私が子供だった頃。好きな食べ物は、と、聞かれると、クラス3分の2の生徒は、スイカかバナナと答えた。1960年台前半。まだバナナは高価な果物だった。子供がスイカ好きなのは、夏休みの開放感。イベントが今ほど無かった半世紀前の子供たちの楽しみ、スイカ割りゲーム。家族や友人が集まっての豪快な食べ方。縁側に座り、かぶりつく。種飛ばし。スイカには楽しい思い出がたくさん詰まっている。父の死後私には、唯一人の家族である母がスイカを切ってくれて、一緒に食べた記憶がない。どこかのお宅でいただいたのか、または、お裾分けで、近所からいただいたのか、もう、記憶は定かでないのだ。だが、今日スイカを食べると、きまって思い出す感情がある。スイカの厚い皮の残し方である。子どもの私は、友人宅や近所の人たちに貧乏だと悟られまいと、スイカをかぶりつく時、または、スプーンを使って食べる時も、必ず、スイカの赤い実の部分をわざと沢山残した。本当は、すべて赤い部分を食べたかった。皮が真っ白になるまで。それが子供ながら、「卑しい」行為で、貧乏な人がするものだと感じていたのか。母と私だけの家庭は実際ひどく貧乏だった。明日食べる米にも事欠くのは日常茶飯事。ただ、そんな家にも一度だけ、トンでもない事が起こった。8歳のある日、母がどこからともなく高価なバナナの房(10本以上ついていた)を家に持ち帰った。貧乏長屋のアパート。小さな台所つき6畳一間の部屋が4軒。隣は、3人の子供と両親の5人家族。どう見てもやはり貧困に喘いでいた。母は、バナナ5本を隣の家に持っていった。玄関の引き戸の所で、母はそこのおばさんと立ち話を始めた。3人の子供たちは、バナナを受け取ると同時に皮を剥き出した。あの頃の子供にとって、バナナの皮をむく行為ですら、贅沢だった。隣の子供たちもそう感じたのか、とっても優雅に皮を剥いた。母の後ろに隠れていた私は、一部始終を見ていた。その3人(年子で上から男、男、女だったと記憶している)の子供らは、なんと、皮を剥いた後、バナナに食いつかず、その上部をなめだしたのだ。確かに、食べずになめているだけなら、バナナは減らない。世の中には、私の家以上に貧乏な家庭があるのだ、と、私は初めて認識した。