『幸雨』連載16-18 2020年4月-6月

ジオパーク吟行案内(一六)

 

恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク(2)
                   尾池 和夫

 

恐竜博物館に展示されているフクイラプトル・キタダニエンシスは、カルノサウルス類と考えられる肉食恐竜である。全長は四・二メートル、手と足の骨がほぼ完全にそろい、肉食恐竜としては日本で初めて全身骨格が復元された。

フクイサウルス・テトリエンシスは、イグアノドン類の草食恐竜である。多数の骨の発見により、全長約四・七メートルの全身骨格が復元された。イグアノドン類の進化の研究にとって重要な標本である。

フクイティタン・ニッポネンシスは、日本で最初に学名がつけられた竜脚類で、原始的なティタノサウルス形類に属している。発見部位が少ないため、まだ全体像については詳しいことが分からない。

かつやま恐竜の森(勝山市長尾山総合公園)は、里山の豊かな自然環境を保全した都市公園で、公園管理棟内にはジオパークの情報を得られるビジターセンターが設置されている。ジオパークを訪ねたら、ここでまず情報を入手して巡る計画を立てる。

また、「どきどき恐竜発掘ランド」で、実際の恐竜化石発掘地の岩石を用いて、化石発掘体験をすることができる。全国から年間二万人ほどの子どもたちが参加する。見つかる化石は、ビビパルス(巻き貝)、トリゴニオイデス(二枚貝)の動物化石やソテツ類などの葉っぱや茎などの植物化石である。また淡水生の貝、羊歯や裸子植物の化石のほか、稀に恐竜や海胆の骨や歯などの化石が見つかる。

夫婦滝は、落差約三五メートルの滝で、滝の上部は分かれて流れ、中央部で一つになって落ちる様子から、夫婦滝と呼ばれている。そのあたりの地質は、恐竜時代の地層の上に、日本海ができはじめた頃の火山岩類が覆い被さっている。夫婦滝の滝壁もこの岩石によって構成されている。夫婦滝の道からは、恐竜化石発掘調査の様子が見られる。

「恐竜」というと、大昔の爬虫類と認識している場合が多い。同時代にいた翼竜や魚竜、首長竜、モササウルス類(水生の大型トカゲの一種)、古生代の非哺乳類型の爬虫類なども含めた概念を持つ人が多い。しかし、正確には「恐竜」は、系統的に異なる翼竜、魚竜、首長竜などは一切含まない。恐竜類の特徴は、直立歩行に適した骨格をもった爬虫類であり、地上に生息する。

恐竜は白亜紀末期に絶滅した。このときの絶滅は、多く の動植物を巻きこんだので大量絶滅と言われる。絶滅の要因に関する仮説には、短時間で滅んだとする激変説がある。隕石衝突説や彗星遭遇説などである。また、長時間かかったとする漸減説がある。温度低下説、海退説、火山活動説などである。一九九一年、メキシコのユカタン半島で、直径一八〇キロの、チチュルブ・クレーターが発見され、巨大隕石の衝突による大量絶滅の証拠とされた。

一方、鳥類が恐竜から進化したのだから、絶滅を逃れて進化した恐竜が鳥類であるという観点もある。なぜ、鳥類は、白亜紀末の大絶滅を免れ、生きのびたのかという謎が現在、大きな関心事でもある。

 

平泉寺白山神社 筆者撮影

 

ジオパークから少し外れて、勝山には平泉寺白山神社がある。勝山市平泉寺町平泉寺に鎮座する神社で、明治時代までは霊応山平泉寺という天台宗の有力な寺院であった。

 

養老元年(七一七年)、泰澄によって開かれた。平安時代以降比叡山延暦寺の勢力下に入り、白山信仰の越前側の禅定道の拠点として、山伏、僧兵が集まった。室町時代後半の最盛期には、砦や堀を備え、全山石垣に囲まれた要害で、六〇〇〇の院坊を備え、僧兵八〇〇〇人を抱える巨大な宗教都市となり、戦国時代には越前の国主である朝倉氏と肩を並べるほどの一大勢力となっていた。

