京都の地球科学(三八四) 『氷室』2026年4月掲載
京都の地下構造と地下水(九)
尾池和夫
京都の活断層について、植村善博さんの論文、「変位地形と地下構造からみた京都盆地の活断」(京都歴史災害研究第二号・二〇〇四年)の内容をほとんどそのまま引用して記載してきた。
今のところ、この論文が京都盆地の構造を知るために最もくわしく記載されていると思う。それを「氷室」に転載させてもらっておくと、何かの時に便利であるというのがこの九回の連載の動機であった。北西部から南東部へ移動しながらの説明で最後(二〇二六年三月号)は氷室本部のある私の自宅の近くの御蔵山の構造で終わった。
最後に植村さんのこの論文の「考察」を引用しながら、かなり重複するが、全体のまとめと問題点の考察をしてみたい。
先生は誤解恐れず菱紅葉 辻 桃子
まず、活断層の性質についてである。京都盆地の活断層は、大部分が長さ一〇キロ未満で、南北走向のものが卓越している。多くが地形と調和的な変位センスをもつ逆断層である。しかし、横ずれの成分を見ると、北東走向の花折断層は右ずれであり、北西走向の光明寺断層は左ずれ成分をもっている。これは第四紀中期以降、近畿地方北部の全体に働いているほぼ東西方向の圧縮応力場に支配されてきたことを示している。
京都盆地の活断層を位置によって分類してみる。活断層はその分布する地形、地質的位置によって次の六つのタイプに分類できる。
◎タイプ一:基盤山地と丘陵との境にあり、地形・地質境界をなす西山断層や黄檗断層で、段丘期においては顕著な断層運動を生じていない。京都盆地が周辺山地と分離して沈降を開始した際の運動や大阪層群堆積中における沈降運動に重要な役割を果たした。この断層運動は約一一〇万年前に始まり、約五〇万年前頃に主要な活動を停止したと推定され、第四紀断層と呼ぶことができる。
◎タイプ二:タイプ一の断層の低地側一〇〇~五〇〇メートルの範囲内にあり、新期の変位地形を伴うもの。灰方断層や桃山断層、小野断層、日野断層のほか金ケ原断層、勧修寺断層、花山断層の一部が含まれる。タイプ一の断層帯内で同じ様式の運動をおこなう分岐断層と考えられる。逆断層面の低角度化によって低地側に生じたものと考えられる。
◎タイプ三:一の断層より一キロメートル以上離れており、丘陵・段丘と低地との境界を形成する樫原断層、木幡断層が属する。タイプ一の断層から、前者で約三・三キロ、後者で約一・八キロ低地側に位置する。樫原断層は北部では基盤と低地との境界をもなしており、基盤の変位量も三五〇メートルに達する。これらから、第四紀においては西山断層とは独立して活動する断層と考えられ、タイプ三Aとして区別する。西賀茂断層もこれにあたるとみられる。木幡断層は黄檗断層から分岐したデコルマ的断層面の前進的活動により生じた新期の断層と考えられ、基盤変位量も一〇〇メートルと小さい。これをタイプ三Bとする。つまり大規模地震の時、派生して割れたようなものかもしれない。
◎タイプ四:花折断層などがこれにあたり、タイプ一、二両方の性質をあわせ持つ。第三紀以前からの長い活動歴をもち、横ずれ成分の卓越する断層である。
◎タイプ五:盆地内に分布し、L面以下のみに変位を与えている花山断層南部がこの例である。低角逆断層による変位の前進に伴うと推定され、地下構造には明瞭に表れておらず活動開始が新しいと推定される。
◎タイプ六:逆むきの変位を累積してきた灰方断層の一部、神楽岡、岡崎、御蔵山の断層がこれにあたる。
次に断層の変位量についてである。断層ごとに、時代基準の明瞭な地形や地層から変位量を求め、その平均変位速度から次のような特徴が読み取れる。
盆地と山地との境界部の断層は基盤上面の縦ずれ変位量が京都盆地西縁で二一〇、三〇〇、三五〇メートル、東縁で二〇〇、三八〇、メートル程度である。また、山科盆地西縁で三五〇メートル、東縁で三〇〇、六〇〇メートルの値を示す。黄檗断層北部の六〇〇メートを除くと、大部分が二〇〇~三八〇メートルの範囲にあり、よく揃っている。これは一一〇万年の間において平均変位速度が千年当たり〇・二~〇・三メートルと極めてよく一致し、ほぼ同程度の活動度で変位を累積してきたといえる。
