お弁当の時間について前回ブログで書いたら、素敵なコメントをいただいた。

その中の、アルミのお弁当箱に入ったお稲荷さんのお弁当というのを読んだ時に、四角い鈍く光を反射するアルミのお弁当箱に、ぎっしりと詰まった、しっとりと味の染みたお稲荷さんが、はっきりと思い浮かんで、味まで想像が出来て、ああ美味しそうだなあと思った。

 

キャラ弁、可愛いお弁当、オシャレなお弁当の写真ばかりを目にするこの頃。

お母さんたちは心を砕いて、キラキラ弁当を作っている。

ゆで卵を型に入れたり、プチトマトでハート型を作ったり、一口サイズの色とりどりのおにぎりを入れたり。

大人のお弁当だって、彩りに気を配って、バランスが良くてスマートな見かけだ。

 

お父さんの晩酌のつまみの残りがおかずだったり、丸っこくてでっかいお握りだけだったり、そんな素朴なお弁当のことを思った。

昔、私の友達は、育ち盛りの息子のために、いつもバッグに大きめのお握りを一つか二つ入れていた。「お腹すいた〜!」という声が聞こえると、そのお握りの出番となった。

子供たちを連れてビーチに出かける時に、おにぎり、きゅうりの塩もみ、スイカなどをクーラーに入れて行き、潮と砂にまみれて、お腹を空かせた子供たちと食べるのは楽しかった。なんの飾り気もなく単純なのに。

学校で、あるいは遠足やスポーツの後でのお弁当。働いて、お腹が空いた時のお弁当。

そんな時に食べるお弁当は、見かけがおしゃれでなくたって、しみじみと美味しいことを思い出した。

 

唐揚げや、野菜の肉巻きや、玉子焼きなどがぎっしりと詰まった豪華な行楽弁当みたいなのも、それは心が浮き立つだろうけれど、あんまり頑張りすぎてないのも、いいよね。と思う。

 

あえて、見かけにこだわらず、質素でも美味しい、素朴弁当、ちょっとダサい弁当というのを、あえて作って楽しみたくなった。