https://www.asahi.com/articles/ASN965S65N80ULZU00D.html?iref=comtop_8_01

『政府系の日本政策投資銀行(政投銀)が5月に決めた日産自動車への融資1800億円のうち、1300億円に政府保証をつけていたことがわかった。仮に返済が滞れば8割を国が実質補塡(ほてん)する。大手企業への融資に国民負担を伴う可能性がある保証をつけるのは、極めて異例な対応だ。日産は「(政府保証は)全く承知していない」(広報)、政投銀は「個別の案件は答えられない」(広報)とコメントしている。』

 

 

 日本政策投資銀行は、株主構成は財務省のみ、すなわち政府が100%出資している銀行である。その淵源は、戦後の経済復興のために、1947年に設立された復興金融公庫にある。今では批判の対象とされる、日銀引受けの復興金融債を発行して、石炭や鉄鋼、電力といったインフラ産業へ大規模に投資を果敢に行い、戦後復興を加速させた。では、なぜ今の主流派経済学者たちは、「財政ファイナンス」という奇妙奇天烈な言葉でもって、日銀引受けという実務オペレーションに目角を立てるのか。

 

 

 結局、御用学者は己のステータスを保守することに全精力を注ぐことのみがモチベーションなのである。しかし一方で、過去に日銀引受けで、焼け野原から復興した事実は変わらない。そうなると、現下の日本におけるデフレ経済において、日銀引受が奇妙な抽象ワードで非難されるのは奇々怪々な話だ。

 

 

 そもそも政策投資銀行は、日銀と同じ子会社であること考慮すると、引当金をいくら積もうが結局連結で相殺される。要は、政策投資銀行に不良債権リスクは実のところ存在しない。(政治的は事情とは別だが)

 これには反論もあろうが、会計実務の事実を申したまでで、他に表現のしようがない。

 

 

 急激な物価上昇率さえ調整できれば、政府が主導になって財政政策、出資または融資を行うことは歴史に学べば、何も特別な話ではない。しかし、今回の日産だけ8割政府保証という依怙贔屓が問題なのである。無能な取締役達によるゴーン事件を引き起こした、あの日産だけをである。(まじめな日産社員、関連会社の方々は本当に気の毒だ)

 

 

 政府は産業を救うことのできる、通貨発行権という強力な力を有する。しかし、見当されているのが、日産への政策投資銀行を介した8割保障の融資である。電通と同じ、あからさまな依怙贔屓である。(現政権ではこのレベルの腐敗が常態化しているのは言うまでもないが)

 

 

 日産は政府保証の対象になって、他の産業が例外になる理屈は完全に成り立たない。政府は全産業の粗利保障をして、国民の命を救う能力はあるのだ。だが腐り果てた官邸官僚組織は、それを知りながら何もしない。そして今日もまた無垢な国民が死んでゆく。

 

 

 凡庸な依怙贔屓批判だけをしたいのではない。政府は一刻も早く全産業に予算をつけて、国民の命を守るべきである。

 

 

 だが残念ながら、教養や道徳観念がからっきしのクソガキ政治家がデフォルトに成りつつある、超グロテスクな社会になってしまった。安倍晋三に至っては、義務教育レベルの言語能力にも乏しい。国会中継を見ても、極一部を除き、小学生の学級委員会の様な悲惨な有様である。

 

 

 戦後、偽善と欺瞞に満ちた日本社会は年月を追うごとに、「大人」を駆逐してしまったのだろう。残ったのは、平和主義左翼、メディア人、御用学者、暴力的ネット右翼、無知蒙昧の政治家、凡庸な悪に堕した高級官僚と、俗悪な人種を上げればきりがない。

 


 倒幕前の明治維新における社会動乱は、このような世相だったのであろうか。何れにせよ、国家没落とはこんなものだろうと構えれば気が楽になる。「保身」なぞさっさと捨てるほうが良い。己の持ち場で頑張り通す、その実存こそ生きがいだからだ。