尾池和夫の記録448 有馬朗人・大峯あきら・和田悟郎ー大学に籍を置いて

WEP俳句通信 Vol.142 特集Ⅰ〈昭和・平成の読み返したい俳句作家について〉

尾池和夫(氷室主宰)

 一九四〇年生まれである私は、純粋の戦後教育の小学校からの世代である。長い昭和の時代を大学につとめながら研究者として過ごし、初めて俳誌「氷室」に俳句が掲載されたのは一九九三(平成五)年である。つまり昭和の期間には俳句作家にも句集にも触れていなかった。
 第一句集『大地』を私が出したのは二〇〇四(平成十六)年である。その句集に意見をいただいた方たちの中に、やはり大学に席を置きながら俳句を詠む俳句界の大先輩たちがいた。その中に、有馬朗人さん、大峰あきらさん、和田悟郎さんがいた。
 有馬朗人さんは東京大学の第二十四代総長であった。私は京都大学第二十四代総長を務めたので、二十四代同士で俳句の話をすることができた。俳句だけでなく有馬さんが文部大臣のときに、朝鮮大学校の卒業生に京都大学大学院理学研究科への入学を認めた件で文部省と私が真っ向から対立して、たいへんお世話になった。
 有馬さんは物理学者であった。晩年には原子力発電の分野の議論で、トリウム発電を進めようという点で、私と考えが一致していた。
 二十世紀末になってから有馬朗人第一句集『母国』(一九七二(昭和四七)年)を読んだ。初期の句は、超現実的なイメージの句があった。
初夏に開く郵便切手ほどの窓
草餅を焼く天平の色に焼く


などの句を覚えている。私の『大地』からは〈背をのばしきつねが坐る春野かな〉を評価してくれた。
 『天為』では、
ジンギスカン走りし日より霾れり
光堂より一筋の雪解水


がある。他にも『立志』の
ニュートンも錬金術師冬籠る

『不稀』の
天狼やアインシュタインの世紀果つ

など、物理学者であれば言えるという句を学んだ。
 有馬さんは地球の景もよく詠んだ。
山を裂き銀河へ迫り行く黄河
地球といふ大いなる独楽初日の出
初日射す流転の山河それぞれに


など、スケールが大きい。
 とくに海外詠を学ぶ機会が多かった。海外の出張が多くの句を生んだ。
露を置く野のキリストの足の釘
日向ぼこ大王よそこどきたまへ

など、なかなか真似はできない。最近は機会が少なくなったが、珍しい土地ではやはりよく観察し、土地の歴史を学びながら詠まなければという意識を持つ。それが有馬朗人さんから学んだことである。
 大峯あきらさんは本名は大峯顕で、哲学者であり浄土真宗僧侶であった。文学博士(京都大学)で宗教哲学を講義した。西田幾多郎研究で知られていた。その世界観は、世界の中のすべての物が季節の内側に存在すると考え、人を含めて季節は外側にある風物ではなく、自身を貫ぬく循環リズムであるというものであった。
 大峯あきらさんの句には、やはり地球や星が出てくる。
虫の夜の星空に浮く地球かな
月はいま地球の裏か磯遊び


 これらの句は私の地球科学の講義の中でもいつも使わせていただく。
茶が咲いていちばん遠い山が見え
花野よく見えてゲーテの机かな
花どきの峠にかかる柩かな


景色を大きなスケールできれいに詠むということを私は学んだ。
 和田悟郎さんは物理化学を専門とする研究者で、時間、地球、宇宙、次元というような自然科学の概念の言葉を駆使することができた。大きな枠で自然を見た。一九九五(平成七)年の兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災で自宅が全壊した。
寒暁や神の一撃もて明くる

という一句が忘れられない句となった。
 『時空のささやき』というエッセイ集には、阪神・淡路大震災に遭遇して神戸から奈良県生駒市に移住したこと、その後、世界は二十一世紀を迎えて、自身は無事に生駒で暮らしていることが綴られている。俳句を詠むときは作者の背景を知ることも重要だと私は思っている。
 ★和田悟郎さんが神戸に生まれたのは一九二三(大正一二)年だった。関東大地震が発生した年である。大阪帝國大学理学部卒で理学博士、奈良女子大学名誉教授となった。平成二二年創刊の「風来」主宰として時空を超越して大きな景を詠んだ。

黄道を先行くここち鷦鷯
永劫の入口にあり山さくら
太古より墜ちたる雉子歩むなり
重力も浮力もなくて寒の鯉
直感は光より疾し蝶の紋

 俳句の世界では光よりも早く伝わるものがあってもおかしくない、という教えがあった。

(編集部註・★以下の部分はWEP編集部の手違いによって本誌には掲載されていません。)大学に籍を置いて

尾池和夫(氷室主宰)

