尾池和夫の記録(332)京都の地球科学(348、349、350)静岡の大地(30,31,32) 

  京都の地球科学(三四八)    2023年4月号
   静岡の大地(三〇)
                       尾池和夫
 日本の多くの火山の寿命は五〇万年から一〇〇万年と言われている。富士山は生まれてまだ一〇万年で若い元気な火山と言える。その富士山について最も深く研究しているのが静岡大学の小山真人さんである。小山真人さんのウェブサイトに、富士山に関してよくある質問とその答えがQアンドAで掲載されている。そのサイトを引用しながら、最近のことも加えて富士山のあれこれを少し考えてみたい。
  不二ひとつうづみのこして若葉かな      蕪村
 最初の質問は、富士山はいつ、どのようにして生まれたかという問である。富士山は一〇万年ほど前に誕生した。四〇万年ほど前、愛鷹(あしたか)山や小御岳(こみたけ)や箱根山などの火山が噴火を始め、大量の土砂を地表にもたらした。一〇万年ほど前、小御岳と愛鷹山の間で新しい火山ができた。これが富士山の誕生である。この火山が噴火のたびに成長し、今では小御岳の大部分と愛鷹山の北半分を埋め、それらの上に大きな富士山ができた。
 二番目の質問は、噴火の歴史である。富士山の山麓に残されている大量の火山灰、火山礫、熔岩流などの噴火堆積物、書き残された噴火の目撃記録などから富士山の歴史をさぐる。今から一万一〇〇〇年ないし八〇〇〇年ほど前、約四〇億立方メートルという大量の熔岩が流出し、静岡県三島市や山梨県大月市の猿橋付近に達した。黄瀬川の鮎壺のこととともにこのエッセイでも紹介した。約二五〇〇年前、富士山の東斜面で大規模な山体崩壊が起きた。土石が「御殿場岩なだれ」となって東の山麓を埋めた。御殿場市や小山(おやま)町一帯に堆積物がある。その後たびたびの噴火で大崩壊の傷跡はなだらかに覆われて円錐形の火山になった。八世紀頃からは文書や絵図に噴火の歴史が残されている。万葉集や更級日記にも富士山の噴火や噴煙の状況を知る手がかりが残されている。江戸時代の宝永四(一七〇七)年には南東山腹で宝永噴火が起きた。半月ほどの間に七億立方メートルのマグマが噴出した。激しい噴火で、東麓の須走付近で二メートル、横浜で一〇センチほどの厚さの火山灰が堆積した。
 三つ目は、富士山は活火山か、今後も噴火するかといいう質問である。地震観測が始まり、富士山の地下で小地震が時々起きていることが発見され、深部低周波地震という、ゆっくり揺れる地震も見つかっている。マグマが地表に向かって上昇を始めると、浅い部分で地震や山が伸びる地殻変動が観測されるはずであるが、まだそれは確認されていない。
 四つ目は、富士山噴火と東海地震は関係があるかという問である。宝永噴火は宝永東海地震の四九日後に起きた。宝永東海地震の四年前、一七〇三年に相模湾の地下に発生した元禄関東地震の直後にも四日間にわたって富士山から山鳴りが聞こえた。地震で火山が刺激を受けても、噴火に至る準備が整っていなければ噴火することにはならない。
 五つ目は、富士山のハザードマップについてである。ハザードマップは、起きるであろう噴火の場所、規模、様式などを予測して地図に描き、避難場所や防災に必要な知識をまとめて説明した地図である。日本の二〇以上の火山ですでにこのような地図が作成されている。二〇〇〇年の有珠山や三宅島の噴火では、ハザードマップが役立った。二〇〇一年六月、国と地元自治体によって富士山ハザードマップ作成協議会が結成されて検討が進められ、結果は静岡県のウェブサイトに公開されている。
  秋の富士日輪の座はしづまりぬ      飯田蛇笏
 六つ目は代表的な噴火口についての問である。もちろん代表的な噴火口の一つは山頂火口である。「お鉢」と呼ばれる山頂火口は、直径七〇〇メートル、過去に数一〇〇回も噴火を繰り返した。しかし、なぜか約二二〇〇年前に起きた大噴火を最後に山頂火口は目立った噴火をしなくなった。二二〇〇年前以降、富士山の噴火は山頂火口から離れた山腹や山麓で起きるようになった。その中で最大のものが宝永火口である。