しかし、二万年以降の変位速度を見ると、西山断層帯では千年当たりほぼ〇・一メートル、花折断層では千年当たり、〇・一~〇・二メートルで断層の走行での変化はみられない。桃山断層では千年当たり〇・三メートル、黄檗断層では線辺り〇・三~〇・六メートルと大きくなる点は重要である。資料の不足のため、現状ではアスペリテイやセグメント境界などを推定することはできていない。
横ずれ累積量についてみると、金ケ原断層の左ずれが約一〇〇メートル、花折断層南部での右ずれが一二〇メートル程度である。殿田断層の左ずれ最大累積量は約二〇〇メートル、花折断層中部でも一五〇~二〇〇メートル程度で、明らかにこれらより小さい。今後、時代基準を求めて正確な変位速度を求める必要がある。
学問の迷ひにも似て蟻の道 能村研三
京都の地球科学(三八五) 『氷室』2026年5月掲載
京都の地下構造と地下水(一〇)
尾池和夫
京都の活断層について個別の記載の後、全体のまとめの続きである。前回の最後で変位量について書いた。次に、平均変位速度の時代変化について考える。
過去一一〇万年間の平均変位速度は各断層で良く一致している。つまり全体的に同じような変位速度を示した。しかし、過去三〇万年間(段丘期以降)では、平均変位速度がほぼ一定のものと、徐々に加速化するものとがある。前者は樫原、走田、金ケ原、花山の各断層で、これらをA型とする。一方、後者は灰方、桃山、小野・日野、御蔵山の各断層で、これらをB型とする。約三〇万年間の加速化は二~五倍に達する。加速化の原因として、圧縮応力の増加や断層面の成熟によるすべりやすさなどが考えられるが、今後の検討課題である。
なお、過去三〇万年間における縦ずれ平均変位速度が最も大きいのは黄檗断層系で、特に小野断層は本地域最大の千年当たり〇・六メートルという変位速度をもつ。黄檗断層帯の地震発生危険度評価に関する情報は少なく、緊急に検討する必要がある。この値からは黄檗断層の地震活動は活発であり、前回の地震からの経過を考えると近未来に大規模地震が発生する可能性があることになるが、そのようなことを意味する調査結果があるわけではない。山科川の土手を歩きながら東側の山系を見るとたしかに高くなっているように見える。
次に地下構造と変位地形の対応である。P波断面によると、活断層の位置には地下に幅一〇〇~五〇〇メートル程度の大阪層群の変形帯が形成されている。しかし、その出現位置は地下の変形帯中の一部分を反映するにすぎない。変位地形による活断層調査のみでは活構造の全体像を把握することはできない。本地域のP波探査の方法と精度に差があり、詳細な検討は困難である。
しかし、地下変形帯の低地側の末端に活断層が出現している事例が最も多い。これは逆断層による変位位置が前進していく結果であり、活断層の活動的な位置は時代とともに変化していくと考えられる。また、断層を境に大阪層群の層厚は急変しており、下盤で厚くなる。大阪層群堆積時から断層運動が継続していたことを示す。一方、花山断層南部および木幡断層には地下の変形帯が認められず、両断層は第四紀後期以降に活動を開始した新期の断層であると推定される。
全体について、大きくまとめる。京都盆地の南北性活断層を三つの起震断層系に大別し、その変位地形の特徴および地下構造との対応を検討した。その結果は以下のようにまとめることができる。
一、京都盆地は約一八〇、一一〇、六〇万年前の各時期に沈降を開始した三つの構造盆地からなる。そして、沈降域は南から北へ段階的に移動してきている。
二、本地域の活断層は南北走向で、長さ一〇キロm前後、逆断層が卓越する。盆地の沈降は一一〇万年前以降に開始されたが、現在までの縦ずれ総変位量は二〇〇~三八〇メートルとほぼ同程度である。これは長期的には平均変位速度が千年当たり〇・二~〇・三メートルと、ほぼ一定であることを示す。横ずれ累積量は一〇〇~一二〇メートルである。
三、活断層の分布位置によって以下の六つのタイプを識別した。タイプ一、地形・地質境界に一致する。タイプ二、タイプ一より低地側五〇〇メートル以内に分布し新期の変位が明瞭なもの。タイプ三、タイプ一より一キロ以上はなれていて活動的なもの。タイプ四、タイプ一と二の性質をもつもの。タイプ五、盆地内に分布し活動開始が新しいもの。タイプ六、逆むきの変位を累積しているもの。
