尾池和夫の記録(255) 蘇民将来の子孫   『ぎをん』20100910  1200字
                  尾池和夫(財団法人国際高等研究所所長)
 平安京が造営されるとき、最強の風水の地として選ばれたのが京都盆地でした。京都は、都になる前から数えて一三〇〇年、その繁栄を誇る世界に例を見ない都市になりました。
 典型的な活断層盆地である京都盆地は、四神相応の地、東西南北が青龍、白虎、朱雀、玄武に守られる場所とされ、平安京が置かれました。大地の気が集まる所が八坂神社に想定され、気に見たてた龍の住む水は、清水山西断層の破砕帯からあふれています。
 この原稿のご依頼をいただいたのが八月一日、祇園祭の直後でしたので、秋の号でも、話題はやはり祇園祭のことになってしまいました。「割烹さか本」の鱧料理と、ねえさん舞妓の「勝山」「ぼん天」の強い印象がまだ消えないうちに立秋になるのです。祇園祭では、七月三一日に締めくくりの夏越祭があり、「蘇民将来子孫也」の護符を授かります。
 蘇民将来子孫の信仰は各地にあり、護符を正月のしめ縄に織り込む地方もあるそうです。それにしても、蘇民将来と巨旦将来の「将来」がもし姓だとすると、姓が名の後に来るというヨーロッパ式の表記であるのはなぜでしょうか。これはかなり不思議な気がします。史実にもとづく確かなその由来をご存じなら、せひご教示いただきたく思います。
 スサノオは日本最初の英雄神で、日本の神話でもっとも個性的かつ魅力的な神です。「祇園さん」、「天王さん」とも呼ばれます。平安時代のはじめ、都に疫病が流行したとき、失脚し処刑された者の崇りと、強い神に頼って祇園社の素戔嗚尊に祈ったのでしょう。
 昔、北海の武塔神が、南海の神の娘に求婚するために出かけました。途中日が暮れて一夜の宿を請うことになりました。そこに兄弟が住んでいました。武塔神は弟の巨旦将来に宿を借りようとしましたが、金持ちであるにもかかわらず彼はことわりました。兄の蘇民将来は貧乏でしたが、粟がらで座を作り、粟飯などで歓待しました。
 数年後、武塔神は子を連れて戻り、蘇民将来の娘に茅の輪を付けさせました。武塔神は、自分は素戔嗚神であると告げ、疫病が流行したとき蘇民将来の子孫と言って茅の輪を腰に付けた人は疫病から免れると告げました。このことが『備後風土記逸文』に記されています。この説話で、武塔神は素戔嗚神と集合し、素戔嗚尊が災いを祓う神となり、疫神である武塔神と同一神となり、さらに除疫神として祇園社に祀られる牛頭天王(インドの祇園精舎の鐘の守護神)とも習合したと言われます。
 祇園祭の鉾を飾るタペストリーには世界が現れています。シルクロードをたどって伝わった文化が描かれています。世界が祇園御霊会をたたえ、祭に世界を調和させているのです。それは、千年以上を栄えてきた京都が、さらにまた世界の中で千年以上を生きていくことのしるしとなっているのだろうと思いつつ、今年も大皿の料理に載せられた梶の葉とともに蘇民将来子孫也の紙縒りを持ち帰って、わたしの家に飾ってあります。

『ぎをん』20100910  1200字