尾池和夫の記録(128) 京都大学吉田寮を訪ねて(2007年4月)
                                                                 尾池和夫
http://urotsuqu.hateblo.jp/entry/2015/07/29/200207

 2009年1月24日土曜日、吉田寮を妻と訪れた。地下鉄東西線の石田駅までまず歩いた。目の前に雪のある比叡山があり、それに部厚い感じの雲がかかっている。

  裏返してみたき冬雲比叡山  和夫

 東山駅で降りて聖護院の小道をたどって北風の中を歩いた。昨年9月までいつも通勤に歩いていた道を久しぶりに歩く。京都府南部に出ていた大雪の気象情報はすでに解除されて雪こそ降っていないが、吉田寮に近づくとともに空気がやたらと冷えてきた。たぶん零下の気温になっていると感じた。
 数年振りに吉田寮の門を入ると学生センターの佐野さんともう一人の職員の方が待っていた。休日にわざわざ出てきて外で待っていてくれた。吉田寮の玄関には中国人学生や日本人学生が数人待っていて、たいへん丁寧な言葉で案内してくれる。
「靴のままどうぞ」
 Tくんは文学部6回生で、今日の企画の提案者である。まずスライドのデータをUSBで渡して用意し、スライドの映写具合を確認して、長い寮内を案内してくれる。中寮の廊下を通り中庭に出る。
「あの猫は寮の猫の子どもです」
 そばにいる黒い太った猫が、どうやら親猫のようだ。
 南寮との間の庭に出る。銀杏の大木が相変わらずそびえている。自由の学風の象徴と見るか、切らないと寮にもたれて被害が出ると見るか、見方の分かれる木でもある。同行の数人の言葉に、それがあらわれている。
 北寮の外側に行ってみた。以前視察したとき、研究室のある建物を整備したとき、残土を寮に向かって押し出してきて、木造の寮の下の端に土が被さっているのを見た。その時、それをすぐに直すよう指示したことがあるが、完全には出来ていない。「寮なんてどうでもいいと思っているのだ」と以前の視察のとき、案内した学生たちの一人が吐き捨てるように言ったのを思い出した。
 北寮の廊下を歩く。見れば見るほど、がっちりした木造の建物の歴史が見えてきてうれしくなる。葉子もこの寮に初めて入って、すっかり気に入ったようだ。大きく伸び放題に伸びた樹木、雑然と置かれたさまざまの生活のための道具など、すべてが寮の象徴であり、歴史を物語る。
 談話室で講演した。「地震を知って震災に備える」とうい題で、地震の仕組みをしっかり話した。談話室に入りきれないほどの学生たちが集まってきた。日本語で話したので、日本語のわかる寮生が隣の学生に、中国語で同時通訳してくれている。談話室はよくできていて、寮生たちの熱気もあってか、ぜんぜん寒くなかった。約2時間、私はひたすら地震の話をした。的確な質問が途中で割り込む。質問の的が外れていないので気持ちがいい。気がついて振り返ると部屋に人がさらに溢れていた。
「こんなに集まると思ってなかったので」
 誰かが、この後の用意の心配をしている。
 講演の後は、吉田寮名物とも言える鍋である。世話役のTくんが、料金について説明して始まる。思い思いに、自分の箸と食器を持ってきて、でき次第に取って食べ始める。しばらくは議論も絶える。やや時間が経つと、また乾杯をして議論もする。
 気がついたら21時30分だった。記念写真を撮る人たちもあり、しばらく挨拶をして帰途についた。夜の空気を冷えていたが、たいへん暖かい気持ちでの帰り道だった。
「ずいぶん頑丈な建物で、よくできているから、きれいに整備して使うといいわね」
 長年、地震学者につき合ってきた妻の、帰り道での感想である。

  大寒や未来はここに吉田寮  和夫