母親恵と三人の子。愛8才、静香9才、智弘15才。
郵便配達の仕事をもつ母。様々家族の事情から3人の子どもの世話ができなくなる。
うつ病を発症。何かをする気が起きず。何も出来なくなってしまう。
愛と静香、朝ご飯から洗濯にいたるまで、学校の養護教諭が支援する。
まもなくその養護教諭は母親の支援もすることになる。献身的な支援だ。
母親、子供の世話ができなくなる、ネグレクトなのだが、彼女は子らを愛している。
だが、精神的な弱さ(多分彼女の子ども時代に所以するものだろう)や、
経済的困難で、母と子らは幾度か離散を繰り返す。
しかし、最後までこの家族を支援しようとする第三者、養護教諭他が存在するのだ。

このルポは、日本国内の貧困家庭の一家族に過ぎない。何の支援も受けずに明日食べるものが無い、
家族が日本国内のどこかに多数いるかもしれない。

この章の読後。
私が一番気になったのは、
幼い二人の少女。愛と静香だ。
年上の智宏もそうかもしれない。多分。
本中では、少女二人の表面上の生活を主に支援の対象としている。

二人がこのままどんな大人に成長していけるのか、
私の心を二人の姉妹の心に、どうしても重ねてしまう。

子どもは、親がいなくなってしまう、置いて行かれてしまう、
という恐怖を1度でも経験すると、その恐怖がいつもつきまとう。
また、自分さえ良い子にしていれば、親は置いて行かないと、勘違いする。
いつも、いつも、母親の顔色を伺う。今日は元気かな、落ち込んでいるかな。
私がどうすれば、お母ちゃん元気になって、少しは私の事、かまってくれる(愛してくれる)
今日はきっと嫌な事があったのだろう。帰宅するなり、ビンタがとんだ。仕方ない。
ちゃんと言われて事しておかなかった私が悪い。

45年前の私。
全く同じだ。
朝食も、風呂も、洗濯も、お金も無い。
夕飯だって、一人。醤油掛けゴハン。
私の歯も虫歯だらけ。学校もよく休んだ。
勉強ができるはずもない。
母は本当に疲れていた。
朝起きられない。片付けられない。
子どもの世話なんてとんでもない。

あの頃と何も変わっていない。
世の中にモノがあふれている今。
確かに貧困が見えなくなっているのかも。

私の子ども時代の貧困は見えていたのだろうが、
誰も支援してくれなかった。

ただ、私自身は幸運にも、
「貧困連鎖」を回避できた。
と思っている。

子どもを産まないと選択した。
..からだ。