久しぶりに実家に帰ってました。


みんな相変わらず(笑)


でも、昔の仲間に聞かれても、

私の仕事を相変わらず一言で伝えられないもどかしさ汗


東京に戻るバスの中で、ふと思い出した魚釣りの話


釣った魚をあげて喜ばれる人。

魚の釣り方を教えて喜ばれる人。


これをお金にたとえれば、

お金をあげて喜ばれる人。

お金の稼ぎ方を教えて喜ばれる人。


勉強にたとえれば、

勉強の答えを教えて喜ばれる人。

勉強の仕方を教えて喜ばれる人。



果たしてどちらがいいのだろう?


一見、後者のような気がする。


けれど、どっちがいいかなんて、わからない。


条件が変われば、必要性も変わるんだから。



でも、これを感動に例えたらどうだろう?


感動を与えて喜ばれる人。

感動の仕組み、メカニズムを教えて喜ばれる人。



世の中に感動を与えてくれる人はたくさんいる。

スポーツだったり、映画だったり、舞台だったり、本だったり・・・

それが絡み合って、感動的な出来事だったりもする。


でも、常に感動を外から受け続けていたらどうなる?


よりもっと大きく、

よりもっと深い感動を

より貪欲に

求めはしないだろうか?


感動センスは、

その人の心のセンスだ。


自ら感動できる心をつくり、

自ら感動を生み出していけたら、

どれだけ楽しいだろう。


感動を感じとるセンスもやわらかく、

感動を自ら生み出すこともできる。


そんな自分になって、

毎日の当たり前のことをするだけで、

今までと違いは起きてこないだろうか?


そんな人が出会ったら、

そんな人が会話をしたら、

そんな人たちが一緒に仕事したら、

どんな毎日になると思う?



そう、

私がやっているのは、この仕事。



「感動できる心をもった人づくりをしています。」




これで伝わった(笑)?








えっ?抽象的すぎるって?


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