四、過去三〇万年前以降の変位速度が一定のものをA型、加速化しているものをB型に分けた。後者には灰方、桃山、小野、御蔵山の各断層が含まれる。
五、地下構造との対応を検討した結果、五〇〇メートル以内の幅で発達する地下の変形帯の一部を利用して活断層が出現している。また、逆断層の活動位置は前進的に移動してきたことが推定される。
論文の最後に、植村善博さんの謝辞が書かれており、そのまま引用する。
「研究会で発表の機会をいただき、投稿を勧めてくださった立命館大学の吉越昭久教授に厚く感謝申し上げる。また、京都市消防局防災対策室および京都市地域活断層調査委員会の尾池和夫、岡田篤正、竹村恵二、吉岡敏和の皆様には調査活動の際に多大の協力と助言をえた。記して謝意を表します。本稿は『京都の活断層』に執筆した内容をその後の調査結果により追加、修正し、論文として再構成したものである。」
節分の鬼断層を跨ぎゆく 尾池和夫
京都市や京都府の調査結果は産業技術総合研究所の活断層データベースに収められており、また京都府では府域へ影響が懸念される活断層(二二断層)による地震及び東南海・南海地震について地震被害想定調査を実施し、平成二〇年に公表した。また、平成二四年度に内閣府から発表された南海トラフ地震被害想定の結果について、内閣府から詳細なデータ提供を受け、それを基に京都府で整理を行った。その結果は「京都府における地震・津波による被害想定」にまとめられている。
https://www.pref.kyoto.jp/kikikanri/1219912434674.html
断層地形ジョッキで指してビアガーデン 尾池和夫
京都の地球科学(三八六) 『氷室』2026年6月掲載
奈良盆地の活断層と地震予測(一)
尾池和夫
二〇二六年五月二日土曜日の夜、京都ブライトンホテルで京都音楽家クラブ七〇周年記念の行事があり、「活断層のリスクと恩恵―京都盆地を例として」というタイトルで、三七名の参加者に一八時から講演した。京都周辺の活断層のことを話し始めた頃、一八時二八分に会場内に一斉に緊急地震速報が鳴りだした。こういう場合、避難訓練としての意味もあり、頭を保護して構えるべきではあるが、私の悪い癖で地震の揺れをじっと感じ取ってどのような地震かを考えることになる。
この日の会場の京都ブライトンホテルは一九八八年に、株式会社日建設計の設計、株式会社長谷工コーポレーションの建設による建築で、一九九〇年度の日建連表彰BCS賞を受章したホテル建築である。したがって耐震性が十分にあるという安心感もあった。
以前、自宅で揺れを感じたとき、じっと立ったまま感じ取っていたら、机の下から出て来た長女に「こういう場合、お父さんはまったく役に立たない」と言われたことがある。一九九五年一月一七日の兵庫県南部地震の時にも、自宅で飛び起きたが、そのままじっと立っていて「神戸か名古屋か」などとつぶやきながら揺れを感じ取っていた。
その日は夜中の三時頃にトイレに行ったとき、自宅に置いてある電磁波観測装置のモニター記録を見て異常を感じ取って詳しい記録を取るための記録計のスイッチを入れておいたから、地震前からの電磁波記録がとれた。そのことが雑誌に載り、BBCのニュースで世界に放送された。大地震前の動物異常現象の一つの例と言われている。
二〇一一年三月一一日には、川崎市の東京電力の講堂でインドネシアの巨大地震の話をしていた。インドネシアの地図を九〇度廻して日本列島に並べるとちょうど同じ大きさの、同じ形であることことから、日本列島にも同じような巨大地震が起こると言ったときに大きく揺れ始めた。さすがにこの時には全員で野外の広場に出たが、横にいた方に後で聞いたら、「原発、大丈夫かなあ」と私が呟いていたという証言がある。その後がたいへんで新幹線の駅まで歩いてやっと翌日の京都での親類の結婚式に間に合った。歩いているときの朝日新聞記者とのやりとりが朝日新聞の写真特集の最初に載っている。