 七つ目は富士五湖や青木ヶ原樹海の生まれた仕組みである。平安時代の貞観六(八六四)年、富士山の北西山腹で大規模な割れ目噴火(貞観噴火)が起きた。二億立方メートルに及ぶ熔岩で湖が埋めたてられ、富士五湖のうちの三湖(本栖湖、精進湖、西湖)が現在の形になった。この熔岩の上に森林が成育して青木ヶ原樹海となった。
 八つ目、噴火で住民にはたびたび被害があった。それにもかかわらず霊峰として崇められるのはなぜかという問である。富士山は畏怖の対象であり、神の怒りである噴火を鎮めるために神社が創建された。短い噴火期間を除くと圧倒的に長い時間、神々しい姿を見せている。
 九つ目は風穴(ふうけつ)や氷穴の仕組みである。富士山のあちこちに洞窟が多数存在する。熔岩トンネルで、熔岩の表面が冷え固まった状態で、中身だけが流出してできる。富士山と同じように流動性の高い熔岩を流出する火山(ハワイのキラウエア火山など)に多く見られる。
 そして一〇番目の問は富士山の麓で地下水が豊富である理由である。富士山麓には空洞や無数の割れ目、岩石のすき間があり、富士山に降った雨や雪解け水が空間を満たして、山全体が巨大な水甕となっている。富士山全体の湧水量は、毎日五〇〇万トン以上と言われている。
  雪富士の現れて一番渡船かな       原田濱人


  京都の地球科学(三四九)    2023年5月号
   静岡の大地(三一)
                       尾池和夫
 静岡県と周辺の活火山は富士山の他にもたくさんある。富士山の北西方向には御嶽山、乗鞍岳、富士山から北へ行くと横岳、浅間山がある。富士山から南へ続く火山群は、箱根山、伊豆東部火山群、大島、利島、新島、三宅島と続く。気象庁が指定した日本列島の一一〇活火山のうち常時観測火山は五〇か所で、右の中では、富士山、御嶽山、乗鞍岳、浅間山、箱根山、伊豆東部火山群、大島、新島、三宅島である。
 乗鞍岳は複数の火山が南北方向に配列した複合火山体である。御嶽山は一九七九年の噴火以降、蒸気の噴煙が続き、二〇〇七年三月には小規模な水蒸気噴火があり、王滝山頂の西側と地獄谷内に噴気地域がある。浅間山は爆発型(ブルカノ式)噴火が特徴で、噴火に際しては火砕流、熱雲が発生しやすい。一一〇八年、一七八三年には熔岩流も発生した。噴火の前兆現象として、火口直下に浅い地震(B型)が頻発することがある。
 箱根山は噴火の歴史記録はないが、噴気の活発化や、崩壊、土石流がしばしば発生するほか、群発地震が観測される。最新のマグマ噴火では、神山の北側斜面に熔岩ドームが貫入して現在の冠ヶ岳が形成された一方、山体崩壊により岩屑なだれが発生した。岩屑なだれ堆積物は早川をせき止めて、芦ノ湖が現在の形になった。その後、大涌谷周辺で数回の水蒸気爆発があったことが地質調査によって知られている。
 伊豆東部火山群は一九三〇年に群発地震が発生して以降、しばらく活動を休止していたが、一九七〇年代後半頃より群発地震活動が再開し、一九八九年七月には、群発地震とともに伊東市沖の手石(ていし)海丘で有史以来初めての噴火があった。
 伊豆大島の一九八六年噴火は三原山火口内(A火口)と割れ目火口(カルデラ底B火口、カルデラ縁外側の北山腹斜面C火口)で起こった。噴火前兆あるいは活動と関係する地殻変動、地震、微動、地磁気、比抵抗、重力等の変化が観測されている。
 新島の向山(三〇一メートル)は九世紀の噴火の末期に噴出、噴火間隔は長いが、噴火すれば激烈で、火砕サージ、火砕流を生じやすい。火砕流や火砕サージは短距離であっても海面上を流走する可能性や、浅海域で噴火が始まった場合の小規模な津波発生についても注意が必要である。向山では抗火石の採石を行っている。
 三宅島は、一九八三年噴火では前年から南方海域での群発地震活動などがあり、噴火直前の地震活動は噴火開始の一時間半前からであった。一九六二年をはじめ、過去のいくつかの噴火では噴火後に有感地震が頻発した。二〇〇〇年六月に始まった噴火活動では、山頂噴火が発生するとともにカルデラを形成した。さらに高濃度の二酸化硫黄を含む火山ガスの大量放出が続き、全島民が島外での避難生活を余儀なくされた。二〇〇五年二月一日、四年五か月ぶりに避難指示が解除されたが、現在でも山麓では時々高濃度の二酸化硫黄が観測されている。
