カミーノ32日目〜水の底に沈んだ街〜 | ケンブリッジ生活・サンディエゴ生活

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2019年からのイギリス・ケンブリッジ生活を機にブログを始めました。2023年春からは、アメリカのサンディエゴに暮らしています。

カミーノ32日目。Portmarin~Palas de Reí

 

ポルトマリンの丘の一番高いところには大きな教会があった。

丘の中腹に立ち、今日歩く道標を探している巡礼者がいたので、教会を指差して

あの方向だと思いますよ!と声をかけた。

すると、その年寄りの巡礼者は少し考えて「いや、いつも西に向かって歩くんだ」

と反対方向に歩き始めた。

それは昨日登ってきた坂道を下る道のりだったので、私は混乱した。

 

なぜなら、いつも巡礼路に村がある場合、カミーノはその中を通り抜けてゆく道筋になっていたし、村が、丘になっている場合、一番上には教会があり、そこに向かって道は伸びていて、教会の先に進んでいくようになっていたからだ。

 

見ていると他の巡礼者たちも、その老人が進む方向にどんどん歩いてゆく。

私は少し恥ずかしくなりながら、他の人たちの後をついて歩いていった。

 

後で知って納得したのは、この丘の上の街は移された街だということだった。

元々の巡礼路にあったポルトマリンは、貯水池の底に沈んでいるのだそうだ。

だから、丘の上の教会を通過するのではなく、街から折り返すようになっていたのだ。

 

 

途中でセイと会った。私と歩くときはずっとスピードを落として歩いてくれるのだけれど

普段はとても歩くスピードが速い彼は、サリアから歩き始めた巡礼者に軽く苛立っていた。

彼らはグループで賑やかに歩き、人数が多いので道を占領していることがよくあったからだ。

明日は早い時間に出発して、もっと人数の少ない道を歩くことにするよ。

とセイは言った。

 

足を痛めて、オセブレイロの山道を馬で登ったシンディはどうしたか聞いてみた。

(シンディとセイはとても親しくなっていて、毎日連絡を取り合っていた)

彼女は足の痛みがひどいのでサリアから電車でサンティアゴまで、数日前に行ったのだそうだ。

そこでカミーノで出来た友人たちがゴールするのを待っているらしい。

ところで、サリアからの100キロは毎日2個のスタンプを押してもらわないと巡礼の証明証がもらえない。でも、シンディはもうこれは2回目のカミーノなので、今回は証明証はいらないからいいのだそうだ。

 

もう一月以上も歩いているのに、まだ歩くのは楽ではなかった。

むしろ、少しづつ疲労が体に蓄積されてきているようで、回復に時間もかかるようになってきているように感じた。

毎日20キロを過ぎると、痛みと闘いながら歩くのは変わらなかった。

ただ、この頃私たちが学んでいたことは、無理をしたり、痛みを無視したりしないということだった。負担が大き過ぎると故障につながるという例を幾つも見てきていた。

セイは膝が痛いと言っていて、途中で休んでいくというのでそこで別れた。

 

パラスデレイの街の泊まろうと思っていたホステルはベッド数が92もあるのに、満員だった。

なので、街の中心からは少し離れたZendoiraという宿にチェックインした。

とても近代的で綺麗なホステルだった。

 

シャワーを浴びて、洗濯もして、ラウンジでビールを飲んでいると、数日前に一緒にビールやワインを飲んだイタリア人グループの1人サンドロがやってきた。

 

これから街のバルで仲間と会ってビールを飲むんだけど一緒に来ないかと誘ってくれた。

断ると、じゃあ、後で一緒に買い物をして夕ご飯を作って食べよう。という。

5時にラウンジで待ち合わせることにした。

 

買い物にいったスーパーで、サンドロが塩、パスタ、オリーブオイル、チェリートマト、ニンニク、パン、パルメジャーノを買い、私はワインとチーズを買った。

 

ホステルのキッチンには必要なものは全て揃っていた。

サンドロは手慣れた手つきでスマートにワインのコルクを抜いて、料理の支度を始めた。

彼は、夏の間は故郷のイタリアのリゾート地で働き、シーズンオフはスイスなどのホテルでバーテンダーをしているのだそうだ。

道理で、動きに無駄がなくて洗練されていた。

 

私がパンやチーズを切ったり、お皿を用意している間、彼はたっぷりのお湯を沸かし、ニンニクを刻み、トマトをカットした。

鍋にたっぷりとオリーブオイルを入れるので「そんなに?そんなにオイルを入れるの?」と驚く私に、片目をつぶって「トラストミー」と言った。

温まったオリーブオイルにニンニクを投じ、香りがたったところで半分に切ったチェリートマトを1パック分ジャッと投入した。スペインのオリーブオイルはとてもいい香りがした。

沸いたお湯には、塩を結構沢山入れて、パスタを茹で始めた。

鍋の中ではとろりとしたトマトソースが出来つつあった。そこに少しパスタを茹でているお湯を足したり塩加減をみたりする作業にリズムがあり、見ていて楽しかった。

 

パスタが茹であがったときには、ソースはちょうど完成していた。

その鍋にパスタを入れてソースと和え、フォークでくるりとお皿に盛り、パルメジャーノをサラサラとかける一連の動作が流れるようで素晴らしかったので私は拍手をした。

 

 

目の前にお皿が置かれ、サンドロが「ボナペティート!」と言った。

 

 

乾麺のパスタがこんなにもっちりするものなの?というくらいに麺がもっちりして

トマトソースがとろりと絡んで、最高に美味しいパスタだった。うわ!美味しい!オリーブオイルあんなに使って心配だったけど、完璧!と大喜びで食べる私を見てサンドロは満足そうだった。

私たちは、パスタを食べ終わった後も、ワインを飲みながら、あれこれお喋りをした。

話題は、最近みた夢の話だとか、サンドロの女性遍歴の話だとかで、笑える他愛のない話だった。

そのうちに、カミーノを歩く理由のような話になり、彼はインスタグラムにのせたビデオを見せてくれた。

 

バーのようなところでトランペッターが演奏をしている。フォーカスが手前に移ると小石をのせた手があり、その手が握られる。

画面が変わって握られた手が開くとそこは、カミーノの鉄の十字架の前だ。

その手は、小石を十字架の下に置く。音楽はずっとトランベットの演奏だった。

 

昨年の冬、リゾートのクラブのオーナーでDJの親しい友達が交通事故で亡くなったのだそうだ。そのことをきっかけに考えることがいろいろとあったらしい。

サインはいろんなところにあった。とサンドロは言った。

そのサインは自分をカミーノに導いていた。だから来た。そして友達に捧げるために小石をイタリアから持ってきて、鉄の十字架の下に置いてきたと言った。

 

その夜は遅くまで私たちは、話をした。

 

翌日、サンドロから携帯にメッセージが届いた。

『何が起こったのかわからない。あの友達へのリールがバイラルになってる」とある。

もう1週間も前に投稿したもので、ポツリポツリとイイネ。があるだけだったのに

突然、急にリールの再生数がうなぎのぼりに上っているらしかった。

 

後数日でサンティアゴに到着し、私たちの旅は終わる。

そのせいか、人々との心の距離がどんどん近くなるような日々だった。

 

この日の移動距離は25キロ。歩いた歩数は43,788歩。

使ったお金は35€くらいだった。