https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63533280X00C20A9MM8000/

『世界の上場企業の稼ぎ頭が急変している。主要企業の決算発表が一巡した直近の四半期の純利益をランキングしたところ、IT(情報技術)や半導体関連が躍進し、金融やエネルギー、自動車が順位を落とした。新型コロナウイルスの感染拡大でデジタル化や脱炭素が加速し、企業の優勝劣敗が鮮明になっている。QUICK・ファクトセットを使って世界の上場企業約4万4000社の米ドル換算の純利益を集計しランキングした。202・・・(後省略)』

 

 

 GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)の時価総額は既に、東証一部上場の全企業を上回っているというニュースを先日目にした。これら企業群は、情報通信やプラットフォームビジネスといった点に共通している。企業規模に比して抑えられた人件費、且つ極力持たない固定資産等にも特徴がある。(Amazonは少々例外)

 

 

 例えば、AppleはiPhoneを製造しているため、固定費が大きいイメージがあるが、実のところ自社工場は現時点では持っていない。PCやスマートフォンの製造企画・設計・販売に特化した、典型的なファブレス企業である。(ファブレスとはfabrication facility、つまり「工場」を持たない会社のことで、ユニクロもあてはまる。)

 


 固定費が大きい産業で思いつくのは、自動車や航空、鉄道、造船、プラント、社会インフラ等々の分野は容易に思いつくだろう。固定資産が大きいほど、メンテナンスや設備交換、減価償却といった費用が、それが存在するだけでかかってくる。因みに、経済産業省から取得した平成29年度の、業界別平均の営業利益率を以下に掲載したので参考にしてほしい。(因みに、欧米では経常利益という概念はない)

 

 

 

 相対的に小売や卸売業が低く、情通信や金融といった分野が高いことが見て取れる。(鉱業関係が突出している理由は未検証)産業の移り変わりによって、サービス業等のモノを生産しない産業がどんどん儲かる仕組みになっている。

 

 

GAFAMの事業も同様に、比較的設備が少なくて運用ができるため、必然的に利益率は高くなる。では実際に、2019年度の5社の決算書から。営業利益を計算してみた。

 

 売上規模も桁外れだが、利益率もAmazonを除けば、異常なまでまでの高収益体質である。 

また実際に計算してみて、Apple利益率の高さは目を疑うばかりの水準で、計算間違いなのかを何度も確認したほどだ。まさにトマ・ピケティ危惧する、資本主義における富の集中が指数関数的に発散しているのだ。

 

 

 だが、考えてみて欲しい。このような情報通信やプラットファーム企業ばかりに富が集中することが、果たして良いことなのだろうか。結論から先に申し上げれば、それは間違いである。食物、交通インフラ、電気水道ガス、物流等々の昔からある産業の支えがあって、彼らは自身のビジネスに邁進できるのである。

 

 

 では、第一次、第二次産業が、この不況により倒産すれば、生活必需品や社会サービスを一体だれが生産するのか。Apple社がリンゴでも供給してくれるのか。それともAmazonがアマゾン奥地を開拓して大規模農業でもしてくれるのか。Microsoft社が窓の修理施行でもやってくれるのか。仮にGAFAMがなくなったとして、一体どれほど庶民に影響があるのであろう。おそらくない。

 

 

 IT情報サービスや大半のサービス業は、言うまでもなく昔から存在してきた産業に支えられている御蔭で、その事業を継続することができるのだ。「お客様は神様」、とんでもない、生産者こそ神様なのである。

 

 

 デフレは貨幣の価値を相対的に高めて、結果として所得が減少する。だがそれだけに留まらず、消費者のモラルをも低下させる。店員に対する横柄な態度や、何でも無料に飛びつく輩が典型だ。デフレ経済は、確実に人心を荒廃させ、拝金主義、守銭奴といった妖怪が全国で跳梁跋扈するのだ。

 

 

 ITやシンギュラリティ、仮想通貨等々、庶民を無視して毎日よくわからないワードが飛び交うばかりで辟易するばかりだ。思考停止に陥った大衆は、そういったバズワードに飛びついて満足するだけに終始する。なんともポスト・アポカリプス的な社会になってしまった。だが、本当に大事なものはそんな軽佻浮薄なものにはない。

 

 

 常識でこの社会を捉えようとするほど、憂鬱な気分になるのは致し方ない。だが、反対に解決すべきことは山積しているのだから、命を輝かせる場所は実は沢山あるのではなかろうか。

 

 

 まずは己の常識から疑ってみるところだ。「我思う、故に我あり」、思考は無限で豊饒である。