとめ上げたら


最終的には

自分の表現と成るので


問題ではなくなるんですが、、


めーっちゃ!

時間がかかりますが!!


わたしが書いた楽譜で

そんなたくさんを

期待できないですよ。。(´-ω-`)




わたしの常識はそういうものです。

今の常識だと違うのかしら?


めんどくさい!と考えるのをやめて


撮れるようになりしだい

とりあえず撮っとけ、


となるのかしら?



どちらにせよ

まだしばらくは撮れないです。。

ごめんよぅ(・ω・`)