この間借りしていた家で「8時だよ全員集合」の初回を見た記憶が鮮明

毒母、新しい言葉だ。
娘がいだく母親への気持ちを表している。

母に心身傷つけられた子供時代のうらみつらみを表すには、うってつけの言葉。
何しろ簡略で良い。しかし、この言葉やっぱり、ちょっと違う。

この十年間、母親について書かれた本を3冊読んだ。
佐野洋子、中山千夏、柳美里。
どれも著者の母親への気持ちが正直に書かれていた。
しかし私の状況に合うものはなかった。
どれも助けにはならなかったのだ。
母に対する私の葛藤。
結局自分自身で克服するしかない。

私が幼い頃、躾と称して、母に暴力をふるわれた。
それでも、私は母を慕い、いつも一人、母の帰りを待った。
母は、病弱で、仕事も長続きせず、頼りの男も金無しで、いつもイライラしていた。
「お前さえいなかったら、私は何でもできる。仕事だって、子供がいなかったら、良いのが沢山ある。
結婚だってできる。お前の父親が死んだ時、皆が言ったように、お前を置いて出てくればよかった。」
幾度も幾度も私に言った母。

母がつれて来る男たち、私はどれも大嫌いだった。
六畳一間のアパート。
夜、私が寝ている隣で母と男はセックスを始める。
母が中絶をするたび、私は大人になるのが怖かった。
セックスや妊娠は女を痛いめにあわせ、不幸にするだけ。
そんな風に感じた。
小学校3年生の少女には過酷過ぎる生活だった。
貧困、恐怖、失望、孤独。

こんな家庭環境だったが、非行に走らず、表面的にはまともな大人になった。
だがPTSD的な精神障害は、私のその後の人間関係、社会との関わりかた、に暗く、深く影響を及ぼしている。
50歳代半ばになっても、続いている。
「毒母」という言葉が暗示しているように、母を「素直」に憎むのが、完治へ導くかと、思った。
だが、母の生い立ちや、彼女の子供の頃からの過酷な人生、不幸の連続を私は知っている。
過去の私への仕打ちが忘れられないからといって、母を責められるのか。

現在、充分に老いた母。病弱で今だ貧困だ。
一人で外出する事、病院すら行けない。私を頼っている。
そんな母親を「毒母」として棄てることができるのだろうか。
不可能だ。私にはできない。

これが私に与えられた試練なのだ。