煙草入は羅紗製 | 激安ブランド市場のブログ

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更に、「タバコ」は延命長寿、万病治癒に効力があると信じられていたこともあって、種子が輸入されて国内各地で栽培が行なわれると、喫煙は全国へ広まった。あっというまの勢いであった。-慶長十二年(一六○七年)に幕府は喫煙禁止令を出したりしたが、喫煙の風習は止まるところを知らなかった。

ついに、百数十年後の享保年間には、幕府は「タバコ」(煙草、多婆古、丹波粉、頁などと宛て字された)の殖産を奨励して、栽培は自由になった。

武家はもちろんのこと、町人たちも、「きせる」(ポルトガル語が語源)や「たばこ入れ」や「たばこ盆」などの器に賛を凝らして、当時、相当高価だった「夕パコ」を競って喫った。

「タバコ」が流行し始めたころは、喫煙は室内だけのものであって、漆塗りなどの「たばこ盆」の上に、炭火を入れておく「火入れ」や、刻みタバコの吸いがらを落とす「灰吹き」という竹の筒を置き、煙管(キセル)を上に掛けておくなどして、来客などには、先ず、この一たばこ盆」を客の前に置いて、もてなしの一つとした。珍しく高価なものを客に供する、という礼の心から出た行為である。

天文十二年(一五四三年)にポルトガル人が初めて種子島に漂着したときに、彼等は日本に、鉄砲と同時に「夕バコ」というものを伝えた、ともいわれているが、正確には、元亀から天正年間の初めのころ(一五七○年代)、ポルトガル船の船員によって「喫煙」というものが伝えられた、というのが、今のところ、通説となっている。慶長十年(一六○五年)ごろ、フィリッピン諸島の方に出ていった朱印船が「葉夕バコ」を日本に持ち込んだことから、喫煙の風習はたちまち流行した。