中型MIX♀ちびこトライアルスタート! 9/25

 昨日は子猫の引取でバタバタしていてアップできなかったので・・・・本日付で。

 8月3日、センターから引取った中型MIX♀ちびこ、本日から新宿のAさん宅でトライアルスタート。

 中型MIXといっても、体重5.6キロの本当に小さな女の子。

 高齢犬ではあるが、このたび、ご理解あるご家族に巡り会えた。

 当会では、保護場所の問題もあり、なかなか中型犬クラスの犬の引取は出来ないが、今回、縁あって引取りが出来、そして、新しいご家族へ送り出せたこと、とても嬉しい。

 ペリさん、ちびこのお預かり&お届け、ありがとうございました。

 marikoさん、同行お疲れさまでした。

 ちびこ・トライアル①


 ちびこ・トライアル③   ちびこ・トライアル②



旅立った小さな命

 昨日センターから引取った子猫12匹の中で、一番状態の悪かった生後1ヶ月半くらいの白黒の女の子が息を引取った。

 病院でも、すぐに横になってしまうほどだったので、長くゴハンも食べられず、水も飲めなかったのかも・・・・。

 かにさん、看取ってくれてありがとう。

 白黒♀生後1ヶ月半  他の兄弟たちは頑張るから見守っていてね



 我が家にいる3匹のチビーズ、よく食べてます。

 最初の日の夜は、少し警戒心もあったが、その後はゲージに近づいても逃げたり暴れたりしない。

 液体のお薬も上手に飲むし、目の状態もだいぶ良くなった。

 引取った時はノミだらけだったが、フロントライン・スプレーして(まだ小さいのでスポット式のフロントランは使えない)ノミはすっかり落ち、ノミ糞だらけの毛も、だいぶキレイになってきた。

 


 たまたま・・・・25日はセンターに行って出会ったから引取れた小さな命だが、毎日毎日、この子たちのような子猫は処分されている。春秋の猫の出産シーズンは、数も多い。

 すべての子を引取れないので、避妊去勢等の繁殖制限が、いかに大事か実感する。

 元を断たないと、いつまでも繰り返される子猫たちの殺処分。

 処分されるために生まれてきたのではないのだから、もっと身近な小さな命に思いやりを持って欲しい。



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 あえてブログで触れなかったが、先日、ある作家の「子猫殺し」というエッセイが話題になった。

 飼い猫に避妊手術を施さず、完全室内飼いにもせず、生まれてきた子猫は、すべて、自宅そばの崖から投げ捨てるそうだ。

 詳しくは、色々なブログで紹介されているので、まだ読んでいない方は、「子猫殺し」で検索すれば、その記事にたどり着くだろう。


 私は田舎の生まれだが、まだ私が子供の頃、たとえ飼い猫であろうと、その猫が産んだ子猫に対する仕打ちは、この作家がやっている行為に等しいものがあった。

 山に捨てたり、川に流したり・・・・ 子供心に、そういうシーンを覚えている。

 父親と一緒に車に乗って山に捨てた(置いてきた)記憶もあるし、母親に言われて、ダンボール箱に入った子猫を箱のまま、ダンボールで川に流したこともあった。

 山に置いてきた子猫を心配すると、父親は「大丈夫だ、運が良ければ生きられる」といったような気もするし、川に流した子猫にバイバーイと手を振りながら、ダンボールごと、どこかの岸にたどり着いて、そこで生きていけるのかなぁとも思った。でも、ある日の川に流した子猫は、そのうちにダンボールごと、川底に沈んでいった。

 さすがに小学校高学年にもなると、捨てる子猫の行く末がわかって、親に捨てないでくれと頼んだことも何度もあった。

 学校から帰ってくると、いつのまにか子猫がいなくなっていた・・・ということもあったし、私の頼みを聞いてくれたのか、残った子猫もいたが、やがて大きくなってどこかへ行ってしまったり、車に轢かれて死んだりして、ミィ子以外は、どの子も短命だった。


 我が家にいた飼い猫・三毛猫のミィ子は、彼女が9歳(多分、そんな年だったと思う)で亡くなるまで、毎年2~3回、子猫を産み続け、時には、すっかり子猫が大きくなって、近所や親戚に、家のネズミ除けだと貰われていくこともあったが、消えていった命は、100匹は下らないかも知れない。

 当時の記憶が鮮明ではないが、ミィ子は、確か私が中学1~2年の頃に亡くなったと思う。

 具合の悪いミィ子を自転車で1時間くらいかかる町の動物病院に連れて行こうと、自転車の前かごにミィ子をいれ、かなりの距離を走ったのだが、あまりにミィ子が苦しそうに鳴くので、これじゃ病院は間に合わないと途中で引き返し、家に戻ったことを覚えている。 最期、彼女を看取ったのは私だ。昔のことだから、出入り自由猫だったミィ子としては、寿命だったのかも知れないし、もしかして、病気だったのかも知れない。ミィ子の亡骸は、畑の隅に埋めた。


 大人になって1人暮らしを始めてから、子猫の夢をしょっちゅう見た。

 山の雑木林の見渡せる限りに無数の子猫がいて、皆、ニーニーと鳴いているのだが、よく見ると、手がなかったり、足がなかったり、目玉がなかったり・・・・無残な子猫の姿が一面に広がっている。水に沈んだ子猫の夢も見た。

 何度も何度も同じ夢を見るので、きっと救われなかった魂が、皆、私にとりついているのではないか・・・そう思った。

 自身で猫を飼うようになって、その夢はほとんど見なくなったが、猫の保護を始めた時は、1匹救えば、1匹の亡くなった子の魂がやっと天国に上っていけるのではないか・・・ そんなことも考えた。

 昔と今では、ずいぶん事情も変わり、今は飼い猫の避妊去勢もポピュラーに受け入れられるようにはなったが、それでも、まだまだである。未だに、土に埋めたり、川に流したり、山に捨てたり・・・そうやってひっそりと処分されている子猫はたくさんいる。

 避妊去勢に1~2万のお金が惜しいと思う人がまだまだ多いと思うが、考え方を変えて、1~2万で、これから生まれては死んでいく100匹もの命を救えるのだとしたら・・・・ 浮かばれなかった小さな魂を背負って生きていくよりも、ずっとラクに生きられそうな気がする。

 

 前置きが長くなったが、自分が昔に同じような経験をしているからといって、この作家のやっていることが仕方ないことなどとは思わない。飼い猫の性を尊重したいとか、色々言い訳を並べているが、要は、面倒なだけなんじゃないか思う。手術するのが面倒なだけ。今度、子猫を産んだら病院に手術に連れて行こう・・・・そう頭の片隅で思いながらも、一度子猫を処分したら、もうそんなことを忘れてしまって、また発情が来て、妊娠して子猫が生まれてしまった・・・・そんな程度の怠慢ではないか。生まれた子猫を投げ捨て続ける行為に悪意を感じても、何ら、彼女の哲学を感じない。

 救える力があるのに救わないのは、確固たる信念があってのことではないだろう。

 エッセイとして、読み手に納得させるだけの自己中心的な言い訳を書いて、自論を展開しているだけで、要は面倒くさかっただけなんだと・・・ まだそう言ってくれたほうが救われる気がする。