
8歳の春、父(享年61歳)が死んだ。
その夏、「おろす」という言葉を知った。
父は長い間入院していた。
当時28歳だった母が中絶したその胎児の父親は
当然私の父ではない。その時は誰が父親だろうか、
なんて疑惑も、何も、妊娠について何も知らなかった。
それ以来、母は妊娠、中絶や流産を数回繰り返した。
相手は、時には結婚を約束した男。
或る時は、「お妾さん」のような立場で。
或る時は、同僚相手の便利な女の立場で。
「え、また!?」妊娠を聞かされるたび
私は失望した。悲しかった。
また生活が今以上に不安定になるからだ。
ただ、どんな男であれ、母はいつも産みたいみたいだった。
それは、なんなのか、「母性」というものか。
中絶するお金がないのも理由だが、
母は妊娠がわかってもすぐには病院に行かなかった。
だから、ずるずる、どうにするのか、決めかねて、
お腹はもりもり大きくなって行く。
結局、病院に行った時は中絶が出来る期間
ぎりぎりだったり、
流産しそうになったり、
流産してしまったり、と、
相手の男もそうだが、
母の優柔不断な性格と貧困という状況で
母は自分の体を何度も痛めつけた。
間借りの共同トイレで流産した事があった。
私はトイレのドアの前にたって、途方にくれた。
母が死んでしまうのではないか。
怖くて、心細かった。
胎児は6ヶ月前後だった。数日間その胎児は
新聞紙に包まれ、トイレの片隅に置いてあった。
10歳くらいだった私は恐怖で、トイレに
行く事が出来なかった。
母は流産後の処置のため入院した。
退院後、トイレに「安置されていた胎児」を火葬場に
連れて行って、荼毘にした。その足で、
市役所により、その子の「死亡届け」を提出。
そのすべての行程に私は同行した。