お盆に入る前に、車のウインカーが壊れて修理工場に修理に出したものの完治せず、電気技術を教えてくれた師匠の力を借りて自分でパーツ交換して治してたり(治ったぞ!)、身内の新盆とかで、スタジオ活動ネタが仕込めずうpできませんでしたー\(^o^)/。
数年前にマイブームでカメラにハマってた時に撮影したもの。
撮影地 千葉県勝浦市 PENTAX Km 300mm zoom
今年は海に写真を撮りに行ってない。
来週は海に行こうかな。
お盆休み中は音楽活動が出来なかったので、スタジオ再構築ネタがないので、今回は、そもそも「音楽に首を突っ込んだ」きっかけでも書こうと思います。
これを読んでくれている人も、なにかしら音楽の世界に入るきっかけがきっとあったはず。
そんなお話を…。
自分は小さい頃から音楽には興味があったのですが、母親の音楽嫌いが影響して、楽器にふれる機会を失ったまま成長しました。
子供のころは東京に住んでいたので、フォークブームなんかもあって、周りにアコギを担いだおねえさんやおにいさんがいて、ピアノやエレクトーン、オルガンなんかで遊んばせて貰った記憶がかすかに残っているんですけど、途中から音楽禁止令が母親から突如発令さてれて、楽器に触れることも、視聴レコードの制限とか掛けられて、レコードを聴くのもやっとだった時期があります。
そういえば、狭いアパートの中にあったステレオがいつの間にか消えていたし、大好きだったクルクル回るオープンリールのレコーダーも急に無くなった。
親に泣いて聞いてもはぐらかされて、あまりにもキチガイみたいに泣くものだからモノラルのカセットテープを買ってもらって、その時はそれで治まったんですが、物凄く寂しかった思い出があります。
5年生の時にこっちに引っ越してからはレコードは買ってもらえなくなり、お袋がいない時にこっそり古いレコードを引っ張り出して繰り返し聴いていました。
最終手段の真空管式ポータブルレコードプレーヤーだけは、取り上げられなかったんだけど、でも引っ越した先には、先住の人が置いていった古めかしいステレオがあったな(すぐ壊れたけど)あれはなんで処分されなかったんだろう。
6年生位になると、悪知恵が身について母親の財布からお金を盗んではせっせとレコードコレクションをして、母親のいないところでミニレコードプレーヤーでこっそり聴いていたりしました。
それから、時が経って中学3年の時に元々音楽好きだった亡き親父が、ちゃんとしたステレオを買ってくれて、お袋の前でどーんと大音量できけるようになったのでした。
「反撃開始だぜっ!」
へへっ、ざまあみろとばかりにのめり込んで、学校でも音楽のメロディーで勉強は上の空。同世代の聴かないような音楽も聴いたりしてました。
おかげでおバカです。
高校三年のときにはすでにフルセットのオーディオが部屋の壁に並んでいたし、レコードも100枚近くはあったんですよね(一枚2800円前後だったので単純計算で28万円か、バブル期とはいえ、よく集めたな)。我ながらとんでもないクソガキだと思います。
物持ちがいいので、高校時代に買ったアルバムは今でもスタジオの隅を陣取っています。
高校時代からエアーチェック(FMとかのラジオの音楽番組を録音編集して録りためること)にハマり、収録も頻繁にやってたので、カセットテープの消費もかなりあった。当時46分録音出来るテープの値段が400円前後で月に10本近くは買っていたから同世代のやつより消費してたはず。年中聴いているのですぐに伸びてしまって買い直すしか無かったし、今みたいに簡単に音楽が聴けなかったんですよ。
学校の帰りにはほぼ毎日レコード屋に入り浸り。
購入資金は、かーちゃんの財布がATMだよ〜ん。暗証番号はサイフの隠し所だ。マジくそガキ!
バブルに向かってたから、お金が転がってた。
自分は、一人っ子のせいか物の貸し借りが嫌いで、レコードも自分で買い集めないと気がすまなかったので買い集めてました(そもそもヤツらと聴いてるジャンルがちがうし)。
おかげでレコード屋のお姉さんと仲良くなって、古くなったポスターや、ノベルティーを沢山もらいました。
母親の音楽嫌いには謎があって、先日家を掃除をしていたらレコードが押し入れからたくさん出てきたので、なんでこんなにレコードがあるんか??って思ったので、聞いた所、昔は二人ででよく聴いていたようです。
核心部にふれると話してくれないので、なにか複雑な事情があったんだろうと思い、それ以上は聞きませんでした。
音楽を聴く側から、作る側に変わったのは1989年に聴いていた音楽です。
きっかけは、岡村孝子さんです。
岡村孝子さんがかなり影響してるというか、この人が引き金になってMIDIにのめり込む事になりました。
普通だったら、テクノ系のアーティストに影響されるとか流行りのバンドとかのコピーで入りこむのが多いハズ。
自分の場合は高校時代は、アイドルとか流行歌より東海林修とか富田勲、喜多郎。姫神せんせいしょん、シャカタクなど、シンセサイザーがフィーチャリングされたものを好んで聴いていたので、流行りの曲のは殆ど聴いていなかったから流行歌を聴く習慣がなかった。
唯一持っていたアイドルのアルバムは「松本伊代」さんのアルバム。
姫神せんせいしょん 奥の細道
夜間飛行 東海林修
シルクロード 喜多郎
シャカタク ナイトバーズ
山口美央子 月姫
このアーティストについては、後日改めて書き込みします。
高校をでたころにはこれらも聴かなくなり、夜中にやっていた、小林勝也氏がDJを努めていたベストヒットUSAとか洋楽に夢中になっていました。
同世代のひとは見てたはず。
昨今のMVもこれらが起源になってますよね。
ハワード ジョーンズ ヒューマンズリブ
この頃はプリンスとか、フレディーマーキューリー、シンディローパー、ネーナ。などなど…メタルのW.A.S.Pなんかも夢中になって聴いていました。
カーラジオもFENとかよく聴いていた。
FEN(現在はAFNアメリカの軍事局が運営するAMラジオ810Mhz)
日本のミュージシャンで聴いていたのは、元ミスDJの飯島真理さんと斉藤由貴さんくらいっだったかな。
そんな中で耳に飛び込んできたのが、岡村孝子さんの「風は海から」「夏の日の午後」のイントロ。
ピコピコピコ…で始まるとてもインパクトのある曲でしたね。
実際はCDの完成版を聴いてもらうといいのですが…
ユーチューブ上では、著作の問題か何かでCD版がうPされていないので、ライブ版を貼り付けて置きます。
この頃は、イカ天ブームとかの影響でバンドサウンドが全盛期で、音楽スキルとメンバーが揃わないと出来ないものとばかり思っていたのですが、この曲を聴いた時はどうやって作られているのか知りたくなり、調べているうちにどうやら電子楽器を制御しているらしい事が判明。
岡村さんのアルバムのライナーノーツを見ると、「シンセサイザーオペレーター」と言う文字が各所にあって、これはなんだ?これは??。作詞、作曲、編曲、楽器の演奏以外に裏で動いているメンバーがいるのに気が付き、音楽雑誌等で調べていったらMIDIというものに出くわしてそれが「打ち込み」というやつでそれ以来、沼りました。
BGM:岡村孝子
/exit