
都内からこの地への移転後おにぎりを週2日作るようになった。
夫が仕事関連で都内に出かけるため。昼食につかう時間と費用の節約が目的だ。
私の父は私が8歳の時他界。母との生活も中学校1年生頃までで、後は、友人、知人の家に下宿をして大人になった。だからか、母の手料理の思い出は薄い。
ただ、母が作ってくれたおやつ用の味噌のおにぎり、運動会や遠足に行く時の、お稲荷さん、そして、おかかのおにぎりが大好きだったのはよく憶えている
中学2年生の時、美容院で下宿奉公をしていた。放課後美容院を手伝う。先生の家族のため、買い物をし、夕食を作る。
小さな子供二人を入浴させ、寝かしつける。放課後の運動クラブは参加できなかったが、年1度のスキー教室には行かせてもらえた。
早朝4時起床。暗い台所に一人で立った。タイマーをセットしておいた炊飯器のご飯は炊けていた。
おにぎりを作る。はじめてのこと。どのように作るのかわからなかった。
自分の為ににぎるおにぎり。屈辱。みじめ。孤独。母が恋しかった。
母の手順が頭のどこかにあった。熱いご飯の時、母は、二つのゴハン茶碗をあわせ、その中にご飯をいれて、
おにぎりの形を作った。私は遠い昔、それが、とっても楽しそうに感じていた。
はじめてのおにぎり、成功には、ほど遠かった。「楽しみ」も付加されてなかった。
スキー場でおにぎりの包みを開けるスリルがない。自分で作ったおにぎり。
その不出来なおにぎりを包み、それを、自分が開ける。つまらない。
それ以後、おにぎりを作った記憶がない。
そして、今この年齢になって、懸命におにぎり作りを習っている。
夫は何を作っても美味しいと言ってきれいに食べてくれる人。
おにぎりも大好き。毎回梅ぼしにのりだけのおにぎりなのだが、
喜んで持って行く。おにぎりの形作りはむずかしい。
手の中で、軽くだけどきつく、にぎり回す時、
私は呪文のように、美味しくなれ、良い形になれ、って、となえる。
子供の私にとっての「おにぎり」は目に見えないもう一つの材料が必要だった。
愛情、とでも言う、うまみ味・・・