  秋茄子や遠く靜かに淺閒噴く       島田牙城
 静岡県地域の地震活動の状況について、静岡県立大学グローバル地域センターの自然災害部門の研究会で議論している。そこでの議論のために用意した地震資料から言えることをいくつか紹介したい。まず歴史地震資料から描いた静岡県とその周辺に発生した大規模な地震の分布図を観察する。静岡県内で目立つ活断層は伊豆半島にある丹那断層が知られている。また、糸魚川―静岡構造線活断層も有名である。周辺にはいくつかの活断層があり歴史上震災を起こした地震も知られている。
 丹那断層に発生した浅い大規模地震は、歴史上二回記録されている。一つ目は「伊豆国地震」で承和八年五月三日以前(八四一年前半)の地震、二つ目は「北伊豆地震」で一九三〇年(昭和五年)一一月二六日早朝の地震である。この地震のことについては京都新聞の「天眼」に書いたエッセイがある。その内容を再録しておきたい。同じ活断層で大規模地震が歴史上に二回あるのはこの丹那断層だけである。
 川勝平太静岡県知事と話していて、私がずっと気になったままになっていることが思い出された。伊豆半島の付け根にある丹那トンネルのことである。そのトンネルの歴史をまず簡単に書いておく。建設開始が一九一八年(大正七年)、完成が一九三三年(昭和八年)で、鉄道が開通したのは一九三四年(昭和九年)一二月一日であった。全長七八〇四メートルの複線である。その後、新丹那トンネルの工事が一九四一に始まり、中断の後一九五九年に再開されて一九六四年に完成した。
 トンネルの真上には丹那盆地があり、地下に大量の地下水を溜めていて、丹那トンネルの掘削は大量の湧水との戦いであったと記録されている。トンネルの先端が断層に達した際、トンネル全体が水で溢れるほどの湧水事故が発生した。多数の水抜き坑を掘って地下水を抜いた。水抜き坑の全長は本トンネルの二倍に達し、排水量は六億立方メートルに達した。箱根芦ノ湖の貯水量の三倍とされている。
 トンネルの真上の丹那盆地では、トンネル工事の進捗とともに水不足となり、灌漑用水が確保できず飢饉になった。丹那盆地では、稲作と清水を利用した山葵栽培が、かつては行われており、副業で酪農も行っていた。現在も丹那トンネルからは大量の地下水が抜け続けており、昔の豊富な湧水は丹那盆地から失われたという。丹那盆地の水田と山葵田は消滅し、酪農が主要産業となった。
  牧場にせよと野に鳴く雲雀かな     河東碧梧桐


  京都の地球科学(三五〇)    2023年6月号 題5行
   静岡の大地(三二)
                       尾池和夫
 一九三〇年、西から掘っていたトンネルが、明瞭な断層に到達し、断層を突破するため、数本の水抜き坑が掘削されていた時、マグニチュード七・三の北伊豆地震が発生した。ある水抜き坑で、切羽全体が横にずれ、坑道一杯にピカピカの断層鏡面が現れた。吉村昭『闇を裂く道』にその時の状況が詳しく描かれている。断層が動いて東側が西側に対して、北へ二メートルほど移動し、直線で設置する予定の東海道線のルートが、S字型に修正された。
 地震後の調査で見つかった地震断層は長さ約三五キロメートルあり、上下に二・四メートル、水平左ずれ二・七メートルのずれが確認された。丹那断層は国の天然記念物に指定されており、現在でも二か所で保存され、観察することができる。その後、東京大学地震研究所などによる一九八五年までの発掘調査で、丹那断層は過去六〇〇〇年から七〇〇〇年の間に小さい活動も含めて九回の断層活動があったことが確認された。一方、歴史資料によると、八四一年前半(承和八年以前)に伊豆でマグにチュード七の地震があり、これが丹那断層の大規模な活動であると見られている。掘削調査の分析からは室町時代前後にも一回の大地震があった可能性が指摘されており、いずれにしても、日本の他の活断層に比べるとずいぶん短期間に次の大地震が起こったことになる。
