カミーノのフランス人の道は、南フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーが出発地点になる。
前日にそこにたどり着いて、4月1日に徒歩の旅のスタートをしようと決めた。
3月31日。イギリスのケンブリッジでは雪が降った。
朝起きて、外を見るとヒラヒラと白い雪が舞っていたのだった、、、。
その前はずっと暖かくて、数日前にはフランスの飛行先のビアリッツでは海水浴をする人々がいるくらいの陽気だったというのに、、、。
まさか雪の出発になるとは思わなかったと、白い息を吐きながら、ずっしり重いバックパックを背負い、ニット帽をまぶかにかぶって、家から駅へ向かった。駅までは徒歩5分。そこからは、ロンドン・スタンステッド空港への直通の電車に乗れば40分で空港に着く。
ところで、スタンステッドからフランスのビアリッツまでの航空券はたったの10ユーロだった!
結局、荷物や席の指定や税金などを入れたら、64ユーロほどになったけれども、それでも安い!
この日の予定はビアリッツに夕方の4時25分到着。
空港からバイヨンヌ駅までバスで移動。30分かかる。
バイヨンヌ駅からサンジャンへの最終電車は6時35分発。
入国審査の時間などを考慮しても、少し余裕があるくらいかなと思っていた。
サンジャンの宿泊所への予約も入れてあるので、まあ、フランスに着いたら、インターネットで詳しいことは調べよう。と気楽にいた私。甘かった。
まず、飛行機が1時間遅延した。このままだと、電車に間に合わないかもしれない。乗る予定の電車はその日の最終電車なのだ。
もし、そうなったら、ビアリッツで宿を探すか、タクシーで、サンジャンまで行くか決めなくてはいけない。
入国は意外に呆気なく早く済んだ。さあ、バス乗り場を探すかという時、インターネットが全然使えない。
そこで、バスの運転手にバイヨン駅に行くか、聞いたのだけれど、返事がフランス語😭
わからない。
でも、2台目がどうやら、駅にいくみたいなので、飛び乗った。
マスクをして!と言われたので、大慌てでバックパックからマスクを取り出して、とても不安な気持ちでバスに乗る。
一般市民に混じって、大きなバックパックを持ってバスに乗る私は明らかに浮いていたと思う。
次のバス停で、乗ってきた女性が私がマスクを出すときに、多分落としたのであろう財布を拾ってくれた。
ああ!もし、彼女が拾ってくれなかったら、私は気がつかないでバスを降りていたかも。
だんだん、不安になってきたので、運転手さんに、駅はどこで降りたらいい?と英語で質問するも、英語とフランス語を交えて、運転手さんが言ったのでわかったのは、橋を越えたあと。とのことだった。
そのうち、川が見えてきて、橋も見えてきた。
その時、橋の手前に大きな駅のような建物が現れた。橋の前だけれど、ここに違いないとバスを飛び降りた。
そこは、シアターだった!↑ここが本当の駅。
ちゃんと、運転手さんの指示に従うべきだったのだ。
なかなか英語が通じなかったけれど道ゆく人に聞いて、駅はやはり橋の向こう側だとわかった。
電車の出発時間まで10分ほど。
歩いていたら、間に合わない。走るしかない。
ユサユサと揺れる大きなバックパックを背負って走る私は、かなり緊迫した顔をしていたに違いない。橋を走り抜け、駅の時計塔を目指していった。
バイヨンヌ駅やその周辺は、古くて瀟洒な雰囲気でゆっくり見る余裕がないことが残念だった。
電車には奇跡的に間に合った。
あとは、途中で乗り換えて、サンジャンまで鉄道で行くだけだ。
電車の乗り換え地点で、バスへと誘導された。サン・ジャンへ行くという。
よく意味がわからなかったけれど、バスに乗った。他の人も、キョトンとしてお金を払うと言っているのだけれど、バスの運転手さんは必要がないという。
車窓からの景色は山岳地帯の田舎という感じ。
バスの終点には巡礼者の像があった。いよいよ始まるのだ。
他の人について、城壁に囲まれた村へ入ってゆく。Googleマップが使えないので、まさに右も左もわからない状態。
もう時間は夜の8時。
気温は12度くらい。結構暖かい。ポツポツと雨が降っている。
白い壁に赤い扉の家々。
予約をした時の宿泊所の住所を探していたら、その住所らしきところは、どうやら普通の民家のようだった。上階の窓からフランス語でお婆さんが話しかけてくれたのだけれど、言葉が通じずに困っていたら、そこにいた韓国人の男性が流暢なフランス語と英語で、通訳をしてくれて、宿への行き方がわかった。
ここは、まるで中世のお伽噺のようなところで、あまりの現実感のなさに私は眩暈がしそうだった。違う時代にやってきてしまったみたいだ。
ヨーロッパでは、建物に建てられた年が刻まれていることがある。
イギリスで、私はビクトリアンやジョージアンなどの古い家に普通に人が暮らしているのを見て驚いたのだけれど、1800年代なんて、最近!というように、建物には1500年代の年代が刻まれているのでビックリした。
私がたどり着いた宿も1582年からある建物だそうで、オーナーは、パリで仕事をしていたのだけれど、このカミーノを旅してから、本当に幸せな生活をするためにここを改修して、ホステルをすることにしたのだと話してくれた。お金は全然なくなっちゃったけど、幸せ。と言っていた。
カミーノを歩く際のアドバイスをしてくれた。
歩いている間、水分を摂ること。
レースではないから、自分のペースで歩くこと。
そして、その時その時を楽しむこと。
などだった。
宿のチェックインを終えて荷物を下ろし、食事をとるために外に出ると
カランカランという音とともに道を羊が占領していた。
長々と続く羊の群れ。前後には、長い杖を持った羊飼いが歩いていた。
中世の村にタイムトリップしたのかと思うような、不思議な光景だった。
薄暗い橙色の街灯の下を通り過ぎてゆく羊の群れを、少し呆然としながら見送った。
レストランで開いているお店は2軒ほどしかなかったから、店内はとても賑わっていた。
バスで一緒だったアメリカ人の女性と会ったので、席を共にし、隣に座っていたカナダ人男性たちと話をしながら、バスク料理のカモ肉を注文して食べた。
食事を始めたころ、大粒の雨が窓をたたき始めた。外は強い風とどしゃ降り。嵐のようだった。
隣に座ったカナダ人2人は60代の初めくらい。
20代の頃に、フォルクスワーゲンのバンで、仲間5人でヨーロッパを旅したらしい。
その仲間のうちの2人が、今回、カミーノを歩くことにしたのだそうだ。
そんな彼らの20代の頃の旅の話などを聞きながら、私たちは、食べて、ワインを飲んだ。
彼らの前には、もう空のワインボトルが二本あった。
天気があまりよくなさそうだから、ここで数日のんびりするかなと言っていた。
私たちの食事が終わったあと、彼らが、コニャックをご馳走してくれたのでカミーノの始まりに乾杯をし、宿に帰った。
私の部屋は、4人部屋だったけれど、向かいのベッドにドイツ人の青年がいるだけだった。
私たちは、ヒソヒソと、どこから来たのか。とか、どれくらいの期間をかけて旅をするのかとか礼儀正しく話をして、眠りについた。
すぐ近くに、見ず知らずの人が寝息を立てているのが、不思議で、明日からの旅にワクワクしていた。
隣の部屋からは、意気投合した人たちの話し声が夜遅くまで聞こえていた。