五月二日の京都での講演では、これらの逸話も紹介しながら、現在までに前兆的な地震活動が確認されている活断層について近未来の大規模地震発生の可能性を紹介した。その中には奈良盆地の地震発生の可能性も含まれている。
もの問ふと奈良の刈田へはいりゆく 飴山 実
奈良盆地はいくつかの活断層がずれて造り出された盆地である。そこに都が置かれた。JR奈良駅から三条通を東へ歩くと急に坂がきつくなって右手に猿沢の池があり、左手は興福寺の境内のある高台になる。この高低差が活断層の上下運動でできた地表の高低差であり、三条通は坂道としてなだらかに変形されているが、道路以外の場所では崖のような地形があって、南北方向に辿ることができる。北へ辿ると奈良女子大学の敷地を通過する。
奈良県の全体像を政府の地震調査研究推進本部が公表している「奈良県の地震活動の特徴」を元に概観する。奈良県に被害を及ぼす地震は、主に陸域の浅いところで発生する地震と、沈み込んだフィリピン海プレート内で発生する地震がある。
主な被害地震を挙げる。一八五四年の伊賀上野付近の地震はマグニチュード七・三の規模で、「伊賀上野地震」と呼ばれる。伊賀上野から奈良、大和郡山の地域で被害が著しく、奈良で死者二八〇名の被害があった。木津川断層帯で発生した。
一九三六年にはマグニチュード六・四の地震で河内大和などに被害の記録があった。最初に述べた京都での講演でも、この地震以後の地震時系列が六甲淡路島活断層の前震活動によく似ていると紹介し、大規模な地震に繋がる可能性を指摘した。
潜り込むフィリピン海プレート内で発生した陸域のやや深い地震の例に一九五二年の「吉野地震」がある。マグニチュード六・七、深さ約六〇キロであった。奈良県内では死者三名などの被害があった。講演の最中に緊急地震速報が出たときの地震も同じ部類の地震で、深さ七〇キロ、マグニチュード五・七だった。
奈良県、三重県の県境付近で発生した一八九九年の地震(マグニチュード七・〇、推定の深さ四〇~五〇キロ)は「紀伊大和地震」と呼ばれる。これも潜り込むフィリピン海プレート内に起こる地震であった。奈良県の南部を中心に被害が生じた。
奈良県の周辺部に発生して地震としては、一五九六年の「慶長伏見地震」(マグニチュード七・五)、一九四四年の「東南海地震」(マグニチュード七・九)、一九四六年の「南海地震」(マグニチュード八・〇)など、南海トラフ沿いに発生する巨大地震がある。これらによっても奈良県内で被害が生じたことがある。一七〇七年「宝永地震」では法華寺の塔が倒れるなど、寺社の大きな建物が長い揺れによって被害を受けた。
奈良県の主要な活断層には、最初に述べた京都盆地―奈良盆地断層帯南部、つまり「奈良盆地東縁断層帯」と、金剛山地に沿って大阪府との境に延びる中央構造線断層帯「金剛山地東縁断層」がある。県境に近い大阪府にある生駒断層帯も奈良県に大きな影響を与える。東の木津川断層はしばらく安全である。
啓蟄の人のにぎはふ奈良にをり 森 澄雄
京都の地球科学(三八七) 『氷室』2026年七月掲載
奈良盆地の活断層と地震予測(二)
尾池和夫
奈良県は中央構造線を境にして南北に半分ずつに大地の特徴が分かれている。北は活断層運動でできた盆地構造で、地盤がやや軟弱なため、周辺より揺れが強くなる可能性があり、南部は山岳地帯で崖崩れなどがある。これらのことを基本としておいて、部分ごとに詳しく見ておきたい。
奈良市の地域には平城京などの遺跡がある。奈良盆地東縁断層系を奈良市付近で細かく見ると、上の地図のように逆断層運動をする多くの断層があることが地表で確認されている。この地図の南端に「反射法探査側線」とある場所で反射法地震探査を行った結果の断面図を示しておく。これを見るとさらに別の活断層が潜在的に存在することがわかる。いずれにしても奈良盆地の直下には長い間、動いていない活断層が数本あることから、近い将来、直下型の地震が発生する可能性が、まちがいなく高いということが言える。
以下、反射法探査断面の説明である。
