帰国後の英語


デンマークで10か月を過ごし帰国、

大手英会話教室に就職しました。

初任校では100人弱の生徒さんを担当し、

傍でヨーロッパやアジアの学生が集まる

ワークショップの事務局で働く機会に

恵まれました。


そこでは通訳に挑戦したものの

「君は訳さなくていいから黙っていて」

と言われたこともありました。


気づけば、

自分のために、教室の生徒さんのために

「どうしたら英語が上達するか?」

という課題に向き合う日々が始まりました


「どうしたらもっと流暢に、

 頭で訳さずに

 話すことができるのだろう?」


英語を話す職場環境で過ごすうちに

頭の中で言語間の訳をしなくなりました

しかしそれは職場という限られた状況のみ

社会問題や交渉といった内容には

まだまだ歯が立ちませんでした。








日常会話レベルからの脱却


主人の転勤で広島市に移り、

小学校で英語アシスタント講師をしながら

ある英語サークルに入りました。

長くアメリカで勤務していた方が

帰国後に主宰していた勉強会。

ここでの気づきが

私の英語に対する意識を変えました。


一見英語をペラペラと話す私でしたが

知らない単語や表現の何と多いこと。

BBCABCニュースのリスニングでは、

内容がさっぱりわかりませんでした


海外の学校に行っていながら

一向に日常会話レベルから

レベルアップできない理由は明白。

原因はインプットの圧倒的な不足です。


それまで避けて通っていた事を

積極的に取り組みました。


語彙やフレーズを暗記し、

安楽死、性転換手術、捕鯨問題など

社会問題に意見を述べる1分間スピーチや

3分間のフリープレゼンの下調べ。

国内外の新聞記事や論評を

読み耽る日々を過ごしました。



3年経った頃、英検1級に合格しました。

面接のスピーチ課題は

「日本は今後も現在の生活水準を

 保つ事ができるか?」

「そう考える理由は?」


大量のインプットと

目的のあるアウトプットの末に得た

日常会話レベルからのstep upでした。


退屈になりがちな英語学習を楽しく

モチベーションを保ち続けられたのは、

厳しくもあたたかい師匠や

切磋琢磨できる仲間たちのおかげだと

今でも有り難く思っています。




英語科教育特区だった広島市

公立小学校は担任の先生とのチームティーチングでした

授業研究会では中学校の先生方から

こどもたちが文法学習に苦労するお話も聞いていました