 一九三〇年の本震の前には前震活動があり、その他にも、発光現象、地鳴りなどの宏観異常現象があった。丹那断層の大地震の発生間隔は、日本の活断層の中では短い方であるが、それでも一九三〇年の地震は早すぎるという疑問がある。丹那トンネルの掘削により大量の水抜きで地下水に異常を生じ、それが引き金になって大地震を早めに引き起こしたと考えられる。地下の水の動きが地震発生の引き金になった多くの例が知られている。同じような仕組みで、大量の地下水の移動が大地震発生の引き金作用となりうるという仮説のもとに、北伊豆地震のことをさまざまな視点から見直してみることが重要である。水が抜けて山葵田が牧場になった歴史も忘れてはならない。
  山人が水に束ぬる山葵かな        渡邊水巴
 静岡県とその周辺に日常的に発生している小さな規模の浅い地震を観察すると、地下で起こっている異常現象を少しは知ることができる。そのようなことを研究しながら地下の出来事を地表から上の気象情報と同じように一般の市民に分かるように解説する仕組みが日本には必要であると私は考えている。そのことに関しては、地震火山庁の設置と地震火山予報士の制度化が必要であるとしてすでに提言がまとめられており、それを説明するための動画も作成されている。いずれもウェブサイトを参照してほしい。
 二一世紀に入ってから最近までの地震分布図を観察して気づいた富士山の地下の地震活動について、具体的なことを書いておきたい。重要なことは二〇一一年三月一一日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で富士山の地下の群発地震が急激に増え始めたということである。このことが何を意味しているかを、若い研究者たちにぜひ解き明かしてほしいと思う。
 微小地震分布図を描いてみた。マグニチュード〇・五以上の浅い地震で地表から深さ三〇キロまでの地震の分布と地図に描き、その地図の上で富士山の地域だけを囲んで選び、枠の中の微小地震の積算数の変化をグラフにしてみた。驚いたことに地震数の増え方が二〇一一年三月一一日以後大きく加速していることが明確となった。分布図に示したのはマグニチュード〇・五以上という規模の小さい地震であって、ほとんどが地表から測って一〇キロあたりの深さで起こっている。このような微小地震の群が活火山の下のマグマ溜りには日常的に起こっており、その分布を見ていると、どんどん浅いところへ分布が移動してくるようなことがあると噴火の前兆である可能性があるので注目することになる。富士山の地下では、ときどきこのような微小地震以外にも、ゆっくり揺れる長周期の地震波を発生する現象が知られている。この低周波地震現象も注目しながら研究が行われている。
  赤富士のぬうつと近き面構へ       富安風生
 活火山以外の地域では微小地震の分布は活断層に沿って細長く分布する場合や最近大規模な地震の起こった断層に沿ってまだ余震が続いている場合などがある。それらについても地域ごとの特徴を調べることが重要である。静岡県とその周辺では、あちらこちらの地震の分布で二〇一一年東北地方太平洋沖地震の影響でその直後に微小地震が増えた場所はいくつかあるが、それらのほとんどでは、微小地震の増加する現象はその時だけであった。ただし一か所だけ富士山の場合と同じように、二〇一一年東北地方太平洋沖地震の前に比べて微小地震の増え方が変化して、そのまま続いて急激に増え続けている地域があり、それが南アルプスの活断層帯である。このことがどのような意味を持つかも、若い地震研究者たちにぜひ解き明かしてほしいと私は思っている。
 このようなことについて静岡県立大学附属グローバル地域センターの自然災害部門で研究会を開催した。もし地震火山予報士の制度ができたとしたらどのように解説するだろうかということを考えながら見せる資料を工夫して議論して貰ったが、学問的な視野で富士山や南アルプスの地下の地震活動を見守っていくことが重要であるということは間違いないと思う。