明日が楽しみで寝れない日々は本当に有難い
数字が見せる光と闇
先行きが不安なのは元々親に言われてた
先行きの見通せない現実に弱音が出たり不安になったりするけど
よく考えたら
元々親に言われてた
高校生の時点で芸能という世界に本気で携わって行きたい!本気で役者を目指す!
そう伝えた時に親は言ってくれてた
一生保証のない仕事、有給もボーナスもない、社会的な信用もない、人に認知されなかったらホームレスと同じ、アパート借りたくても審査通らない、カード作りたくてもサラ金で金借りたくてもローン組みたくても全部審査で落ちる、結婚にも影響する、そんな仕事だ!覚悟はあるのか?!
みたいな事を親に言われたような記憶があって、当時はあまり深く考えずに『覚悟の上だ!!』みたいに言ったような気がする
だから
情勢が不安になって先行き見通せなくても
今に始まった事じゃない
この道を目指す時にあらかじめ親は言ってくれてた
それを覚悟で選んだ道だ
そう考えるようにしている
今僕が考えている不安や思いを羅列すると
いつまで客席50%が続くのか?
100%解除になる日は来るのか?
ただ
客席50%って自分がお客になると凄く居心地良くて見やすい
隣と空間空いてるのも凄く良い
あれ?
ちゃんと通路作って客席並べたらそもそも収容動員の50%ぐらいだ
収容動員120名と書いて劇場費設定してるけど
あれ~?
120名入れたらめちゃくちゃすし詰めになって危険だらけ
おかしいよね?
それで事故が起きたら主催者側の責任?
おかしいよね?
記載された収容動員数を守って予約取ったらすし詰め状態の通路も作れず危険だらけ
お客様の安全を考えて動員数を制限しても劇場費は定価のまま
おかしいよね~?
と
10数年前からうっすら疑問に思ってた事がコロナ禍で露呈し始めてきた
今までがおかしかったんだと思う
戦後の芝居小屋と違って今は消防法やら色々ルールが出来てる
お客様の安全を確保しゆっくり楽しめる動員数の提示とそれに見合った劇場費の設定をして欲しいな~と思う(もちろんキッチリ客席図面と通路図面を提示してくれている劇場さんがほとんどではあるし客席制限した分の劇場費用割引してくださる劇場さんも沢山、だけどそうじゃない場所もあるのが実状
客席制限が解除されて100%入場緩和された時
お客様はすし詰めの劇場に来てどう思われるか、やっぱり劇場は怖い!にならないようにしていきたいなぁと思うし個人的な想いを言うとこれ以上小劇場の前売り料金が上がるのは嫌だ
パイプ椅子に毛が生えたような物に拘束して¥4000以上取るのは小劇場としてはキツイと思う
来るべき全面解除に向けて試されているような気がしてならない
不安になった時、自分のルーツを辿ろう
自分に出来る事をする!
どれだけ過酷か分かるから何かしら力になりたい!しかし自分に出来る事はまず徹底的に感染対策を心がけ台本を読み世界を理解し共演者達とバミリの中に飛び出す事しか出来ない
本当に有難い話だ
バミリがある稽古場、共にシーンの事を話せる共演者、思い切り表現を試し飛び込む場所があること
これらは全てカンパニーが用意してくれたもの
ハッキリ言ってこの時勢でこんな場所を用意するのはめちゃくちゃ大変な事である
僕自身も『自殺行為』とか『よくやるね』とか『やっても良いけど現場ない時にしてね』とか『やるならプライベートで誰とも合わないように』とか
この一年で直接言われずとも色んな言葉を聞いた
その度に深く凹んだし逆にやる気にもなったが
『あなたは濃厚接触者になってます』
という保健所からのTELが来たら……
と夜も寝れない位怯えた事も何度もあった
オンラインで仕事していても結局買い物や劇場打ち合わせは現地に行くわけで、どこでどうなるか分からない、だから必要以上に対策の事で神経質にもなった
自分の為ではない、家族や仲間、楽しみにしてくださってる方、自分に関わってくれる全ての人に迷惑をかけたくないから
何よりも
自分に役者としてお客様の前に立つ機会を与えてくれて稽古場や共演者や劇場を全て用意してくれたカンパニーに迷惑だけはかけたくない
むしろ大成功にするのが客演としての 僕達のご恩返し
やれる事を全力でやる!!
