尾池和夫の記録(129) 天草エアライン  (2009年9月)
            国際高等研究所             尾池和夫

 二〇〇九年九月七日、神戸から熊本を経て天草まで飛んだ。日本ジオパークに申請した御所浦の視察のためで、私にとって初めての天草である。神戸空港も初めてである。人工島の沖の人工島に、大地震から一一年と一か月後、二〇〇六年二月一六日に開港した。
 三宮から空港まで、ポートライナーで約一六分、ポートピアホテルと六甲山を見ながら走る。一九九五年兵庫県南部地震の前年の七月二日、このホテルで六甲山と活断層運動のことを話した。大地震のとき、このホテルは大丈夫だけれど帰れないと予測を話した。地震直後の避難場所にいる方から、その通りになったと電話があった。
 大地震の後、この地域でも活断層調査が行われて、大阪湾の海底にある大阪湾断層の詳細が確認され、空港の人工島も液状化対策を兼ねてグラベル・コンパクション工法で建設された。
 ポートライナーから見る神戸の市街地は、しばらく震度七で揺れることはない。活断層の調査結果から揺れの予測などが発表されているが、普通は確率の高い場所のことを話題にする。場合によっては安心な方から並べて解説することも重要ではないだろうかと思う。
  寒暁や神の一撃もて明くる          和田悟朗
 私は一一年前に急性心筋梗塞で緊急入院して、心筋のほぼ三割が壊死している。現在までに知られているデータをもとに、冠動脈の再狭窄発生率の低い状態を保つことを主眼に、血液検査をしながら、主治医が処方を続けている。再狭窄が起こると私の心臓は持ちこたえられないであろうと思う。それに比べて、神戸の震度七の揺れは、再発の可能性が極めて低いという安心感がある。こんなことを思いながら待合室で搭乗案内を待った。
 初めて乗る天草エアラインは、熊本県を拠点とする第三セクターのコミューター航空会社である。この会社は、旅客機と熊本県の防災消防ヘリコプターをそれぞれ一機ずつ運用している。旅客機は、カナダのボンバルディア社製のプロペラ機、DHC8ー103である。座席数は三九席、機体の外部には跳ねる海豚のシルエットと波が描かれている。エンジンはプラット&ホイットニー社製である。
 この旅客機の九月の時刻表で、一日のフライトスケジュールを見る。天草を朝八時二〇分に出発して、福岡まで往復する。天草を一〇時一五分に飛び立って熊本へ着陸、その後神戸へ飛んで、神戸発一三時の便で熊本に、さらに熊本を一四時五〇分に出て一五時一〇分に天草に着く。その後、一五時三五分に天草を飛び立って、また福岡まで二往復して一九時三五分に天草に戻って、一機の一日が終わる。六五歳以上や一二歳未満の割引、レンタカープランなど、きめ細かなサービスがある。
 神戸を定刻一三時に飛び立ったAMX五〇二便の機内には、手作りの機内誌「イルカの空中散歩」が配られる。八月の一〇四号は客室乗務員の坂口さん担当、九月の一〇五号はこの便に乗っている客室乗務員の中村さん担当で、球磨川下りを体験したレポートである。飛行経路の地図も手作りで味のある地図である。
 私はこの日、左側の窓側を希望して七ーAの席をもらった。低く飛ぶプロペラ機の窓から地表がよく見える。あっという間に離陸して東に向かい、六甲山と神戸の市街地が見える。ポートピアホテルのある人工島を見下ろしながら大きく右に旋回する。
 一三時一〇分、淡路島である。高速道路と国際会議場が見えて、やがて野島断層に沿って伸びる直線状の地形が見える。一三時二三分、小豆島である。しばらく西に向かって飛ぶが、南側でも日差しが翼でさえぎられるので下が見やすい席である。ベルト着用サインが消える。神戸から熊本まで約六〇〇〇キロを、時速四五〇キロで飛んでいる。
 一三時二八分、屋島が見えて、高松の上空を過ぎ、本州四国連絡橋の通称「瀬戸大橋」が見え、その延長上に讃岐富士がある。空から見ると意外に小さいが、きれいな円錐形の山である。讃岐富士は通称で、丸亀市と坂出市の境にある飯野山である。屋島のような台地から浸食が進んで孤立した山になった。中腹から上は安山岩の一種の硬いサヌカイトで、大小のサヌカイトを、ぶら下げて打つと音楽が演奏できるという石である。
  遠山に日の当りたる枯野かな         高浜虚子
  一三時四五分、松山の上空と、機長の説明がある。
「狭い機内ですが、ゆっくりとおくつろぎ下さい」
 左手には、遠方に山並みと、一段と立派な石鎚山がある。標高一九八二メートル、白山より西では西日本の最高峰である。眼下には中央構造線に沿って東西に真っ直ぐな山裾が続き、やがてその延長が海岸線になる。機内では「ようこそ!くまもとへ」という産物を詰め合わせた袋が配られる。
 中央構造線は、西南日本を北側の内帯と南側の外帯とに分ける構造線であり、紀伊半島の中央部から、眼下に見ている部分を含み、西の大分あたりまで、今後も大地震とともに右横ずれを起こす大規模な活断層になっている。
 一三時四八分、佐田岬半島の付け根が見える。北側の崖が中央構造線に沿っていて直線に近い。伊方町の伊方地区、瀬戸地区、三崎地区と、細長い半島の地形が続く。一三時五五分、尾根に沿って二四基の風車が見える。しばらくしてまた二〇基の風車である。
 ちなみに、ここは「さだみさき」であり、鹿児島県の佐多岬は感じも違うが、読み方も「さたみさき」である。
 一三時五九分、半島の先端上空を通過した。半島の延長上に磯があり、高島があり、たちまち九州の佐賀関半島や蔦島が見える。海峡の船の航路が乱れている。九州に入ると臼杵市があり、曲がりくねった大野川が見えて竹田市である。
 一四時一二分、左手に阿蘇の中岳や外輪山の山々を見ながら飛行機は高度を下げる。雲が低く、少し揺れながら熊本空港に向かって大きく左に旋回して機首を下げる。
「着陸にあたり、デジタルカメラなど、すべての電子機器のスイッチをお切り下さい」
 目の前に足が出て景色が見えなくなり、ときどき家や森や畑や車が見えて、一四時一七分、たいへん上手に着陸した。停止して後、約三〇秒間プロペラを廻すのだという。
  朝寒や阿蘇天草とわかれ発ち         飯田龍太
 神戸から熊本へ飛んできた同じ飛行機が、今度はAMX二〇二便になって天草に向かう。東京から着いた人もいて満員で、好みの席がとれなかった。今度のアナウンスは、神戸からの便と少しちがっていた。
「短い時間ですが、ゆっくりとおくつろぎ下さい」
 約二〇分、高度四〇〇〇フィートを飛んで、左手にチンバンジーサンクチュアリーのある宇土、右手には世界ジオパークに参加した島原半島、また左手に上天草市、天草上島を見ながら、天草空港に着陸した。この機は、明日は耐空検査のために運休するという。
 出迎えの方たちとともに、天草市役所に市長の安田公寛さんを訪ねて、ジオパークへの思いをうかがい、二泊三日の視察の日程が始まった。市長の説明では、市の人口は九七〇〇ほどで、市の職員のアイディアで「日本の宝島」と呼ぶことになったという。市長室には、美人画で知られる天草育ちの画家、鶴田一郎さんが描いた天草四郎の肖像画が壁を飾っていた。