しかし、天正二年(一五七四年)、越前一向一揆に襲われて、平泉寺は全山を焼失、滅亡した。

現在、境内は白山国立公園特別指定区域内に位置し、一面の苔で、京都西芳寺と並ぶ苔寺である。中宮平泉寺参道は、樹齢一〇〇〇年の杉、山毛欅、楢などの並木で、石畳は、室町時代に修行僧の普請で運ばれた九頭竜川の河原の石で、「日本の道一〇〇選」「新・日本街路樹一〇〇景」「歴史の道百選」に選定されている。

勝山から福井へ向かう、えちぜん鉄道の途中に永平寺口駅がある。福井県吉田郡永平寺町にある永平寺は、總持寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院、大本山である。さらに山を隔てて南側、福井市の南東約一〇キロ、越美北線の一乗寺谷駅から朝倉氏遺跡に向かう。戦国時代に朝倉氏五代が一〇三年間にわたって越前の国を支配した城下町の跡で、武家屋敷から道路まで発掘され復元されている。

恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークの北に接して白山手取川ジオパークがある。勝山から国道一五七号線が白峰温泉、手取川ダムを経て手取川に沿って白山市に入る。次回はその紹介である。        (「氷室俳句会」主宰)

 

 

ジオパーク吟行案内(一七)

 

白山手取川ジオパーク(1)
                   尾池 和夫

 

白山市は、二〇〇五年に一市二町五村が合併し、石川県内で最大の面積を持ち、人口は金沢市に次いで二番目に多い自治体となった。市全域が、日本三名山の白山から北へ流れる手取川の流域と重なり、その全域が白山手取川ジオパークである。手取川は中流域で西へ曲がり、白山市北部にあたる下流域で大規模な扇状地を形成し、日本海へ注ぐ。

平成の大合併で、松任市、美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村が合併して白山市が成立したが、市全体がまとまるため、手取川に着目したジオパークの活動が始められ、二〇一一年九月五日に日本ジオパークのメンバーに認定された。

北陸の各県には一つずつのジオパークがある。いずれも日本海に関連した大地の歴史が重要な要素になっている。それらは、新潟県の糸魚川ジオパーク、石川県の白山手取川ジオパーク、福井県の恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク、および富山県の立山黒部ジオパークである。

四つのジオパークの物語では、日本海形成の歴史の役割がそれぞれ異なっている。恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークでは、アジア大陸から日本列島が分離する物語が恐竜化石を通じて語られ、白山手取川では、日本海が水の旅の源として、糸魚川では、フォッサマグナ地域の西端の断層が日本列島の形成を示す地質や地形として、立山黒部では、深さ一〇〇〇メートルの富山湾と標高三〇〇〇メートルの立山連峰の高低差が語られる。

白山手取川ジオパークは「山-川-海そして雪、いのちを育む水の旅」という言葉で表現され、三つのエリアと合計四五のジオサイトで構成されている。ウェブサイトから引用してジオパークの全体像を紹介する。

山と雪のエリアは、多くの水が白山に雪となって舞い降り、水の流れが始まるエリアである。約三億年前から現在に至るさまざまな大地の成り立ちと、白山と人々の関わりを体感するこのエリアには、白山、桑島化石壁、手取川ダム、岩間噴泉塔と白山スーパー林道などの見所がある。

暖流の対馬海流から冬でも多くの水が蒸発し、季節風が山地に遮られて雪が大量に降る。白山の豪雪が手取川の流れを生む。白山の麓の日本屈指の豪雪地帯に、雪とともに生きる独特の生活様式を生み出してきた白峰地域がある。

