ローテンブルグの城壁をくぐった時に覚えた既知感。

それはカミーノ・フランス人の道を旅した時に新しい村や街へ入っていくのと同じ感覚だったからだった。

 

街のインフォメーションセンターに入った時にも、カミーノを思い出させる何かを感じた。

見覚えのあるホタテ貝のマークが目に飛び込んできた。

 

そう。ここもカミーノの道上だったのだ。

 

サンティアゴ・コンポステーラ(北スペイン)へ巡礼する人たちはヨーロッパのいろんな道を歩いていくので

たくさんの道がある。

一番有名なのは、南フランスからの800キロに渡る道。他にも、ポルトガルから北上する道、ポルトガル人の道やイギリス人の道などもある。

私が知り合った人の中ではスイスから歩いた人や南イタリアから歩いてきた人などもいた。

 

そして、ドイツにもいくつかあるだろう巡礼路の一つがここローテンブルグを通っているのだった。

驚いたことには、私たちの泊まったホテルの隣が聖ヤコブの教会だったことだ。

 

 

なんだか、カミーノに呼ばれたような気がした。

カミーノで知り合った友達に写真を送ってみた。

 

韓国で、オーストラリアで、ドイツで、シンガポールで、スペインで、メキシコで写真を受け取った仲間から

メッセージが届いた。

こんなに遠く離れても、私たちには共通の思い出を通して繋がっている何かがある気がした。

 

 

あの日々、私たちはただ日の出と共に歩き始め、ホタテ貝の示す道のりを歩く。それだけをしていた。

そして、素直に歩く辛さ、目の前に広がる自然の美しさ、通り過ぎる村に沈んでいる歴史、時には気候の厳しさを感じて、知った。

生きることに、なんの策略もなく、面倒臭い知恵もなく、ただ起こることを受け止めて感謝して歩く。それだけの日々に魂が救われるような気持ちになった。

 

ほんの一年半で、私の心はカミーノから離れてしまっていたのだなと気がついた。

 

そういえば、夫がパウロ・コエーリョの「アルケミスト」を読んだよ。と数日前に言った。随分と前に勧めたのを私は忘れていた。

パウロ・コエーリョは「星の巡礼」というカミーノのことを書いた小説でも有名な作家だ。

さらにその翌日に、スーパーで買い物中に偶然出会った夫の同僚にも「アルケミストを彼に勧めたのはあなたなのでしょう?私も大好きな本なの」と言われた。

 

ホテルの隣にヤコブの像を見た時に「これって何かのサインなのだと思う?」と聞いた私に夫は「アルケミスト」にもあるように、サインだと思えばサインだろうし、そうじゃないと思えばそうじゃないんじゃない?

と言った。

そんな部分あったかなあと本の内容を細かく覚えていない私は、その本を再読しなくてはと思った。

 

そして、私はこの聖ヤコブとの再会をあるべくしてあったことなのだと思うことにした。