私は双子の妹として小さな街の小さな病院で産まれた。

早産もあり未熟児だった姉と私は呼吸機能が未熟でもって先に出てきた姉には私のヘソ脳が首に絡み付いていたらしい。

母は姉を産んであまりの陣痛の痛さに気絶をしてしまいお腹の中にいた私は取り残されてしまい酸欠状態。

分娩室は慌ただしかったらしい。

なんにせよ私をださなければ姉も私も助かることはない。

母を叩き起こしながら三人の助産婦さんと看護士さんが母の腹の上にのっかり私を押し出したと聞いた。

やっとのことで出てきた私も姉も仮死状態…一刻を争う感じの中、息を吹き返したのは私だけだった。

父は母に姉の死を言えなかったらしい…

保育器の中にいる私を見て微笑んでる母に父は“もう一人はまだ危ない状態だから会えないんだよ”って言ってたらしい。

父はヒトリ…母に気づかれないよう姉を火葬し埋葬した。1ヶ月ちょいで私は退院でき小さなアパートに小さな部屋の真ん中にある長方形のコタツテーブルの上にひいてあるベビー布団に寝かされた。

その間も母は娘に会わせてもらえないもどかしさと疑問を抱きながら父を信じてた。

もう隠せないと父は覚悟を決め母に告げた。
“一人はダメだったんだよ…”
って・・・

母は気が狂った。

毎日父がふと目を離せば
“あの子を迎えにいかなきゃ!”
と家を飛び出してしまってた。

父はそんな泣きじゃくり正気を失った母の傍を片時も離れなかったという。

父も辛かったと思う。
約2ヶ月後母も現実を受け止め始めた時、父は始めて母を姉のお墓に連れていった。

母は一度もこの腕に抱けなかった小さな娘の遺骨を優しく抱き締めた。

五月に産まれた私たちには“さつき”と“あおい”と名前がついた。

“さつき”の由来は母がサツキの花が好きだったので父が出産届けと死亡届けをだしに行ったときその場で決めたと聞いた。

“あおい”はなかなか決まらず悩んでるとき母が嬉しそうに私を抱きながら母乳をくれてるとき病室の窓から見えたのがタチアオイと言う花だったからと聞いた。

雑草なのだが真っ直ぐ空に伸びた茎にたくさんの綺麗な大きな花を咲かせる。

父は“雑草のように強く何にも負けず真っ直ぐ育て!”と思いを込めて…

双子だったのは知ってたがそこまで深い話を聞いたのは私の二十歳の誕生日のときだ。

父と母と私で酒を飲みながら話してくれた。

二人は懐かしさに浸りながら笑ってた…