今日は父親の命日
50年もたった。
家から危篤状態の彼がいる
病院にむかう
タクシーの窓から
見た空は、五月晴れ。
透き通る青空だった。


子どもの頃から
なんとなく私は
犯罪を犯すのでは
ないかと、自分が
心配だった。

自分自身が犯罪者に
ならなくても
私の家族の誰かが
犯罪を犯して、
捕まって、
最悪の場合、
私自身も含め、
死刑になるのでは
ないかと、
将来がとっても
不安だった。

だからだろうか
10代のうちから
犯罪者、裁判、判決、
冤罪、死刑、死刑制度
諸々に興味をもった。

子どもの私は、
自分自身が死刑に
なるのが、怖くて
「死刑制度」に反対
の意見を持ったのが
最初。

そして、
成長とともに、
死刑制度について、
知れば知る程、
関連情報を
得れば得る程、
国家が与える死刑制度
について客観的な反対
意見に変わっていった。

私が行き着いた最大の
反対理由は
至ってシンプル。
「国が人を殺してはいけない、
と法律で禁止しているのに、
国は殺人を犯した者を
死刑と称して殺していい
のだろうか。」

日本の死刑制度は
復讐のための
制度ではないはず。