川と峡谷のエリアは、いくつもの川が合流し、流れが大きくなるエリアである。峡谷や河岸段丘など、水の流れによ って形づくられる地形が発達し、手取川と人との関わりを体感することができる。手取峡谷、大日川、直海谷川などが見所である。手取川中流域では河岸段丘が発達しており、高位段丘面と河床との比高は三〇〇メートルほどある。浸食された土砂は手取川によって運搬される。手取峡谷は長さ八キロ、低位段丘面と河床との比高は二〇から三〇メートル程度である。

 

手取川扇状地 撮影:筆者

 

海と扇状地のエリアは、川が運ぶ土砂によってできた扇状地の上で、水の恩恵と脅威を感じるエリアである。川と共存する人の知恵と工夫を体感することができる。獅子吼高原、松任と七ヶ用水、島集落、美川と白山海岸などが見所である。手取川扇状地の扇頂は鶴来にあり、そこから北へ大規模に扇状地が展開している。以上がこのジオパークの概要であるが、いくつかのジオサイトをさらにくわしく見ていきたい。

 

まず豪雪地帯にある白峰、旧牛首村のことである。品質の高い牛首紬で知られる。明治の初めまで白峰は牛頭天王に由来して牛首村と称した。平治の乱(一一五九年)で源氏の落人が牛首の地に落ちのび、機織りの技に優れた妻女が技を村の婦女子に伝授した。豪雪地帯の一帯は農耕には適さず、養蚕が貴重な収入元であった。二匹の蚕が産み出す玉繭から織られたのが牛首紬である。

縄文時代より、丘陵の日当たりのよい段丘上に、山川の幸を生活の糧とした人たちが住んだ。養老元年(七一七年)に泰澄大師によって牛首と呼ばれる現在の白峰集落の中心となる村が開かれたとされる。白峰は、年間の垂直積雪量が四メートルを超える豪雪地帯で、積雪対策では伝統的な住居の大梯子や大背戸などが知られる。

戦国時代には加藤藤兵衛という土豪が白峰を治めていた。慶長六年(一六〇一年)に越前国守より白山麓一六か村を治めるよう命を受けたが、白山山頂の経済活動の権利を巡って、越前、加賀、美濃の争いがあり、寛文八年(一六六八年)には、加賀藩領尾添、荒谷を加えて一八か村が天領となった。白峰の山岸十郎右衛門家が、幕府の命により明治維新まで代々大庄屋(取次元)としてこの地を預かった。

白峰の町並みの最大の特徴は、山村でありながら建物が密集して全体が町の景観を形成していることである。明治中期の記録には、製糸業が盛んで、警察分署、登記所、宿、料理店、雑貨店、飲食店、呉服店、芸鼓、消防の施設などがあると記されている。山間部とは思えない集落の賑いである。             (「氷室俳句会」主宰)

 

ジオパーク吟行案内(一八)

 

白山手取川ジオパーク(2)

                   尾池 和夫

 

 白山手取川ジオパークの水の旅を白山から始める。白山は信仰の山である。登山口は石川、福井、岐阜各県にあり、しかも多くの登山コースが整備されている。よく知られているのは別当出合基点の砂防新道で、黒ボコ岩経由で登り、エコーラインで下山する一泊二日のコースである。

 白山砂防科学館で、周辺の大地、崩れる地形、その象徴としての百万貫の岩について知ることができる。床面の航空写真で白山の山頂から日本海までの距離がたいへん短く、手取川が急流であることを理解する。川が削りこんで常に地形が変化するという手取川流域で暮らすための砂防事業が行われる。

 白山自然保護センターは、環境省の中宮温泉ビジターセンターと隣り合わせで展示が充実し、白山火山の成り立ち、周辺で発見される化石、白山の哺乳類、鳥類などの動物、高山植物や橅などの植物、白山麓の人々の暮らしがわかる。

 野外の蛇谷自然観察園、野猿広場、川の生態観察園も見応ええがある。ブナオ山観察舎は、野生動物を観察できる国内唯一の施設である。木の葉が落ちて観察ができる秋から春にかけて開館し、雪の中で生きる動物、斜面の雪崩などを間近に見る。

