看護学生になった私は、不本意に通っていたので周りの友達との差に付いていけず、また看護師になるカリキュラムも苦痛で適応障害になりました。

私はもともと歯科衛生士志望で歯科衛生士の短大に行きたかったのです。

看護学校を退学したいと母に相談すると案の定攻撃されました。

恥ずかしくて職場にいられない。
親不孝者。

母は同時期に脳梗塞で入院をしたのですが、脳梗塞の原因もお前だと罵られました。

1年間のバトルが続き、自分で学費を払う前提で歯科衛生士の短大に行くことで決着がつきました。

短大在学中、母は交通事故に会ったのですが、事故の原因も私だそうです。

またパパも疲弊し、家出をしました。
パパに対しても感情を剥き出しにしていたのです。
会社も辞めてしまいました。



無事に国家試験にパスし歯科衛生士になり働き始めましたが、患者さんと話すだけでパニックになり全身が震え、顔が真っ赤になり頭が真っ白になるようになりました。

おかしいな、と自分で気付きました。

そんな時私は結婚が決まりました。
結婚が決まってすぐ、我が家は自己破産しました。

何にお金を使っていたのか、呆れます。
共働きの一般家庭だったのに。

駅徒歩15分のマンションから駅徒歩40分のボロアパートへ。
車も売り軽自動車へ。

みじめでした。

さて、私が結婚すると母はさらに精神を乱していきました。
私に感情をぶつけるのが生きがいだったのでしょう。私が家を出たことで、母は酒に溺れるようになりました、

実家に帰ると、缶ビールが散乱しハエが飛び交っている状態でした。
近所のコンビニでも有名な「酒おばさん」になっていたようです。

コンビニに行き酒を売らないようお願いをしにいきました。

パパはこの状態にさらに疲弊し車で大事故を起こしました。
この事故でパパは免許を失っています。

母アル中、父事故で入院が同時期に起きました。

私は1人っ子なので、自分が実家に帰ってハエと缶ビールを片付けたり、パパの入院先に行ったりという生活を送りました。

その時、私の体重は158cmにして40kgなっていました。

占いにすがったりもしました。

自殺未遂も起こしました。

だいたいこれが26〜28歳位の時です。

私は30歳近くまで両親に振り回され生きてきました。