競馬総人口の中でいわゆる勝ち組(資金が+に転じていく人の総称)は約1割だと言われている。
残りの人達は一時的に+になった日があったとしても、徐々にその勝ちを吸収され、いずれマイナスに転じていく。

 今年の夏より、開催日に第一レースから3連単(一着から三着までの着順通りに予想する)馬券が発売され始めた。当然全馬券種の中で最も難易度が高く、10通り、20通りの買い目で的中させることは困難を極める。主催者であるJRAの意図は明確で、通称万馬券と呼ばれる100円が1万円以上、時には100万円にまでなる陶酔感、射幸心を狙い、競馬人口の拡大、収益金額の増を計っている。

 冷静になって考えてみたい。
18頭もの馬が出走する舞台で3着までのいわゆる紙切れがお金になる馬は3頭のみ。
それをa,b,cと仮定する。

そのそれぞれa,b,cを順番不問で当てる確率、いわゆる3連複馬券の組み合わせ総数は
3/18×2/17×1/16=1/816
ざっくり体感的に平均配当は5,000円から10,000円の間で推移するので、この馬券を買ってプラスにするには、2,000円から3,000円を平均投資金額と想定するなら最低でも3割の的中率をキープしなければならない。

それが3連単馬券になれば、1/18×1/17×1/16=1/4896
0,02%の確率、昔から努力の目安となる1%の確率があれば,,,,の勝負どころの指標を大きく下回る一点の光。通常では2万円前後で推移することが多いこの馬券に3,000円の投資金で挑み続けたところで勝ち目がないのは明確。

さて、今日の命題である競馬と民意。

勝ち組の割合は一割に過ぎないということ、これは民意の表象であるオッズと言われる払い戻しの場合の投資金の倍率一番人気、二番人気、三番人気の馬同士の決着が、全レースの一割に満たないということに他ならない。

では何故、そんな不確定なものがある程度大きな人口を保ち、維持され続けるのか。
それは逆説的になるが、民意を継承するから。
つまり一番人気、二番人気、三番人気が3着までに全て残らないケースは、一日の開催で一レース存在するかしないか。ここに確定的要素、民意継承の糸が存在する。

この人気上位三頭から、リアリティのない煽動された馬を外し、4人気以降への総流し(全ての馬へ可能性をつないでいく)確定要素一点、不確定要素一点の組み合わせの馬連、ワイドにのみ活路は見いだされる。大きな波を捉えた時点で撤収の引き際も勝負毎の鉄則。

 昨日一日、東京,京都のみでこれを実践したと仮定。
新馬戦終了後の6レース以降1~3人気の中から軸馬一頭を見抜けた場合、
総流しで得られる投資金と払戻金額。

馬券種馬連:(一点1,000円投資)
6R: 軸馬単勝1,7倍一番人気
 相手(4人気以降全13通り)投資金13,000円
 払い戻し総額44,000円(+31,000円)
7R:軸馬単勝3.3倍二番人気
 相手(4人気以降全11通り)投資金11,000円
 払い戻し金額514,000円(+503,000)

ビックウェーブ!!

この時点で勝負あり。
このあとは的中し続けるが総流しのメリットは薄い。

東京開催
総投資額24,000円
払い戻し総額558,000円
+534,000円

京都開催
6R:軸単勝2.2倍二番人気
相手(4人気以降全8通り)
投資金8,000円
払い戻し金額107,600
(+99,600)

7R:軸馬単勝2.6倍一番人気
相手(4人気以降11通り)
投資金11,000円
ハズレ(3着)
払い戻し金0
(1着4番人気(事実上3人気と 人気単勝5.7倍で同率)
(見抜けたら払い戻し金86,300円)

8R:軸馬単勝4.9倍2人気
(相手4人気以降14通り)
投資金額14,000円
払い戻し総額224,500円
(+210,500)

ビックウェーブ!!!
この後も+を計上しつづけるも目に見える成果はなし)
終了

京都開催
総投資額33,000円
払い戻し総額332,100円
(+299,100円)

両開催
総投資額57,000円
払い戻し総額890,100円
(+833,100)

人気3頭から一頭を抜粋する能力さえ授かれば
多かれ少なかれ結果はついてくるはず。
自分にとっても今日のブログはいい考察になったと思います。

より多くの人が金という本当の幸せを左右するわけではないものから自由になり、
本当に魂を捧げれるものに時間と労力を費やすことができるなら、
皆の幸せは広がるはず。

馬という経済動物として取り扱われている一つのファクターも
そのつぶらな、無垢な瞳から心休まる瞬間があるのも魅力の競馬。

株式投資に似た感覚ではあり、よりリスクが高い点は否めないが、
土の匂い、自然に触れられ、世界中の地域色もあるこの営みは、
強度の射幸心を煽る危険な側面も十分に考慮しても、魅力ある劇場として自分の前に存在しているのです。