京都は、せせらぎの聞こえる街だと思う。
街の真ん中には鴨川があり、人々は橋で待ち合わせをし、川のほとりに座ったり、そぞろ歩いたりする。
先斗町や祇園を流れる高瀬川、白川の情緒も素敵。
そんな京都の中を流れる幾つもの水の流れの中で、私は疏水が特に好きだ。
南禅寺に行くと、琵琶湖からひいた疏水の流れる水路閣がある。南禅寺の境内になんとなくヨーロッパの水道橋のようなあって、その水の流れに沿って歩いて行くと、以前は水運に使われていた蹴上インクラインという高低差のあるところを船をレールに乗せて運ぶ、線路上に出る。
水路閣の下。
岡崎のあたりから、南禅寺に向かって疏水沿いを歩いてゆき、インクラインの手前で左折すると、そのあたりから道の脇を流れるサラサラという水の音が心地よく感じられる。
私は、早朝の南禅寺に行くのが好きだ。
数年前、夏の朝早い時間に南禅寺を訪れた時のこと。
散歩中のある年配の男性に声をかけられた。苔むす石に腰掛けて、私はその人の話に耳を傾けた。
ここに植っている植物はみんな、用途があって植えられているととその人は話した。
例えば、この葉っぱは、葉書の語源になったものですわ。と、サラサラと近くの小枝で葉の裏側に縦書きで漢字を記すと
くっきりと字が葉に浮かび上がった。
あとは、やはり薬効のある植物や木が多いのだそうだ。
昔は、お寺が大学であり、病院であり、土木工事もしたということを教えてくれた。
それから、印象深かったのは、東山の庭は月の光の下で見る庭なのだということだった。
私は、銀閣寺の白い砂山や模様のついた砂の庭園が、月光の下で静かに輝いているのを想像して陶然とした気持ちになった。
でも、南禅寺はやはり朝が気持ちがいいし美しいと思う。山門にたどり着くと、門の向こうの緑が眩しい。
手入れの行き届いた参道が清々しく、ここに来ると真っ直ぐですっきりとした気分になる。
お詣りをしたら、右手の水路閣の下をくぐり、橋の上の流れまで登って行くと、水の流れの脇を歩いていけるようになっている。
そして、道は蹴上インクラインへと出る。
もう使われていない線路の周りには、草が生え、木々の緑が濃い。
坂道を下り、今度は哲学の道へと歩いていった。
哲学の道も、疏水のせせらぎ沿いの道。朝早いので人がおらず、ただ鳥たちの囀りが響いていた。
口笛で鳥の声を真似しながら、息子と2人でのんびりと哲学の道を歩く。
こんな緑と水路の道は、イギリスにもあったねと言うと、息子が植物の種類が全然違うと怒ったように言った。
この長閑で心地よい散歩道も、あと数時間もすれば観光客の話し声でうるさいほどの混んだ場所になるのだろうから
朝早く来られてよかった。