尾池和夫(地震学者)
 1998年6月1日に救急車で運ばれて塩小路の武田病院に入院してから25年になった。そのとき、心臓の治療をしていただいた医師の白坂明広さんに治療に当たる場合の基本方針を質問した私に、白坂さんは「平均寿命を生きるようにというつもりで」と答えたことを記憶している。その平均寿命は今、都道府県別で京都府の男性の場合は全国の4位で長く、82.24歳である。女性も京都府は全国の3位で88.25歳である。今年の5月末で私は83歳になって、その平均寿命を超えた。
 日本の課題の一つは健康寿命を延ばしてせっかくの世界記録である平均寿命に近づけることである。私が学長をつとめる静岡県立大学の将来構想に「生涯健康科学部」を新設する計画がある。すでに始めている自然災害の研究で安全を目指すことと、この新学部を中心に生涯健康で暮らすことを目指すことによって、長寿の県と言えるようにしようというのが目標である。
 私が心筋梗塞になった後、いろいろのことがあったが、その中でたいへんな仕事を引き受けるのを躊躇したとき、時の京都大学医学部長であった塩田浩平教授に「身体障害者のはげみになるから」と励まされたことを覚えている。励ましになったかどうかは不明であるが、私の書いた『急性心筋梗塞からの生還』という本を読んで禁煙しましたという報告をしてくれた方が数名いるのはうれしい。同時に心筋梗塞を予防するための本はたくさん出ているが、病気になってしまった人のための本や患者本人が記録した本はきわめて少ないということにも気づいた。
 先日、6月24日、山田静雄さんが会長をつとめる「くすり・たべもの・からだの協議会」で「急性心筋梗塞から25年」という題で、静岡市内で講演する機会をいただいた。その機会にこの25年を振り返ってみることができて、いろいろのことを思い出した。25年前は京都大学理学部長だった。その時、大学院修士課程の入学試験で朝鮮大学校の卒業生を合格発表したときには文部省から詰問され、国会質問では有馬朗人大臣が答弁するということがあったが、結局は懸案であった「門戸開放」が実現した。
 2009年3月には「京都市立芸術大学のあり方懇談会」の座長として提言をまとめた。それをきっかけにこの大学の法人化が2012年に実現し、今、京都駅の東に新しいキャンパスが完成するところまで進んできた様子をいつも新幹線から見つめながら、その着実な発展を祈っている。赤松玉女学長とは今、公立大学協会の総会でよくお目にかかるので現状をくわしくお聞きすることができる。
 2011年には東北の大津波で福島第一原子力発電所の事故があり、政府の調査委員会の委員をつとめた。国際高等研究所の所長の時であった。専門家の知恵を活かす行政の仕組みと専門家の知恵を活かす企業の存在が事故を未然に防ぐのだという教訓が確認できた。専門家の知恵の普及と企業の情報公開がその基本となると思う。
 京都芸術大学では芸術が平和に貢献することを目標としたが、世界平和の実現には道が遠いこともわかったいる。あきらめてはいけない。学生たちと議論しながら、私自身は氷室俳句会の主宰として地球の恵みを詠むことに努力している。芸術系大学の8年の成果としては『瓜生山歳時記』を出版した。その間、心不全を起こしたりして京大病院には3回も入院した。心臓アブレーションの技術のおかげで、一時ひどかった心房細動はすっかりなくなり、安定した脈拍と血圧を測定して記録し、静岡県立大学へ出かけるという毎朝が続いている。