 白山高山植物園は、高山植物の保護を目的として馴化栽培試験を実施している。誰でも高山植物を見学できるよう、栽培試験圃場を公開している。見学可能な高山植物は約五〇種で、さらにここは絶好の白山眺望ポイントでもある。

 手取川の激流を緩和する役目をはたしているたくさんの滝は高低差を緩和する大きな役割を果てしており、滝がないと川の流れはもっと激しく、下流の洪水を起こすことになる。激流が運んできた百万貫の岩は、手取層群の砂岩の巨大な転石で、一九三四年に発生した手取川大水害のとき、上流の宮谷川より流出した。県指定天然記念物で、地質一〇〇選にも選ばれている。大岩の高さは約一六メートル、周囲約五二メートル、重量は推定約一二九万貫である。

 中宮温泉から白山白川郷ホワイトロードを蛇谷沿いに上流に向かう。蛇谷大橋を渡ると、上流に蛇谷園地があり、その駐車場から二〇分ほど歩くと、露天風呂の向かいに落差七六メートル、幅一〇〇メートルの姥ヶ滝がある。石川県で唯一、日本の滝百選に選定されている。数百条の細い流れが、白髪の老婆が髪を振り乱した姿に見えるというのが名の由来である。正体は火砕流堆積物、溶結凝灰岩が浸食されてなだらかな滝となっているのである。姥ヶ滝の前にある親谷の湯は、滝を間近に眺める混浴露天風呂や足湯がある。

 林道沿いには全層雪崩で植物が剥ぎ取られたアバランチシュート(雪崩路)と呼ばれるU字型に岩肌が削られた谷が観察できる。

 

姥ヶ滝

 

 手取川が彫り込んだ峡谷が手取峡谷である。釜清水町(黄門橋)から河原山町(対山橋)までの約八キロが、高さ二〇から三〇メートルの絶壁で、新第三紀中新世の火山活動で形成された固い凝灰岩類と流紋岩類からなる。河床に急流に形成されやすいと言われる甌穴(ポットホール)が見られる。水流と岩質の硬軟が浸食の違いにあらわれており、大小の奇岩が散在している。黄門橋から、上流側に続く深い峡谷と白山を眺めることができる。

 

 手取峡谷に飛沫が落下するさまが、綿が舞うように見えることから名付けられた綿ヶ滝は、三二メートルの高さから落ちて景観が格別である。河床では、浸食地形や断層、節理などを見ることができる。

 獅子吼高原へゴンドラで登ると、広大な手取川扇状地から日本海までを見渡せる景色がいい。パラグライダーを体験する人は予約しておく。海抜約六〇〇メートルから飛んで、空から見る景色は感動的だという。

 白山比咩神社は霊峰白山を御神体として三千社近くある全国白山神社の総本宮である。横町うらら館には、加賀藩の蔵宿、明治時代には集配郵便局、後に一二代当主が町医者とするなど約一八〇年の歴史がある。

 大扇状地に出ると手取川は扇状地を右に見て流れ、扇状地の中には伏流水の文化が発達した。白山菊酒は、白山菊酒呼称統制機構が二〇〇五年に創立したブランド名で、この機構が認証してブランドが付与される。白山市内の蔵に限って認定される。金谷酒造店の「高砂」、菊姫合資会社の「菊姫」、小堀酒造店の「萬歳楽」、車多酒造の「天狗舞」、吉田酒造店の「手取川正宗」が白山菊酒に出た順番である。

 松任城址公園は、鎌倉時代に築城された平城で、加賀一向一揆の本拠地が柴田勝家により落城した後、織田方の城となり江戸時代初めに廃城となった。近くに千代女の里俳句館があり、俳句交流の拠点施設となっている。

 白山美川伏流水群「お台場の水」は、手取川の河口域に湧きでる名水や井戸の総称で、平成の名水百選に選ばれ、日湧水量は五七・六トンと言われ、住民の生活用水となっている。 

          (「氷室俳句会」主宰)