昨日から心がずっと濡れたままのような感じだ。冷たくってびしょびしょして、スースーする。

 

昨日の朝、起きたら猫のみーちゃんの体はこわばって魂のない状態になっていた。

おとといは、もうおぼつかない足取りだったし、もう水も飲まず、じっとしていた。強い匂いがしていて、体はまるで羽のように軽くなっていた。

だから、もうそろそろだというのはわかっていた。

そんなに軽かった体は、なぜか死んだ後、重たくなっている気がした。

 

とても不自由そうで、見かけもすっかり変わってしまったみーちゃんだったけれど、それでもそこにいて、息をしていたのが

そこにはもういない。

安楽死を勧められてから、痩せてしまって、毛もボサボサになって、涎を垂らして、血や瘡蓋がついたみーちゃんを見ると心が沈んだけれど、そんな姿でもミルクをせがんだり、背中をなぜるとゴロゴロいうので、みーちゃんは生きたいのだなと思っていた。

 

庭に穴を掘って、みーちゃんを埋めた。

1日に何度も、その場所をぼんやりと眺める。 その時に心が濡れた冷たいガーゼかなんかで包まれているみたいに、ひんやりして濡れたような感じがする。

具体的に言葉にすれば、きっと泣き始めてしまうだろうから、人には話さない。

 

昨夜、娘が白にうっすら桃色が滲んだようなチューリップの花束と夕ご飯を作って、訪ねてきてくれた。

それで、2人で犬を連れて海岸に散歩しに行って、家で一緒にご飯を食べた。

私が話したくないのを察知して、娘は猫の話はしなかった。

思いやりがあるなあ、優しいなあと私は思った。

 

 

昨日の朝、他の猫たちは、そこでみーちゃんが死んでいるというのに、朝ごはんをくれと元気いっぱいにねだり

犬も、気づいていないのか、大いに尻尾を振ってご機嫌だった。

そんなものなのだろうか?

 

↑あらゆる布でカバーされているソファ。それでも汚れるし毛だらけになるし爪研ぎされてボロボロ。ま、いっか。

 

私も、昨日は通常通りに仕事に出かけ、今日は友達とランチに出かけ、沢山喋って沢山笑った。

でも、心はずっとビチョビチョに濡れて冷たいままだった。

 

そんなものなのだろうと受け入れるしかないから、冷たくて濡れたままにしておくことにする。