カミーノ24日目。San Martin del Camino~Astorga
朝7時に出発。清らかな夜明けの時間。
歩き始めて2時間を過ぎた頃、Puente de Orbigo という長く美しい橋を渡った。
この橋は13世紀に作られたもので、この橋の有名な話を読んだことがあることに
私はずっと後で気がついた。
1434年。レオン出身の貴族。ドン・スエロ・デ・キニョーネスがこの橋の上で挑戦者たちと次々に戦ったという話だ。
きっかけはある美しい女性への失恋だった。
その女性の愛を得るためか、拒絶されて傷ついた誇りを取り戻すためだったのか、戦いの理由はわからない。
彼は1ヶ月の間、毎日挑戦者の騎士と戦うと宣言し、昼間は戦い、夜は宴を開いた。
そして1ヶ月後、彼とその仲間たちはヨーロッパ中からやってきた挑戦者たちと戦い、全員を打ち負かしたのだった。
彼らは、その後サンティアゴまで旅をして、サンティアゴに感謝を捧げた。
この戦いを境に貴族たちはお互いに闘うことをやめて、代わりに巡礼者を狙う盗賊たちと戦うことにしたという。
この歴史的な橋からさらに2時間半ほど歩くと、丘の上に十字架が立っていた。
そこからは遠くに街が見えた。それはこの日の目的地のアストルガのようだった。
丘を下り、透明な水の流れる川を渡るとアストルガは目の前だった。
巡礼路の古い街は大抵、小高い丘の上にある。アストルガも街の中心地に向かうのに坂道を登っていかなければいけなかった。結構急な上り坂で、最後の力を振り絞るように息を切らせながら
坂道を登った。
アストルガは大聖堂のある街で、お店もたくさんあるはずなので、私は楽しみだった。
それに、この日はホテルを予約しておいたのだ。
自分1人の部屋にバスタブが待ち遠しかった。
坂を登りきると市庁舎の前の広場に出た。
広場を囲んで、カフェやバルが並んでいて、自転車関係のイベントが行われていて盛り上がっていた。
ホテルを探して歩いていると、1人の中年男性がにっこりと笑って
「Buen Camino!」と言って、持っていた紙袋の中から揚げたてのドーナツを出して、くれた。
「Gracias!」と微笑んでお礼を言って、写真を撮った。
親切な知らない人がくれた!とキャプションをつけて夫に写真を送った。
夫から「知らない人がくれたものを食べちゃいけないよ」と返事が来たときには、ドーナツはすでにお腹の中だった。
アストルガは観光客が多く、ワインやお土産用の生ハムやチーズはここでは高価だった。
ホテルにチェックインをした後、大聖堂とアストルガ司教館を見学しに行った。
アストルガ司教館は、司教の住居として設計されたらしい。設計したのはあの、アントニオ・ガウディ。そこは聖なるお城といった感じだった。
白い壁はふっくらとした柔らかみがあって、アーチや木のドア枠の茶色との組み合わせに温かみが感じられる。
白い壁や天井の陰影とステンドグラスの色と光が、美しい。聖なる清らかさのある空間が広がる。
ロマネスクやゴシックの大聖堂が、暗くて冷たくて、荘厳なのに比べて
ガウディの作る建物はずっと新しいとはいえ、柔らかくて清らかで、端正だと思った。
そのあと街を歩いていたら、リーに会ったり、イタリア人のマリアンヌに会ったりした。
この見知らぬ土地で、あっちでもこっちでも、顔見知りに出会って立ち話した。
なぜ、みんながこうして街をうろうろしているのかというと、、、日曜日のアストルガはディナーの時間(8時)にならないと店が開かないので、食べ物を求めて彷徨っているのだった。
バルでさへも7時半にならないとタパスを並べないというので、私はビールを飲みながら、お腹を空かせていた。
結局そのあと、私は夕飯の時間までホテルでゆっくりバスタブに浸かってヘアトリートメントをしたり、ヨガをしたりした。
そして、外は少し寒かったので、ホテルのすぐ隣のレストランに入った。ミシェランの星付きレストランだった。
カモ料理を頼んだ。
クランベリーソースがかかっている。肉は硬くてしょっぱすぎた。
多分、シェフは星がついた時とは違う人なのだろう。
↑イースター時期限定のデザートらしい。
これは、フレンチトーストのようなもので、シナモンがかかっていた。バニラアイスと一緒に食べた。
ホテルの部屋は広くて快適だった。クイーンサイズのベッドのサラッとしたシーツの中に入って寝返りをうったり、ベッドの上で回転できる広さを満喫した。
宿代は39€だった。
このホテルには温水プールやスパがついていたのだけれど、その利用料は別料金だった。
水着を持ってこなかったことを後悔した。
次に旅をするときには水着は忘れないようにしたい。
さて、この日の移動距離は24.6km。歩数は46,538歩。
使ったお金は80€だった。