奈良盆地東縁断層系は奈良盆地と大和高原を境する南北走向、東傾斜の逆断層群である。これらの活断層の詳細な記載と平均変位速度の検討は、寒川ほか(一九八五・第四紀研究)により発表されている。奈良市街北部の奈良坂撓曲と、奈良市街南方から天理市街にかけて延びる天理撓曲に、更新世後期の活動が認められている。平均変位速度が千年当たり〇・一~〇・二メートルである。奈良盆地東縁断層系では歴史時代の地震活動は知られておらず、古地震学的調査研究は従来まったく行われていなかった。本断層系は奈良市とその南北の人口集中域に位置しており、防災上きわめて重要である。そこで、その活動様式と活動履歴を明らかにすることを目的に総合調査を実施した結果がこの断面図である。
活断層としてすでに記載されていた天理撓曲に加え、その西側約一キロメートルの奈良盆地の地下に伏在断層 (帯解おびとけ断層) が存在することが明らかになった。二つの断層はいずれも東傾斜五〇?六〇度の逆断層であり、中期更新世に活動を開始してからの累積変位量は、両者を合わせて約一五〇メートルである。天理撓曲は約一〇〇〇〇年前以降、奈良時代以前に少なくとも一回の断層活動を行ったと考えられる。
帯解断層については、姶良丹沢テフラ (二五〇〇〇年前) の降下以前の活動が推定された。ボーリング調査と反射法地震探査の結果から、同断層の完新世における活動の存在も推定されたが、時代など具体的には確認できていない。
雲雀仰げば奈良の山奈良の寺 飯田龍太
、多くの調査が行われていいるが、例えば、寒川ほか(一九八五年)は断層活動により変位を受けている段丘を構成する地層から得られた炭素同位体年代値から、一・五~二万年前以後に断層活動があったとしている。一方、東郷(二〇〇〇年)は、曽根山撓曲(東郷(二〇〇〇年)では歌姫断層)の活動によって古墳が変位を受けたと考えられるとしている。この変位が断層活動によるものとすれば、この古墳は五世紀半ばに作られたと考えられていることから、これ以降に断層の活動があったことになるが、古墳の変位が断層活動によるものかどうかは確定できない。
以上のような調査結果から、奈良県の活断層について、国の地震調査研究推進本部がまとめた結果は以下の通りである。
「過去数万年間においては、奈良盆地東縁断層帯の平均的な上下方向のずれの速度は概ね千年当たり〇・六メートルであったと推定される。奈良盆地東縁断層帯では約一万一千年前以後、約一二〇〇年前以前に、少なくとも一回の断層活動があったと考えられる。これ以外に最新活動時期に関するデータは得られていない。奈良盆地東縁断層帯における一回の断層活動による上下方向のずれの量は概ね三メートルであったと推定される。平均的な活動間隔については直接的なデータは得られていないが五千年程度であった可能性がある。」
「奈良盆地東縁断層帯(京都盆地―奈良盆地断層帯南部)ではマグニチュード七・四 程度の地震が発生し、その際、断層の近傍の地表面には段差や撓みが生じ、東側が西側に対し相対的に三メートル程度高まると推定される。過去の活動が十分に明らかではないため信頼度は低いが、奈良盆地東縁断層帯の最新活動後の経過率及び将来このような地震が発生する長期確率は表二(略)に示すとおりである。本評価で得られた地震発生の長期確率には幅があるが、その最大値をとると、本断層帯は、今後三〇年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになる。」
春時雨に追はれ奈良坂下りけり 長野眞久
京都の地球科学(三八八) 『氷室』2026年八月掲載
奈良県の大地(一)
尾池和夫
奈良県の活断層のない地域のことも書いておきたい。奈良県には人類の歴史も古くからあるが、その歴史の背景には大地の仕組みがある。奈良県はほぼ中央部を東西に走る中央構造線があり、その北側には盆地があり、川が流れて、古くから人びとが住み、都が生まれた。中央構造線より南には高い山々が続き、高野山や吉野千本桜などの名所が知られており、熊野古道があり、南端には南紀熊野ジオパークがある。
中央構造線(Median Tectonic Line、略してMTL)は、西日本の大地を九州の東部から関東へと横断している、世界一の長さを誇る巨大な断層である。地上に見えている断層の線(トレース)だけでなく、地下深くへと続く断層の面全体を指して「中央構造線」と呼ぶ。この中央構造線を境目にして、北側(大陸側)を「西南日本内帯(ないたい)」、南側(海溝側)を「西南日本外帯(がいたい)」と呼んで区別している。
