不思議な言葉のやりとりなのかもしれない、でもこれも1つ親子の姿でもあった
目一杯かぁと思わず思いながらも、少し嬉しくなる気持ちがあった
「嬉しい気持ちに」
ほんの些細な言葉なのかもしれない
けれども自分には
その些細な言葉がとても嬉しいです
何故ならば‥ 何もなかったから‥
その言葉が素直に嬉しいのです
何かを得るのに、何かを求めてこなかったけども
今は少し何かを求めてしまう心が、わかる気持ちもあります
大切な人だから、何かを求めてしまう
お金や物が欲しいのではない
その人に大切にされてるから、その気持ちを裏切らないように
自分の心をごまかすのではなく
ぶつかっていける、喧嘩したならば
誰かに話して愚痴でも聞いてもらえればいい
喧嘩をしたからって、そこで終わるわけではない
だからいろんな考えがあるからぶつかって喧嘩して
それでお互いに何が大切なのかを確認するのだ
そのために言葉がある
議論のためだけに言葉があるのではない
意見をぶつけるだけが言葉ではない
相手を屈服させるために言葉があるのではない
言葉にはいろんな使い方があるのだ
だからこそ、自分に投げかけてくれた言葉が嬉しいのだ
親子だからこそ、いろんな言葉に包まれている
そして成長ともに言葉は沢山増えていく
1つのルールがいつまでも適用されるわけではない
成長ともに、今のルールがある
それは家族だからこそ、話し合う事ができるのだ
家族なんてものは、心次第でもある
もう家族ではないからと言葉を聞かない人もいる
それでも私は家族だと思って言葉を投げかける人もいる
難しいね、その人は家族だと思っていても、家族だとすら思わない人もいる
だからこそ言いたいのは、家族と思ってないならば甘えるな!
出て行けと言われるまで、甘えて甘えて
それでやっと家族をやめるならば
はじめから1人で生きなさいよと言いたい
それがやっとわかってきて
お母さん、離れ離れだけども
それすらわからないのならば、家族にはなれないんだよ
お母さんが甘えるために自分がいるのではない
それを新しい家族から教わったのだよと
お母さんの心のに届くならば届いて欲しいとも願ってしまう1日になった
そして今いる家族の大切さが身にしみてわかってしまう
お母さんが僕を捨てたからわかる気持ちなのかもしれない
そんな過去があったけども
僕は歩みを止めない!
「We must touch the weaving of the sound of our hearts.~心の声を紡ごう編~447」につづきます
眠い