縛る物があるのは良いかもしれない②
縛る物があるのは良いかもしれない②
フリーとして初めて活動を開始したのは26歳の終わり頃だったろうか、体力も有り余ってたし、何より人生初めてのフリーという肩書きにワクワクして舞台に立ちまくった
縛る物が何もないからとにかく自由に動けた、睡眠時間を削ればほぼ1日自分のやりたいことだけやれた
楽しかった
だが
楽しかったのは最初の一年だけだった
自由にやれるという事の怖さを知る事になった、フリーという立場の弱さや寂しさも痛感するようになった
簡単に言うと自由に色んな場所に行けるが『帰る場所がない』という事に気付く
今までは辛い現場に行っても帰る場所があって、そこで現場の愚痴や笑い話をする事で救われたり励まされたりして気持ちを切り換えて次に向かえた
それが
帰る場所がなくなったからストレスや寂しさを自分一人で受け止め自分一人で抱え込む事になった
フリーでやるというのはそういう事!……と頭では理解していても心に宿る不安は消せなくなっていった、一年後の自分が見えなくなった
あとオーディション等は無所属やフリーだと信用がないからめちゃ苦しい思いもしたしフリーの方はお断り、みたいな事も言われた
フリーで動くというのはとんでもない行動力と孤独や差別と戦い続ける事だと痛感した27歳
あとギャラ交渉も叩かれまくるという笑
当時はノルマ全盛期だったから手売りで50枚以上売れないフリー役者は本当に雑魚みたいな扱いを受けた、てか先方から出演依頼をしてきてるのにノルマ50枚でお願いしまーす!とサラッと当たり前の様に企画書に書かれてたりした、20代の若手フリー役者の立場だと了解するか出演を諦めるかの二択しかなかった
元々恵まれた劇団に居たから公演の度に交通費程度だがギャラを貰えてノルマもなかった場所で育ったからギャップが凄かったというのもあって悩んだ
深く考えた、あそこまで悩み考えたのは人生初だったかもしれない
結果
自分で集団を作ろうと考えた
『所属』という言葉の強さを身をもって体感した20代
集団を作り方針を決めて仲間が集い活動が始まると
『定期的な本公演』『番外的なイベント』
という形が出来る
フリーの時はこの形がなかった、自由だから次にいつ自分が人前に立てるかわからないし保証もなかった
所属が決まると少なくともこの『形』が保証されるからいわゆるレギュラー案件が決まるという事だし、(主宰をやるならこのレギュラー案件は毎年不変にしなきゃいけないので大変ではあるけどね)有り難かった。
毎回お客様に楽しんで頂くのはフリーでも所属でも同じ事だけど、次にいつ案件があるか分からないフリーの時より定期的に目標や目的があり、ノルマは特に設けず全員で頑張ろうと決めて常に『次の公演に向けて』という常態的なプロ意識を維持出来る所属という立場が自分には一番合っていたように思った
縛る物が出来るというのは煩わしい気持ちはもちろんある、それは社会でも同じだと思う、でもそれ以上に助けられる事が沢山ある
辛い現場や嫌な現場があったとしても、自分の所属集団の稽古場でメンバー達に『ねーねー聞いてよー!』と言える時間
方向性や自身の能力について悩んだ時も『今さー僕大丈夫かなぁ?おかしくなってない?』と聞ける場所
出来なかった事が数年後出来るようになった時に『おー!遂に出来たな、昔は出来なかったのに凄~い』と皆で成長を眺める関係
様々な考え方があると思うが、僕の場合は所属する場所があるから逆に思い切り外部に出れたし色々挑戦も出来た、心に支えがあるのとないのでは全然違うなぁと、20代前半迄は全く分からなかったし気付く事も出来なかった事である
残念ながらコロナによって定期的な本公演や番外的なイベントというレギュラー案件が消えるという状況になり劇団始まって以来の窮地になっている
舞台表現を生業にしている団体が舞台に立てなくなると人々から忘れられる、忘れられるというのは集団としての消滅を意味する
それでも毎月イベントしたりショールームしたりして集団が消えない様にしてくれたのはメンバーの支えがあったからこそ、これがフリーだったら完璧に無理だった、多分辞めていた
所属や集団の強さを感じれた一年だったように思う
縛る物があるのは煩わしい事もあるが良いことも沢山ある
もちろんフリーで大活躍してる人も沢山いる、自分で人間関係や仕事関係を構築して帰る場所を一杯持っている凄いフリーの方達は本当にリスペクトである!
あくまで僕の一人語りだとご理解ください
さあ
帰る場所を守る為にも、頑張って行くか!
縛る物があるのは良いかもしれない①
縛る物があるのは良い事だったりする
10代から事務所に入り、事務所所属の俳優として活動しました
所属するということはそれはもう沢山の制約があります、事務所によって違いはありますが、基本的にはルールが沢山あってそれを守りながら活動しなきゃいけません
若い頃それが嫌だった
あれもやりたいこれもやりたい、自分の可能性をもっともっと試したい!って思ってたから
20代になったら劇団に所属した
事務所程ではないけどやっぱりそこにもルールがあった
元々規律の厳しい事務所からスタートしてたから劇団のルールは全然厳しいとは感じず、むしろ筋道(劇団公演を優先、メディア仕事は事前報告、ミーティング参加)さえちゃんとしていれば空いた時間は自由に活動出来た
これが居心地良かった
が
段々与えられた環境が物足りなくなって来るのが人間で、自分一人で何が出来るか?とか考え始める、場所が変わり自由がもっと増えたら自分は更に変われる!
なんて思ってしまいがちになる
そして数年後劇団が解散
いよいよ待望のフリーになる
物凄く頑張って
フリー最初の年は舞台出演9本という勢いからスタート出来た、楽に仕事が取れた訳ではなく必死で自分を売り込んだ、人生で一番打ち上げや飲み会に参加した期間だった
続く