50年以上も前、生き別れになった二人の異母兄について
「有名人、芸能人、スポーツ選手、誰々が、帰化人」
ユーチューブ等、SNSで語られている。
「ヘイト」の匂いが濃厚。
しかし、私はこのユーチューブを参考に
9月15日隣市の図書館で官報検索データに
行方知れずの二人の兄の名前を入れた。
帰化しているかも知れない在日コリアン二世の兄たち
を探すために。
やはり、兄秀男は帰化していた。
しかし、この兄について、データ検索した日の数ヶ月前、
私は彼が既に死んでいることを知った。
2006年度版の高校卒業者同窓生名簿を閲覧して。
2005年以前、彼は死亡していたのだ。
もう一人の兄紀一郎は?
秀男同様に帰化していると確信。
官報検索データに名前を入れた。
ヒットした。しかし、
そのページは帰化が許可された人の一覧ではなかった。
「公告」行旅死亡人のページだった。
身元不明の死亡者についての情報発信のページだ。
「57歳くらい、自称 秋元紀一郎」は、品川区内某病院で脳梗塞により死亡。
記されている生年月日、年は違っているが、月日は合致。
死亡した日は2001年3月。19年経っていた。
言葉がない。大打撃。
絶望。怒りと悲しみ。そして、不可思議。
なぜ身元不明として、取り扱われたのか?
私の父親は在日コリアン一世。
1903年全羅南道で生まれ。
いつ日本に来たのか、私は知らない。
彼の日本語は韓国人とわからないほど流暢だった。
父が死亡するまでの私たち家族の生活。
韓国の、朝鮮の文化や慣習は、
全くなかった。
あえて言えば、在日外国人故に経験させられたのは、
制度的差別。
皆保険であった健康保険が(当時)に加入できなかった。
そして、そのような差別が、貧乏に拍車をかけた。
父の死後、彼の入院費用、保険が効かない
10割の入院費用を支払うために
小さな家、唯一残された財産を売った。
その後、兄二人は行方不明になった。