私は、子育てをするなかで
自分の愛情の欠乏感がどんどん露呈してきて
子供達を無条件に受け止められる器が私にはなく、辛かった

また、一生懸命だったことが余計に、仇になってしまった

親元を飛び出して夜遊びしたり遊び回ってるときは自分の愛情の欠乏感は彼氏との関係で露呈していて、異常性が現れてしまい殺されかけたくらい。。

だが、
子育てをはじめたら心の負が、さらに露呈してきた

私自身が何よりも愛されたい事に気づいてしまった
私自身が愛されてないのに、
受け止めてもらったこともなく
偽りの自分でしか生きれないのに

子供のぐずぐずを受け止めるのが
辛すぎた

そこに、姑の干渉や子供を奪おうと
する意地悪さなども

感じていて

精神は崩壊していた

勿論、姑はそんなつもりはなかったと
言うだろう

しかし、詳細はかかないけど
明らかに、私に対しての
ささやかな態度や言動で

意地悪とばれないような
意地悪さや嫉妬などを

向けてきていた
 
はじめての子育ての辛さに加えて
姑の嫌みな態度や言動などが

それが精神を崩壊させた

子供の名前もお寺で決めるようにいわれ
入れる幼稚園まで
姑と大姑が決めており

幼稚園に孫がお世話になりますって
いってきたのよー!

と言われた

勿論その通りにはしなかったけど。。



嫁の意見や意志などない
というのが、昔からの常識なのかな?

毒母から逃げて結婚したけど
結婚した先では、またちがう地獄がまっていた

そんな中
私にとって無条件の愛情を与えてくれた存在は子供達でした


偉そうにしている親たちは
子供の深い愛情に気づいていないんだろう

子供は、親がおもってる以上に親の事を大切に思っている

親が子供に与えてもらってる愛情って本当はすごくすごくあるのに親に感謝しろ!
と言ってる親たちは 

低能なバカだから傲慢になるのだろう

私の子供たちはママのために沢山の愛情をくれた

まさに、これが、なんの見返りもない無条件の愛情なんだなって産まれて始めて感じた

お小遣いをあげても
そのお小遣いを全てつかってママのためにプレゼントをよくかってくれたりご飯をつくってくれたり産まれてはじめて感じた暖かさに

私は執着しそんな子供たちを傷つけてしまった

やってることが結局自分の母親と同じになってしまっていた💧

心のえぐれた私は
結局大切な物を傷つけてしまうことしか
できなかった
それは、恋愛においても
いつもそうだった


そして、家庭は崩壊

こんな言い方は性格わるいかもだけど
姑は私から
念願かなって
子供をうばえて

自分は孫達には愛情溢れる良いおばあちゃんやってて

生意気な嫁はいなくなって
よかったんじゃないかな

実際こんな欠陥のある私が
親権をもっていたら

子供たちを幸せにできなかった
まして、私が仕事で、あの毒母が孫をみることになったら、私のように疾患がでてしまう💧

旦那さんの家が子供を
育ててくれて
それは、本当に感謝しています


疫病神の私だけいなくなって
本当に
良かったんだとおもう


そして、天涯孤独となり
何もかもうしなった私を

友達が支えてくれて
希望もたさてくれていて

私は自殺せずに
今生きている

何度が自殺をまよったことはあったけど

そのときが、一番、本気で川に
飛び込むところまで
いっていたが

やっぱり決意して
橋の上に立ってみても

怖くて
最後が踏み出せなかった

まだ、どこかで私は生きたがってた

まだ、希望をもちたがってた私がいた

そして、それから
友達のおかげで

孤独を胸にしまい

夜遊びしたり
夜のお仕事で沢山かせいで
好きにつかって

楽しむことで
自分をごまかしていた

でも、たまにこのままどうしたらいいんだろうって不安や
孤独と悲しみ

なんで私だけこんなめにあうんだろうって


心の闇のせいで
誰とつきあっても、うまくいかず
相手は離れてしまう

バカな傲慢さで
無条件の愛情がほしくて欲しくて
心の傷を相手にぶつけてしまう

その衝動をおさえることができない

子供のころから
沢山傷ついて

大人になってもなお
私は

自分の心の傷にくるしみ
新たな傷を増やしていた

それでも私は幸せになりたかった

だからいろんなこと努力した
でもなにもうまくいかなかった

そんなとき、
遊びまくってたクラブで

新田善彦と導引指導に出会い

私の長年の傷だらけの人生も心もぼろぼろの
体も全てが
好転してきたのだ❗

導引と新田の外気功の力

で沢山の 体の毒だしが
溢れてきたけど

心の毒だしは
もっと凄まじかった。。

彼は、それで警察に何度か保護された
私は、見知らぬ人に通報された

愛情の欠乏感や飢え、寂しさ
孤独、

色々な物が露呈したんだ。。

続く