錦糸町

現在不二家レストランは5階に。8歳だった私の記憶は1階または2階だったような気がするのだが...
小学2年生の秋。お父ちゃんが死に、家なし母子になった。お母ちゃんの仕事は東京。私は生まれたA町に残った。面識もない家族に預けられた。単に父の仕事仲間というだけだった。電車で、A町から錦糸町まで、今では2、3時間で行く。現在も当時とそれほど変わらないとは思うが、8歳の私は、その車中移動時間が永遠に感じられた。お母ちゃんと私を引き裂く距離。子どもの私には一人で会いに行ける距離ではなかった。お母ちゃんの就職先は錦糸町駅近くのホテル。東京到着後就職を紹介してくれた人の家に一晩泊まった。翌日、私たちは錦糸町へ向かった。就職先のホテルにお母ちゃんの荷物をおろした。「錦糸町駅ビルの中にあるペコちゃんの不二家に行って、チョコレートパフェを食べようね。」とお母ちゃんは私を喜ばせた。当時地方の子どもにとって、不二家レストランはあこがれだった。私は解っていた。チョコレートパフェを食べた後、その場で、お母ちゃんと別れるのだ、と。運ばれてきたチョコレートパフェは解け始めた。私は下を向いたままメソメソしていた。お母ちゃんが、解けるから早く食べなさい、と言えば言うほど、食べるのを無言で拒んだ。食べ終わったら、私は一緒に来たおばさんとA町に帰らなければならないのだ。少しでも、お母ちゃんと長く一緒にいたかった。行きたくないよ。いい子にするから、お母ちゃんと一緒にいたいよ。と、大声で叫びたかった。

現在不二家レストランは5階に。8歳だった私の記憶は1階または2階だったような気がするのだが...
小学2年生の秋。お父ちゃんが死に、家なし母子になった。お母ちゃんの仕事は東京。私は生まれたA町に残った。面識もない家族に預けられた。単に父の仕事仲間というだけだった。電車で、A町から錦糸町まで、今では2、3時間で行く。現在も当時とそれほど変わらないとは思うが、8歳の私は、その車中移動時間が永遠に感じられた。お母ちゃんと私を引き裂く距離。子どもの私には一人で会いに行ける距離ではなかった。お母ちゃんの就職先は錦糸町駅近くのホテル。東京到着後就職を紹介してくれた人の家に一晩泊まった。翌日、私たちは錦糸町へ向かった。就職先のホテルにお母ちゃんの荷物をおろした。「錦糸町駅ビルの中にあるペコちゃんの不二家に行って、チョコレートパフェを食べようね。」とお母ちゃんは私を喜ばせた。当時地方の子どもにとって、不二家レストランはあこがれだった。私は解っていた。チョコレートパフェを食べた後、その場で、お母ちゃんと別れるのだ、と。運ばれてきたチョコレートパフェは解け始めた。私は下を向いたままメソメソしていた。お母ちゃんが、解けるから早く食べなさい、と言えば言うほど、食べるのを無言で拒んだ。食べ終わったら、私は一緒に来たおばさんとA町に帰らなければならないのだ。少しでも、お母ちゃんと長く一緒にいたかった。行きたくないよ。いい子にするから、お母ちゃんと一緒にいたいよ。と、大声で叫びたかった。