 一九四〇年生まれである私は、純粋の戦後教育の小学校からの世代である。長い昭和の時代を大学につとめながら研究者として過ごし、初めて俳誌「氷室」に俳句が掲載されたのは一九九三(平成五)年である。つまり昭和の期間には俳句作家にも句集にも触れていなかった。
 第一句集『大地』を私が出したのは二〇〇四(平成十六)年である。その句集に意見をいただいた方たちの中に、やはり大学に席を置きながら俳句を詠む俳句界の大先輩たちがいた。その中に、有馬朗人さん、大峰あきらさん、和田悟郎さんがいた。
 有馬朗人さんは東京大学の第二十四代総長であった。私は京都大学第二十四代総長を務めたので、二十四代同士で俳句の話をすることができた。俳句だけでなく有馬さんが文部大臣のときに、朝鮮大学校の卒業生に京都大学大学院理学研究科への入学を認めた件で文部省と私が真っ向から対立して、たいへんお世話になった。
 有馬さんは物理学者であった。晩年には原子力発電の分野の議論で、トリウム発電を進めようという点で、私と考えが一致していた。
 二十世紀末になってから有馬朗人第一句集『母国』(一九七二(昭和四七)年)を読んだ。初期の句は、超現実的なイメージの句があった。
初夏に開く郵便切手ほどの窓
草餅を焼く天平の色に焼く


などの句を覚えている。私の『大地』からは〈背をのばしきつねが坐る春野かな〉を評価してくれた。
 『天為』では、
ジンギスカン走りし日より霾れり
光堂より一筋の雪解水


がある。他にも『立志』の
ニュートンも錬金術師冬籠る

『不稀』の
天狼やアインシュタインの世紀果つ

など、物理学者であれば言えるという句を学んだ。
 有馬さんは地球の景もよく詠んだ。
山を裂き銀河へ迫り行く黄河
地球といふ大いなる独楽初日の出
初日射す流転の山河それぞれに


など、スケールが大きい。
 とくに海外詠を学ぶ機会が多かった。海外の出張が多くの句を生んだ。
露を置く野のキリストの足の釘
日向ぼこ大王よそこどきたまへ

など、なかなか真似はできない。最近は機会が少なくなったが、珍しい土地ではやはりよく観察し、土地の歴史を学びながら詠まなければという意識を持つ。それが有馬朗人さんから学んだことである。
 大峯あきらさんは本名は大峯顕で、哲学者であり浄土真宗僧侶であった。文学博士(京都大学)で宗教哲学を講義した。西田幾多郎研究で知られていた。その世界観は、世界の中のすべての物が季節の内側に存在すると考え、人を含めて季節は外側にある風物ではなく、自身を貫ぬく循環リズムであるというものであった。
 大峯あきらさんの句には、やはり地球や星が出てくる。
虫の夜の星空に浮く地球かな
月はいま地球の裏か磯遊び


 これらの句は私の地球科学の講義の中でもいつも使わせていただく。
茶が咲いていちばん遠い山が見え
花野よく見えてゲーテの机かな
花どきの峠にかかる柩かな


景色を大きなスケールできれいに詠むということを私は学んだ。
 和田悟郎さんは物理化学を専門とする研究者で、時間、地球、宇宙、次元というような自然科学の概念の言葉を駆使することができた。大きな枠で自然を見た。一九九五(平成七)年の兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災で自宅が全壊した。
寒暁や神の一撃もて明くる

という一句が忘れられない句となった。
 『時空のささやき』というエッセイ集には、阪神・淡路大震災に遭遇して神戸から奈良県生駒市に移住したこと、その後、世界は二十一世紀を迎えて、自身は無事に生駒で暮らしていることが綴られている。俳句を詠むときは作者の背景を知ることも重要だと私は思っている。
 ★和田悟郎さんが神戸に生まれたのは一九二三(大正一二)年だった。関東大地震が発生した年である。大阪帝國大学理学部卒で理学博士、奈良女子大学名誉教授となった。平成二二年創刊の「風来」主宰として時空を超越して大きな景を詠んだ。

黄道を先行くここち鷦鷯
永劫の入口にあり山さくら
太古より墜ちたる雉子歩むなり
重力も浮力もなくて寒の鯉
直感は光より疾し蝶の紋

 俳句の世界では光よりも早く伝わるものがあってもおかしくない、という教えがあった。

(編集部註・★以下の部分はWEP編集部の手違いによって本誌には掲載されていません。)