「構造線」という呼び方は異なる地層の出会う境界という意味に使われる、中央構造線の場合には地層の境界線であるだけでなく、今でも一部分が「活断層」として動いているという大きな特徴がある。その動いている部分は「中央構造線活断層帯」とも呼ばれる。
中央構造線のすぐ北側(内帯側)には「領家(りょうけ)変成帯」があります。これは中生代ジュラ紀の時代に海のプレートが沈み込むときに削られて大陸にくっついた付加体が、その後の白亜紀に、高い温度と低い圧力によって変化した地層(高温低圧型変成帯)である。ここには白亜紀の花崗岩も見られる。
一方、すぐ南側(外帯側)には「三波川(さんばがわ)変成帯」がある。こちらは白亜紀に、低い温度と高い圧力によって変化してできた地層(低温高圧型変成帯)である。
中央構造線は、九州の東部から長野県の諏訪湖のあたりまで、ほとんど途切れずに地上でその跡をたどることができる。しかし、諏訪湖より東の「フォッサマグナ」の地域では、昔の海を埋めた新しい地層(新第三紀の堆積岩)に深く覆われているため、中央構造線を地上から見ることはできない。
宇宙から地球を眺めると、中央構造線に沿ってまっすぐな谷の地形が走っているのが見える。このように、断層の線に沿って川などが地面を削ることでできる谷を「断層線谷」という。長さ一〇〇〇キロメートルにも及ぶ日本一長い断層の谷が、西日本をまっすぐに貫いている様子は、宇宙からもはっきりと分かる。図は中央構造線の構造とその南北の地層(中央構造線博物館による。
この谷は、中央構造線が動いたときに岩がボロボロに砕けた場所(破砕帯)を、川が長い時間をかけて浸食して削り取ったことで生まれた。逆に、新しい地層や火山の岩で厚く覆われた地域では、この破砕帯の場所が地下に隠れているため、削られた谷はできていない。
面白いことに、この中央構造線は伊豆半島のあたりにくると、北側へ大きくグニャリと曲がっている。中央構造線はこの地域でも元はほぼ東西にまっすぐ走っていた。しかし、今から一一〇万年ほど前、南の海からやってきた伊豆半島が日本列島にドーンと衝突して来たために、その強い力で北側へ押し込まれてしまった。この衝突のあと、今まで述べてきた活断層運動が西南日本の内帯に発達することになった。
南朝の山滴りて奥見せず 柴田多鶴子
中央構造線の南側にある四万十帯を基盤とする広大な地層を「四万十層群(または四万十累層)」と呼ぶ。この層群は、房総半島から関東山地、赤石山脈、紀伊山地、四国山地南部、九州山地南部を経て、遥か沖縄本島にいたるまで、長さ一八〇〇キロメートルにわたって日本列島の太平洋側を帯状に縁取る巨大な地質体である。その中身は、砂岩や泥岩、チャート、玄武岩、斑れい岩などが複雑に絡み合い、押し潰された構造を持っている。各所には、太古の海底地すべりによって激しく乱された痕跡を残す地層や、地球深部の圧力で変成作用を受けた地層が幾重にも挟み込まれている。
北側の境界は、秩父帯あるいは三宝山層群(三宝山帯)と接しており、「仏像構造線」という雄大な断層線によって明確に区切られているが、南側の海への境界は明瞭ではない。この広大な層群は、大きく「四万十層群北帯」と「四万十層群南帯」の二つに分類されている。
四万十層群は、中生代白亜紀から新生代古第三紀という長い時間をかけて、海洋プレートが沈み込む際に形成された「付加体」である。かつて海洋地殻とその上に静かに降り積もった砂や泥が、海溝へと沈み込むその瞬間、無数の衝上断層(逆断層)によってバリバリと地塊ごとに引きちぎられた。それらが斜めに傾きながら、次から次へと団子のように地上側へ押し上げられ、現在の姿となった。そのため、バラバラになった一つひとつの地塊の内部だけを見れば、上(北)にいくほど新しい地層なのであるが、四万十帯全体として大きく見渡すと、南にいくほど新しく形成された地層になっているという、付加体特有の非常にユニークな構造を持っている。
峰越へし坂鳥になほつぎの峰 柴田多鶴子